『風よ あらしよ 劇場版』柳川強監督 自由と尊厳は勝ち取るもの【Director’s Interview Vol.385】

大正時代、男尊女卑の風潮の中、女性の権利を求めて声を上げた女性がいた。婦人解放運動家・伊藤野枝の生涯を描いたNHKの特集ドラマが、劇場版として復活。全国の映画館で公開される。

軍国主義に傾倒していく時代の中、権利と自由を求めて活動した伊藤野枝は、軍に捕えられ虐殺される運命を辿る。そんな彼女の人生をNHKでドラマ化することは、容易ではなかったと想像されるが、演出を担当した柳川強氏は、如何にしてこの物語を映像化したのか? 話を伺った。

『風よ あらしよ 劇場版』あらすじ

「女は、家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、夫が死んだあとは子に従う」事が正しく美しいとされた大正時代―。

男尊女卑の風潮が色濃い世の中に反旗を翻し、喝采した女性たちは社会に異を唱え始めた。福岡の片田舎で育った伊藤野枝(吉高由里子)は、貧しい家を支えるための結婚を蹴り上京。平塚らいてう(松下奈緒)の言葉に感銘を受け手紙を送ったところ、青鞜社に入ることに。青鞜社は当初、詩歌が中心の女流文学集団であったが、やがて伊藤野枝が中心になり婦人解放を唱える闘う集団となっていく。野枝の文才を見出した第一の夫、辻潤(稲垣吾郎)との別れ、生涯のパートナーとなる無政府主義の大杉栄(永山瑛太)との出会い、波乱万丈の人生をさらに開花させようとした矢先に関東大震災が起こり、理不尽な暴力が彼女を襲うこととなる――。

テレビドラマを映画に


Q:テレビドラマが劇場で上映されることになった経緯を教えてください。

柳川:7年ほど前に『返還交渉人 ―いつか、沖縄を取り戻す―』(17)というドラマを作ったのですが、当時はちょうど辺野古の埋め立ての護岸工事が始まるというタイミング。せっかく作ったのに、BSだけの放送で終わってしまうのはもったいない。映画にして多くの人に見てもらいたいと考えていたときに、縁あって太秦さんに配給してもらえることになりました。そこからお付き合いが出来て、今回も劇場版に出来ないかと太秦さんに相談した次第です。『福田村事件』(23)と同じ時代・内容という事もあり配給を快諾していただきました。

『風よ あらしよ 劇場版』©風よ あらしよ 2024 ©村山由佳/集英社

Q:映画化にあたり、編集や音響など調整した点はありますか?

柳川:テレビドラマは、2時間なら2時間ピッタリに収める必要があって放送時間の制約がある。映画だとそこが比較的自由になるので、新たなシーン・カットを入れたり、カット尻を若干伸ばしたりと再編集しました。変更した部分は細かいのですが、ずいぶん印象が変わったと思います。音楽もドラマに比べて極端に減らしました。『風よ あらしよ』というタイトルもあり、風の音をふんだんに入れましたし、雨も降らせて、自然の風景と心情がかぶるようにしています。そこはかなり再調整しました。また、劇場版には、エンディング曲『風よ、吹け』(作曲:梶浦由記 FictionJunction feat.KOKIA)が追加されています。28年という短い人生を送った女性の物語ですが、その短さや熱さをより感じられるようになったのではないかと思います。

伊藤野枝を初めて知った人も


Q:本作で描いた伊藤野枝について、反響はありましたか?

柳川:関東大震災の混乱のどさくさで主義者の大杉栄が甘粕大尉によって虐殺されたことは、日本史の教科書に載っていたと思いますが、多分知っていてもその程度だと思うんです。平塚らいてうが青鞜社を作ったことも教科書には載っていましたが、詳しいことを知っている人は少なく、伊藤野枝の存在は知らない人が多かった。100年前という時代にもかかわらず、ここまで様々な事に声を上げた女性がいたことを初めて知り、驚いた人も多かったようです。

アナーキズムや社会主義を研究している人たちからは、「初めて映像で彼らを描いてくれた」と喜ばれました。また、「実際の野枝はもっと硬派な人物だ」という指摘もありました。ただ、大杉栄に関しては、永山瑛太さんでピッタリだったという意見が多かったです。実際の大杉は目が大きくて洒落者、主義主張も強くやんちゃな部分もある。再現力としては瑛太さんでバッチリでしたね。瑛太さんは真摯な方で、静岡の沓谷霊園にある大杉栄のお墓に行き、ちゃんとお参りされていました。大杉に共感して演じてくれたと思います。

『風よ あらしよ 劇場版』©風よ あらしよ 2024 ©村山由佳/集英社

Q:恥ずかしながら、伊藤野枝と大杉栄がパートナーだったことは知りませんでした。

柳川:伊藤野枝や大杉栄を中心に据えて描いたのは、映画やテレビでは『風よ あらしよ』が多分初めてだと思います。吉田喜重監督の『エロス+虐殺』(70)でも2人を取り上げていますが、内容的には60年代当時の政治的空気感と、野枝の時代を映像的にコラージュするような作品だったので…。

Q:美波さん演じる神近市子は、大杉栄を刺した後は獄中で亡くなったのかと勝手に思っていましたが、調べると戦後に衆議院議員になっているのですね。

柳川:衆議院議員になって、女性の権利を主張し、売春防止法の成立に尽力しているんですよね。それぞれのキャラクターにそれぞれ強烈な人生があって、本当に面白いんです。

Q:音尾琢真さん演じる、大杉と野枝を虐殺した甘粕正彦は、『ラストエンペラー』(87)では坂本龍一さんが演じていました。満州時代の甘粕はこれまでも描かれてきましたが、この時代の甘粕を描いているのは初めて見たかもしれません。

柳川:大杉を連行するときの甘粕は目が血走っているのですが、あれは役作りで音尾さんが目を血走らせたんです。目薬を入れたのか、どうやったのか分かりませんが、役作りに賭ける執念がすごかったですね。

Q:甘粕は別に快楽殺人者ではなく、職務に忠実な普通の人間。ナチスのアイヒマンが「凡庸な悪」と形容されたことに似ていると思いますが、だからこそ描き方は難しかったのではないでしょうか。

柳川:まさにアイヒマンですよね。音尾さんはそういう部分もすごく感じながら演じてくれました。『ラストエンペラー』の甘粕は少しお洒落に描かれていますが、あそこまでヒーローじゃない。結局は中間管理職のアイヒマンですよね。

原作が無ければ映像化は不可能だった


Q:柳川監督がこれまで手がけられた作品の中には、「鬼太郎が見た玉砕 ~水木しげるの戦争~」(07)や「百合子さんの絵本 ―陸軍武官・小野寺夫婦の戦争―」(16)、「最後の戦犯」(08)、「気骨の判決」(09)など、戦争時代の日本にスポットを当てているものが多い印象があります。本作も含めどういった視点で企画を選ばれているのでしょうか。

柳川:僕は戦争ドラマが多いんです。戦争が起こると、みんな集団の論理でしか物事を考えなくなり、個人が蔑ろにされてしまう。そういった社会と人間を描きたい。去年は「やさしい猫」(23 原作:中島京子)というドラマをやりましたが、これは入国管理局の話でした。その前は「流行感冒」(21 原作:志賀直哉)というドラマで、スペイン風邪が流行った時代に今のコロナを重ねて描きました。描く舞台が過去でも現代でも、今の社会に対して「それは間違っていませんか?」と言いたいのかもしれません。前からそういうスタンスでした。一番尊敬する映画人はケン・ローチですしね。

Q:戦争や社会問題を扱ったドラマは、企画として通りやすい、通りにくいなどはありますか。

柳川:戦争ドラマに関しては、NHKでは8月ジャーナリズムの一環として作ってきた歴史があります。ただ、最近は8月になってもそういったドラマを作らない年もあるのですが…、そんな今でもやれる余地はまだまだあるのかな…、といった状況です。

昔から伊藤野枝と大杉栄には興味があって、若い頃に「ブルーストッキングの女たち」という宮本研さんが戯曲を書かれた舞台を観たのですが、それがすごく面白かった。それで二人の話をドラマ化しようと画策した時期もあり、恋愛ドラマの名手である脚本家の方にお願いして、四角関係を軸にした大正浪漫みたいな企画を出しましたが…、通りませんでしたね。関東大震災で虐殺された人を描くことがエンターテイメントとしてどうなのか、そして、社会主義者が主人公のドラマを商業主義ベースでやるのかと。放送界、映画界特有の、いわゆる忖度があったのかも知れません…。実際の所はわかりませんが…。

それを今回実現することが出来たのは、全くもって村山由佳さんの原作のおかげです。恋愛小説で知られる直木賞作家の村山さんが書いた、600ページにもわたる圧倒的熱量のこもった内容、そして大きな決め手になったのは、吉川英治文学賞受賞と「本の雑誌」で2020年のベストテン第1位という評価でした。いわば文学的な評価と大衆的な評価の両方があった。逆に言うと、それが無かったら実現しなかったかもしれません。

『風よ あらしよ 劇場版』©風よ あらしよ 2024 ©村山由佳/集英社

Q:関東大震災の虐殺や社会主義運動を扱いつつも、“女性の自立”というテーマが受け入れられた部分も大きかったのでしょうか。

柳川:#Me Too運動が起こり、時代の空気がこの物語を求めている感じはあったかもしれません。ヨーロッパやアメリカと比べて物が言いにくい日本で、しかも100年も前に、こんなにも強く発言した人がいたことにも驚きますよね。

Q:報道に圧力がかかっていると言われている一方で、ドラマではちゃんと意見を主張しているように思えます。そのような思いは制作側としてあるのでしょうか。

柳川:報道の分野は萎縮していて、もしかして本当のことを伝えていないのではないか、と感じる事が少しあります。ただ、真実と目されることをフィクションの力で訴える余地は、まだまだあるし、あると信じたいという気持ちはあります。

Q:ドラマのようなエンターテイメントを使って訴求しないと、今の人の心にはなかなか届かない部分もあります。

柳川:そうですね。そういう意味では、まさに吉高由里子さんに演じて欲しかったんです。人たらしの面も含めて、バランス感覚をすごく持ち合わせている人なので、吉高さん以外に考えられませんでした。

当時は吉高さんが主演した「最愛」(21)という大ヒットドラマがあり、その撮影が12月まで入っていました。それに対して、こっちは1月からの撮影予定で、ブランクが短い。僕は「花子とアン」(14)で吉高さんとご一緒したので、彼女の真摯な感じや真面目なところはよく知っていました。彼女は一つ一つにちゃんと向き合う人だから、準備期間が短い状況では受けてくれないのではないかと…。しかもこれは相当覚悟がいる役。断れたらどうしようかと思っていましたが、そういった状況でもやると言ってくれた。そこはすごく感謝しています。

自由や尊厳は勝ち取るもの


Q:戦前の日本にスポットを当てた企画について、制作にあたり気を遣う点や難しさなどはありますか。

柳川:今の感覚とすごく似ている感じがするので、逆にあまり歴史劇とは捉えていません。あくまでイメージとしてですが、歴史劇として捉えると、どうしてもカメラが俯瞰になってしまう気がする。そうではなく、今を生きる僕たちが、ちゃんとカメラを平場に構えて見つめることが大切なのかなと。その時代にカメラを持ち込んで、当時の気分を僕らも共有するような感覚を持ちたいと考えています。100年前も今も根底は変わっていないと思うんです。

Q:昨年、関東大震災における朝鮮人虐殺について「記録が見当たらない」と官房長官が発言しました。大杉栄や伊藤野枝の物語は歴史修正主義の標的にされうる題材だとも考えられますが、そこに対する思いなどはありますか。

柳川:あったことを無かったことにする感覚ってすごいですよね。当時の陸軍省などの資料も残っていて、そこには虐殺したとちゃんと書いてある。文章がちゃんと残っているんです。結局僕らは馬鹿にされているんです。僕ら民衆が「それは違う」とちゃんと言わない限り、ずっとあんなことを言い続けるんでしょうね。

そういった歴史修正主義があるからこそ、僕ら作り手としては当時のリアルをちゃんと再現したい。やっぱりカメラは俯瞰じゃなくて平場にしたいし、資料を読み込んで事実を忠実に再現する事にこだわりたい。だからこそ、関東大震災の時に朝鮮人かどうかを判別するために「15円50銭」と言わせていた事実は、ちゃんとドラマで再現しました。そこは組織にも誰にも文句を言われませんでしたね。

『風よ あらしよ 劇場版』©風よ あらしよ 2024 ©村山由佳/集英社

Q:本作のように映画/ドラマというエンターテインメントに社会問題を含めて提起することは、無関心層に訴えるのには非常に有効な手段ではないかと思うのですが、その辺りのご意見があれば教えてください。

柳川:日本はあまりにもやらなさすぎですよね。向こうの『バービー』(23)なんて、ちゃんと社会の問題を絡めて描いている。それをやらないと業界全体が滅びていくし、観る人も滅びていく。全体がどんどん下がっていくだけだと思います。人は社会と関わりを持って生きているわけだから、人が政治に関わるのは当然のこと。それが日本で政治に絡めた表現をすると、敬遠される世の中になってしまった。そこはちゃんと描かないと、皆の教養が無くなり、ほんの一部の人たちだけが一人勝ちする世の中になってしまう。

Q:日本人は悲惨な戦争を経て、やっと「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を手に入れたはずなのに、それを手放そうとしていることに気づいていない気がします。

柳川:自由や尊厳、1人1人の幸せとは、求めるだけではなく勝ち取らないといけないもの。伊藤野枝という女性を描いて、それを強く感じましたね。普通に寝て起きて食べているだけでは、全然身に付かない。自分たちで何かアクションを起こさないと、学んだだけでは何も進まない。原作の村山さんも同じようなことを仰ってましたね。

Q:先ほどケン・ローチ監督の名前が出ましたが、影響を受けた映画や監督を教えてください。

柳川:やっぱりケン・ローチ監督の作品ですが、他にはイ・チャンドン監督も好きですね。あと、イーストウッドは別格かな。日本では大島渚ですね。増村保造も好きだし小津安二郎も今村昌平も…、名前を挙げろと言われたらキリがありません(笑)。

今は新自由主義が跋扈していて、映画やテレビが商業主義に転化し、そこでの物差しでしか見られなくなっている。それでも何とか折り合いをつけて、もしくは折り合いを付けずとも、自分たちの主張を刷り込む術(すべ)を身につけないと、どんどん押し潰されるばかり。今挙げた監督たちはやっぱりそこがうまいですよね。ちゃんと何かを押し込めて描く技術力や能力があり、そして気概を失わない。そこは学ぶ必要がありますね。

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監督:柳川強

1964年、大阪府出身。過去の主な演出作品に、戦争関連ドラマ『鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~』(07年 放送文化基金賞本賞、ギャラクシー賞優秀賞、文化庁芸術祭テレビドラマ部門優秀賞)『最後の戦犯』(08年 芸術選奨文部科学大臣新人賞) 連続テレビ小説『花子とアン』(14)特集ドラマ『永遠のニㇱパ』(19)『流行感冒』(21)土曜ドラマ『やさしい猫』(23)映画作品として『返還交渉人~いつか沖縄を取り戻す~』(18)など。

取材・文:香田史生

CINEMOREの編集部員兼ライター。映画のめざめは『グーニーズ』と『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』。最近のお気に入りは、黒澤明や小津安二郎など4Kデジタルリマスターのクラシック作品。

撮影:中野建太

『風よ あらしよ 劇場版』

2月9日(金)より新宿ピカデリーほか全国順次公開

製作・配給:太秦

©風よ あらしよ 2024 ©村山由佳/集英社

参考資料:

関東大震災の朝鮮人虐殺裏付ける政府の新文書発見 陸軍機関作成 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

© 太陽企画株式会社