なぜ逃げ切りを許したのか(中)失敗から学ぶことは多い その2

林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・桐島聡容疑者は、神奈川県藤沢市にある建設会社に住み込みで働いていた。

・建設会社はまずドヤ街で人手を集め、真面目だと見込むと、「専属で働かないか」と持ちかけるのだという。

・そもそも、何年も何十年も消息が分からない人は、一般に考えられているよりもかなり多い。

1974年から75年にかけて、連続企業爆破事件を引き起こした、東アジア反日武装戦線の一員であった桐島聡容疑者は、全国指名手配されていながら、半世紀近くも潜伏生活を続けていた。

前回述べたように、末期ガンで入院し、最期の時を迎える間際に本名を名乗ったのだが、捜査員の一部からは、

「ある意味、逃げ切ったという勝利宣言だったのではないか」

といった声が漏れ伝わってくる。

これまた前回お伝えしたように、共犯者とされた東アジア反日武装戦線の一部メンバーは、日本赤軍が引き起こしたハイジャック事件の結果、超法規的措置でもって解放され、海外に逃亡している。

このため桐島聡容疑者についても、そうしたツテで海外に逃亡したか、あるいはすでに他界してしまったのでは、という見方をする人が多かったようだ。

ところが本人いわく、主たる犯行現場であった都心からそう遠くない、神奈川県藤沢市にある建設会社に住み込みで働いていた。住居も二階建て戸建ての一室で6畳ほど。家賃についてはメディアによって、3万円ほどであるとも、会社の所有物件なので家賃は発生していないとも伝えられている。風呂はなく、銭湯通いだったそうだ。銭湯にも手配写真が張り出されていたはずで、どんな気持ちで眺めていたのか、などとつい考えてしまうのは、物書きの悪癖であろうか。

給与は日当1万円の日給月給で、現金手渡しであったらしい。死亡時240万円ほどの貯金もあったと伝えられているので(どうやって口座を作ったのだろう?)、語弊を怖れずに言うならば、偽名で潜伏する身にしては、まずまずの暮らし向きではなかったか。

いずれにしてもこの建設会社は、30年以上にわたって源泉徴収も社会保険料の納付もしていなかった可能性が高いので、近いうちに当局から、それなりのお咎めがありそうだ。

これで思い出されるのは、2007年に英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)を殺害した容疑で指名手配された、市橋達也受刑者のことである。

同年3月25日頃、千葉県市川市内の自宅マンションで、くだんの英国人女性に性的暴行を加えた上、殺害し、取り外し式のバスタブに遺体を隠し、ベランダに置いていた。

翌日、彼女のルームメイトが、連絡が取れないとして警察に相談。自室を調べたところ、当時28歳だった市橋達也なる男とメールのやりとりをしていた痕跡が見つかり、捜査員がマンションを訪れた。

ところが市橋は、刑事たちの制止を振り切って非常階段から逃走。翌日、公開指名手配され、後に懸賞金100万円(その後1000万円まで増額)まで提示されたが、逮捕されたのはおよそ2年半後、2009年11月10日のことである。

この容疑者も、もののたとえではなく実際に裸足で逃げ出したと報じられ、その後3ヶ月あまりも行方が分からなかった時点で、私は友人のジャーナリストと、

「誰かが匿っているか、もしくは人知れず自殺してしまったか、どちらかだろうな」

などと言い交わしたのを覚えている。しかし実際には、整形手術をしたり、無人島で自給自足の生活をしたりして逃避行を続けていたわけだ。

その市橋受刑者(2012年に無期懲役が確定)も、神戸市内の建設会社に住み込みで雇われていたことが分かっている。社長が手配写真を見て、

「数日前まで住み込みで働いていた男が、よく似ている」

と通報し、捜査員が駆けつけたのだが、寮に戻ることはなかった。

ちなみにこの会社だが、身元のはっきりしない人物を雇っていた、ということで、元請けなどから仕事を切られてしまい、くだんの社長は、

「市民の義務として通報しただけなのに……」

などと納得の行かない様子であったと報じられていた。

旧友の一人に、実家が内装関係の工務店を営んでおり、住み込みの職人さんも雇って、本人もその会社に在職していた者がいる。かなり前に社長(父親)が脳溢血で倒れ、親族会議の結果、会社を清算してしまったので、今さら迷惑にもなるまいと、業界の内情を聞かせてもらった。住み込みの従業員を雇うに際して、身元の確認などはどうしていたのか、と。

「(採用は)社長の専権事項だったから、詳しく分からないところもあるけれど」

と前置きしながらも、

「なにしろ人手を確保するのが先決だし、仕事の出来る人は取り合いになる、という世界だから。山谷でスカウトしてきた人までいたからね」

などと教えてくれた。

東京の山谷、神奈川県なら横浜市の寿町、大阪なら西成、といったように、日雇い労働者が利用する簡易宿泊所が建ち並んだ、いわゆるドヤ街が存在するが、そこでまずは日雇いで人手を集め、この人は真面目だと見込むと、

「うちの専属で働かないか」

と持ちかけるのだという。こういう人なら安く使えるし、雇われる側にとっても、住み込みならば仕事がない日でも雨露をしのぐ部屋はある、ということで、まさしくWinWinの関係だというわけだ。警察の方から身元の照会などはなかったのか、とも尋ねたが、

「記憶にないねえ」

とのことであった。

決して旧友の身びいきではなく、業者側のこうした事情も、理解できないことではない。

ただ、建設会社というのは(業種が多岐にわたることも知っているが)、他人様の敷地内、時と場合で家屋の中まで入って仕事をするわけだから、身元が確かでない人を雇うというのは、やはり厳に慎んでもらいたいものだ。

話を戻して、市橋達也は2年半ほどの逃避行の末に逮捕されたが、桐島聡容疑者は49年にわたって逃げおおせることができた。

彼の生活ぶりが明らかになるにつれ、市橋受刑者にも改めてスポットを当てる報道が見受けられたが、元刑事といった人たちの見立てによると、

「市橋は少々動きすぎた」

ということになるらしい。整形外科医院に飛び込んで顔をいじったり、フェリーで幾度も沖縄を訪れたりしていれば、なにしろ手配写真がそこら中に張り出されているわけで、通報されるのも無理はない、というわけだ。

この点、桐島聡容疑者は何十年も住み込みで働き続け、地域にも溶け込んでいた。

そもそも論から言うならば、何年も何十年も消息が分からない人は、一般に考えられているよりもかなり多いのである。

警察庁が昨年発表したところによると、2022年に全国の警察署が捜索願を受理し、行方不明者とされた人数は8万4912人。1956(昭和31)年からの統計があるが、2020年には最低を記録したとされるが、それでも7万7022人である。

過去10年間、ほぼ横ばい(8~9万人)で推移しているのだが、内訳を見ると、認知症を患った高齢者の割合だけは増加が著しいそうだ。

以前何かのドラマで、年間9万人以上が行方不明になっているわけだが、

「その1%が殺されていると仮定すると、毎日3件ほどの完全犯罪が成立していることになる」

などという台詞があったのを覚えている。

もちろんドラマの台詞だから、裏付けとなるデータなどあるはずもないが、現実問題として、北朝鮮による日本人拉致が、なかなか明るみに出なかったのも、こうした行方不明者の多さと無関係ではないし、拉致が疑われる「特定失踪者」とされていた女性が、実は同僚に殺害されて、犯人の自宅の床下に埋められていた、という案件も実際にあった。

もちろん、捜索願を受理しただけの案件と指名手配者とでは、条件がまったく違うのだが、失踪者の中には何らかの事情で身を隠している人も相当含まれているはずなので、警察の努力が足りなかったとは言えないだろう。

しかしそれだけでは、桐島聡容疑者が半世紀近くも潜伏できた理由の説明にはならない。

次回、他の指名手配犯の状況とも照らし合わせて、もう少し詳しく見る。

トップ写真:東京の英国大使館で記者会見するリンゼイ・アン・ホーカーさんの父ビル・ホーカーさん(2009年3月24日 東京)出典:Junko Kimura/Getty Images

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