ジャンポケ斉藤さんの妻・瀬戸サオリさん、1039gの極低出生体重児で生まれてきたわが子。NICUで過ごした100日間「がんばれ!」と声をかけ

瀬戸サオリさんと息子さん

お笑いトリオ・ジャングルポケットの斉藤慎二さんの妻である、タレントの瀬戸サオリさん。昨年11月17日の『世界早産児デー』には、自身のインスタグラムで、現在4歳になる息子さんが出産予定日より2カ月早く、1039gの極低出生体重児として産まれてきたことを公表しています。入退院を繰り返した妊娠中から、張り止め薬を打ちながらの壮絶な出産、そして息子さんがNICUに入院していた頃のお話を聞きました。

「母子手帳に記録ができずへこんだことも…」29年ぶりに改訂された低出生体重児の身体発育曲線。小さく生まれた赤ちゃんの成長の目安に【専門医】

私の経験が誰かの力になれたら。『世界早産児デー』に合わせて公表を決意

保育器の中にいる息子さんと、そこにずっと寄り添う瀬戸さん

――息子さんが4歳になられたそうですが、昨年の『世界早産児デー』に合わせて、保育器に入った産まれたばかりの息子さんとの写真を公開されていましたね。何かきっかけがあったのでしょうか。

瀬戸さん(以下、敬称略):11月17日が『世界早産児デー』だということは、同じ早産を経験したママから聞いて知ってはいたんです。インスタグラムのハッシュタグをつけて、みなさんが早産のお子さんに関する投稿をしているのも目にしていましたし、頭の片隅には常にあったのですが、自分が発信すべきかどうかはずっと迷いながら過ごしていました。

昨年、『世界早産児デー』について、たまたまニュース番組で見る機会がありました。それで、私も息子のことや自分の経験、当時の思いなどを発信することで、誰かの力になれたらいいなと気持ちが変化して、インスタグラムに投稿することにしたんです。その投稿に同じような経験をされた方々からたくさんのメッセージをもらって、少しでも力になれたのかなとうれしくなりましたね。

――妊娠中は、どのような経過だったのでしょうか。

瀬戸:妊娠初期は、とくに大きな問題はありませんでした。ただ、妊娠19週目のとき、夜中にトイレへ行ったら、少量の出血があったんです。びっくりして夫を叩き起こし、夜中の2時に病院へ向かいました。先生からは「すぐに入院してください」と言われてしまい、家のことや飼っている犬のことが心配でしたが、数日間だけなら…という感じで入院することになりました。

このときはまだ、ことの重大さをわかっていなかったんですね。はじめての妊娠ということもあり、切迫流産や切迫早産の知識がほとんどなかったというのもあります。おなかの赤ちゃんを助けるためには、とにかく22週を超えないと、生まれてきても蘇生行為ができないということも知りませんでした。だから、「入院していれば大丈夫かな〜」ぐらいに思っていたんです。

入院中は点滴をしながら、ベッドの上で安静にしていました。だんだんと出血が止まってきたので、1週間後の20週のときに退院できました。それから自宅でも、ゆっくり安静にして過ごしていましたが、また22週の就寝中に出血があったんです。そのときもすぐに病院に行きましたが、私の状態を見た先生には「このまま陣痛がきて、もしかしたら出産になるかもしれない」と言われ、分娩台で一夜を過ごしました。なんとか陣痛がくることなく朝を迎えられましたが、そこから再び入院生活がはじまったんです。

――入院中はどう過ごされていたのでしょうか?

瀬戸:とにかくベッドの上で安静にしなくてはいけないので、何もすることがなく、ずっと天井とカーテンを眺めているような時間が延々と続きました。家で待っている愛犬の動画を観ては泣いたり…そんな日々でした。

あとは、張り止め薬の点滴も辛かったですね。切迫早産で入院した経験のある友人たちから、かなり辛いという話は聞いていたのですが、実際には想像以上。寝ていても動悸がひどくて、自分の鼓動の音で眠れなかったり、汗がものすごく出てしまったり。それで、具合が悪くなることもありました。はじめての妊娠で、妊娠中にやりたいこともたくさんあったのに、何ひとつできていなかったのも悲しかったですね。

面会時間も限られていているので、夫が仕事を終えてからでは、なかなか間に合わなくて。仕事の合間でちょっとでも時間が取れると、15分だけでも会いにきてくれることもありました。

ただ、私が入院したことでいいこともあって。普段、家事は私がすべてやっていたのですが、夫に任せてみたら、洗濯など、ちょっとだけ家のことができるようになっていたんです。

私は小さい頃から、「すべてのことに意味はあるよ」と母に教えられて育ちました。あの辛すぎた入院生活も、きっと無駄ではなかったんだねと、今では夫と笑いながら話しています。

切迫流産、切迫早産で3度の入退院。出産後も手術…と私の出産はフルコース!

瀬戸さんの手をぎゅっとつかむ息子さん。

――そこから出産までは、どのような状況だったのでしょうか。

瀬戸:その後も退院と入院を繰り返していたのですが、3回目の入院をしていた27週のときに、少し体調が落ち着いてきたので、「家でずっと横になっていられるなら」という条件付きで退院のOKが出ました。退院できることに喜んでいた矢先に、「あれ?なんかいつもの出血と違う」という嫌な予感がして。車椅子でトイレに行ったら、出血とは違う重い感覚があって、検査をしてもらったら破水のはじまりでした。そこからすぐにICUに入り、寝たきり状態に!先生からは、「とにかく、できるだけおなかの中に入れておかなくちゃいけない」と言われました。ただそのときにはすでに子宮口が開いてきていて、なんとか頑張りましたが、2日後には本陣痛がはじまってしまいました。

「なんとか、28週まではもたせたい」という先生との目標があったのですが、そのぎりぎり、28週と2日での出産でした。

出産は10時間ぐらいかかりました。でも本当は、2〜3時間ぐらいで生まれてもおかしくなかったと思います。本陣痛がはじまってからも、1分1秒でもおなかの中にいたほうがいいからということで、張り止め薬を点滴しながらの出産でした。自然分娩だったのですが、陣痛の痛みよりも、点滴を入れている腕の方が痛くて痛くて…。陣痛中も、「腕が痛い!」とずっと言っていたみたいです。

心の準備をする時間もなく、急にはじまってしまった出産でしたが、「子どもが助かるなら、もうやるしかない!」という感じでしたね。

夫は陣痛がはじまってからすぐに駆けつけてくれて、ずっと立ち会ってくれました。でも、出産シーンとか血を見るのが怖い人なので、立ち会い中も何度も頭を抱えて分娩室から出たり入ったり。私のことが心配なのもあって、もしかしたら、最初から泣いていたんじゃないかと思うぐらいの反応でした(笑)。

保育器の中の息子さんと、ご主人の斉藤さん。

――出産直後はどのような状況でしたか?

瀬戸:「赤ちゃんの体重は、推定だと1200gぐらいかな〜。そのぐらいあるといいね」と先生から言われていたのですが、実際には1039gで生まれてきました。

生まれてきた瞬間は、しっかり産声も上げてくれて元気そうだったので、それは一安心でしたね。「生まれてすぐは、保育器の中に手を入れるだけしかできないかも」と事前に言われていたのですが、息子は大丈夫そうということで、胸元で抱くこともできました。ほんの1分もないぐらいでしたが、家族で写真を撮りたいという希望も叶いました。

息子との短い対面が終わって、これでやっと終わりなんだ!と思っていたら、そこからの処置がまた大変で…。これから全身麻酔をして、手術をしなくてはいけないということになり、分娩台にいる私の目の前で、夫が同意書にサインをしていました。そこから麻酔がはじまり、気づいたらもう病室で、夫と母に名前を呼ばれていました。

私が落ち着いてから、先生から子どもの今の状態とこれからのことを聞きました。今後、息子に起こるかもしれない症状や病名など、難しい漢字がびっしり並んだ紙を目の前に置かれたのですが、私も出産直後で疲れているし、とにかく眠いしで、あまりそのときのことは覚えていないです。切迫流産、切迫早産で入退院を繰り返し、そのまま自然分娩で出産、全身麻酔で手術と、振り返ると私の出産はフルコースでしたね。

結局、私の切迫早産の原因は、さまざまな検査をしましたが、わからないままでした。ただ、実は私の母も、姉と私を出産する前に切迫早産で入院していて、とくに私のときは、ずっと出血しながらの入院生活だったそうで、もしかしたら少し関係があるのかも知れませんが原因はわからないままです。

――NICUに入院中の息子さんは、どのような症状があったのでしょうか。

瀬戸:出産直後は、「3日間が山です」と言われました。その3日間は無事に越えることができましたが、肺が未熟でうまく呼吸ができなかったり、黄疸が出てしまったり、ひとつずつ乗り越えてきた感じです。あとは、未熟児網膜症などのリスクもあり、息子は大泣きしながら目の検査を受けていました。そんな姿を見るたびに、とても胸が痛みましたね。

息子が入院している間は、1日も欠かさず息子に会いに行きました。面会の最中も、ただ、保育器の中に手を入れて、息子をさすりながら「がんばれ!がんばれ」と言うことしかできなくて…。そんな風に、ずっと声をかけていた気がします。

あの頃の息子の状況を思い返すと、怖いことだらけ、心配なことだらけで、どうにかなっちゃいそうなんですが、なぜかそのときは、「我が子なら絶対に大丈夫!」という確信のようなものがありました。そんな気持ちになれたのは、生まれた直後に元気な声を聞かせてくれて、元気に動いている様子を見ることができたことが大きかったかもしれないですね。

息子が入院していたNICUも、ドラマの世界でしか見たことがなくて、自分にまさかこんなことが起こるとは思っていなかったですね。そこには、早産で生まれた赤ちゃんや、いろいろな病気を抱えた赤ちゃんがいて、毎日面会に行くたびに「みんながんばれ!」という気持ちになりました。

看護師さんにお世話の仕方を教えてもらいママになる準備ができた

退院直後に撮影した、家族写真。

――退院後の暮らしはどうでしたか?

瀬戸:ちょうど産まれて100日後に退院することができました。酸素をつけた状態で退院する子もいると聞いていましたが、うちの子は入院の最後の方で自発呼吸がうまくできるようになってきて、器具などはなく退院することができたんです。

19週のときに切迫流産で入院して、それから何度も入退院を繰り返して、産後は毎日面会に通って…。とても壮絶で大変だったけど、それがすべて報われた気がしました。頑張ってきてよかったなという気持ちでいましたね。

退院時には2600gまで大きくなってくれました。母乳はよく飲んでくれたんですが、たくさん飲みすぎてしまうと今度は体に負担がかかってしまうので、体重の増加は一進一退という感じでしたね。

幸いなことに、退院してから大きな問題はありませんでした。ただ、風邪を引きやすくて重症化もしやすいし、呼吸器系が弱いみたいでよく咳き込んでしまうというのはあります。

フォローアップは、市区町村によって違うみたいですが、うちの場合は2歳ぐらいまでは、月に一回のペースで発育チェックがありました。次は小学校に上がる前に発育のチェックがあるみたいです。これは、住んでいる場所によってもだいぶ違うみたいですね。

水族館にお出かけした際の、息子さん。

――退院してから、ご夫婦での子育てはどうでしたか?

瀬戸:おむつ替えや爪切り、お風呂の入浴などを、入院中に看護師さんに教わりながら実践していたので、退院する頃にはすっかりできるようになっていたんです。これが、出産後1週間で退院して、ひとりでやっていたら、本当に大変だったんじゃないかなと思うんです。退院後の育児がスムーズにいったことで、マイナスなことだけでなく、プラスな面もあったかなと思えましたね。

それに、息子が退院した頃は産後3カ月ぐらいで、すでに私の体もけっこう元気になっていたんですよね。3時間おきの授乳もパワフルにできていたし、体も精神的にも余裕をもって、家での育児がスタートできたと思います。

息子の退院を100日間も待ちに待っていたので、とにかく3人での新生活が楽しくて仕方がなかったですね。

写真提供/瀬戸サオリさん、取材・文/内田あり、たまひよONLINE編集部

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年2月の情報で、現在と異なる場合があります。

<プロフィール>
瀬戸サオリさん

タレント。1988年生まれ、福岡県出身。2017年12月、お笑いトリオ・ジャングルポケットの斉藤慎二さんと結婚。19年11月、第1子となる男の子を出産。

瀬戸サオリさんのInstagramアカウント

© 株式会社ベネッセコーポレーション