筒香兄弟が込めた新球場への熱い思い「子どもたちにはどんどん失敗してほしい」

筒香嘉智選手が私費を投じた球場として、生まれ故郷の和歌山・橋本市に完成した『TSUTSUGO SPORTS ACADEMY』。現状は2億円という建設費に話題が集中している印象だが、そもそもなぜ、誰のために、天然芝を敷いた総合スポーツ施設をつくったのか知る人は少ないだろう。

今回は新進気鋭のMLBライターのFelix氏が、「公益財団法人 筒香青少年育成スポーツ財団」の代表理事も務める筒香選手の兄・裕史(ひろし)さんに、日本では異色の指導方針と、建設した野球施設の特徴について聞いた。

筒香裕史さんがドミニカ共和国で受けた衝撃

今季はMLBのサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下でプレーする筒香嘉智選手。地元・和歌山県橋本市に建設した総合スポーツ施設『TSUTSUGO SPORTS ACADEMY』は、2億円の私費を投じた球場として話題だが、そこを本拠地とする少年硬式野球チーム「Atta Boys(アラボーイズ)」の存在はあまり知られていないかもしれない。

日本のアマチュア野球の在り方に警鐘を鳴らしてきた筒香選手をオーナーとするAtta Boysだが、その指導方針には筒香選手の兄・筒香裕史さんの考えが大きく反映されている。

▲室内練習場も併設されており筒香選手が子どもたちの練習を見守っている

裕史さんの価値観に大きな影響を与えたのが、多くのメジャーリーガーを輩出しているドミニカ共和国(以下、ドミニカ)の野球環境だ。神奈川県で教師として勤務していた2015年、ドミニカを訪れた裕史さんは、とある町の野球少年のプレーを見て衝撃を受けたという。

「町なかの普通の野球チームを見たんですけど、とんでもなく上手いショートの子がいて。とんでもなく上手いっていうのは、日本の僕たちが育った感覚とか自分がプレーした感覚で、そのプレーを見たときに、“あ、これはセーフだな”っていう三遊間の打球を取って、ものすごい勢いのボールを投げてアウトにしたんですよ」

凡ミスもするが、ハマったときはプロ顔負け。そんなプレーをする中学生くらいの少年が、プロ入り候補というわけでもなく、町なかの平凡なチームの選手だと聞いた裕史さんは驚き、どうすればこんな選手が生まれるのかを考えさせられたという。なぜなら、ドミニカの子どもたちは、日本のように恵まれた環境で野球をプレーしているわけではないからだ。

「野球だけじゃないですから、彼らの基礎にあるのは。喉が乾いたら水をどうやって飲もうか、という能力も必要です。実際、木に登ってヤシの実を落としてジュースにして飲むんです」

どんどんチャレンジしてたくさん失敗もしてほしい

日常生活から常に頭を働かせていないと力強く生き抜くことができない。決して身体能力の違いだけでなく、野球以外の厳しい生活環境こそが彼らの礎であり、だからこそ日本人にとっては規格外とすら思えるプレーを生み出すことができるのではないか、そのように裕史さんは考えた。

日本の子どもたちが、ドミニカと同じ生活環境で過ごすことはできない。しかし、常に考え続ける習慣を身に付けることはできる。そのために裕史さんが選んだのは“教えすぎない”指導だ。

「“ボールが来たら捕ってください。ランナーと競争なので、それをアウトにしてください”というのは、もちろん最初に教えなきゃいけない。でも、それ以上のところ……たとえば“こうやって捕りなさい”とか、“こういう場面はここに投げなさい”など、最初にこちらから教えてしまうと、それ以上のプレーとか、それ以上の発想は生まれない。なので、僕たちが教えるのは最低限のルールだけ。打ち方にしても、投げ方にしても、正解はないんですよね、きっと」

自分で考えて型にハマらないプレーに挑戦すれば、当然ミスも増えてくる。奇抜な発想をすればいいというわけではなく、アウトを取る、ヒットを打つといった結果に到達するために、自分に合ったやり方を見つけることが目的だ。

「自分で自分に合った方法を見つけてやっていかなきゃいけない。それを作り上げるためには、どんどん新しいことにチャレンジして、たくさん失敗もする。そこから自分でどんどんアレンジしていけばいいんです。それをどれだけ小さい頃に自分自身に植えつけられるかということ。ドミニカの子どもたちのプレーを見たときと、彼らが過ごしている野球の環境からヒントを得て、僕たちは指導しています」

▲フェンスの外にはドミニカを想像させる植物が並んでいる

メジャーリーグアカデミーに匹敵する施設が誕生

裕史さんが辿り着いた指導方法を実現しているのが、筒香選手がオーナーであり、裕史さんがGMを務めるAtta Boysなのだ。2023年4月から本格始動した、この少年硬式野球チームはTSUTSUGO SPORTS ACADEMYを本拠地として活動している。

橋本市の彩(あや)の台という林間田園都市を登っていくと、山頂部分に広大な野球場が姿を現す。まるでメジャーリーグのキャンプ地かと思うような鮮やかな天然芝の球場の隣には、こちらも同様に天然芝の内野フィールドと、室内練習場が並ぶ。内野フィールドは、筒香選手の希望で作ったものだというが、この球場施設のアイデアもドミニカから着想を得ている。

▲内外野に敷き詰められた天然芝は夏にはさらに美しく輝くという

裕史さんがドミニカのボカチカ(有名なビーチがある地域)を訪れた際、「山道を走っていると、急にびっくりするくらいの球場が現れて衝撃を受けた」という。その球場はメジャーリーグのアカデミーであり、各球団が山中にアメリカ顔負けの野球施設を作っている。

今やメジャーリーグの30%ほどがアメリカ国外出身選手。近年、大谷翔平やキム・ハソンらアジア出身選手の活躍も目覚ましいが、その多くを占めるのが中南米出身選手。そのなかで最も多いのがドミニカの選手だ。彼らはドラフトではなく国際FAという制度で、メジャーリーグ球団との契約を目指すことになる。

現行ルールでは1月15日から12月15日までが国際FAの契約期間で、アマチュア選手は16歳になると契約可能になる。各球団がボーナスプールという限られた予算を駆使し、有望な選手たちと契約することになるが、その契約金はトップクラスの選手では数億円にもなる。

契約期間が開始したばかりの今年も、ブレーブスがベネズエラ出身のホセ・ペルドモ(17)と500万ドル(約7億4000万円)、パドレスがドミニカ出身のレオダリス・デブリエス(17)と420万ドル(約6億2000万円)で契約するなど、10代の選手が高額な契約金でプロ入りを決めている。

しかし、それほどの大金を得ることができるのは限られた選手のみ。なかには雀の涙ほどの契約金でも、夢を持ってプロ入りする選手もいる。有望な選手も、そうでない選手も、国際FAで入団した中南米出身選手の多くが最初にプロとしてキャリアをスタートさせる場所こそが、ドミニカのメジャーリーグアカデミーだ。

世界に通用する子どもたちに育ってほしい

TSUTSUGO SPORTS ACADEMYは、そのアカデミーを参考にして作られた施設で、裕史さんが強いこだわりを持ったのが天然芝。日本では野球場と言えば人工芝や土のフィールドが多い。実際に球場建設時には「内野の土は黒ですね」と提案されたという。しかし、メジャーリーグアカデミーをモデルとし、さらに世界基準を目指すこの球場では、天然芝が必ず必要だった。

「芝生があるとプレーヤーとしてはやりにくいんですね。綺麗でいいんですけど、土の部分と芝生の部分で段差ができるじゃないですか。でも、世界基準はそれなんですよ。日本人の内野手で“スーパー内野手”と言われた方々が、メジャーリーグで通用しないというのは、やっぱりそこに大きな原因があるんじゃないかと。それを小さい頃に当たり前に感じてもらう必要があると思って、内野は絶対に天然芝だと決めてました」

しかし、天然芝は維持のためのコストが高い。そこで専門業者に依頼せずとも自分たちだけで維持が可能で、なおかつ芝としてのクオリティも高い天然芝を探したところ、行きついたのがエンゼルスの本拠地エンゼル・スタジアムでも使用されているものだった。この芝が日本の野球場で使用されるのは初めてとのことだが、筒香選手も自身の経験から「エンゼル・スタジアムの天然芝が一番だった」と話したという。

このメジャーリーグ級施設を利用できるのは、現状はAtta Boysと、その関係者のみ。オフシーズンでは筒香選手も自主トレで施設を使うが、「少年野球チームが練習する隣のグラウンドで、プロ野球選手がトレーニングをしている。という光景が普通になったらいい」と裕史さんは話す。

実際に、アメリカで挑戦を続けている筒香選手が子どもたちに与えている影響は大きく、Atta Boysには、メジャーリーグアカデミー入りを目指し、ドミニカに渡航しようと考えている少年もいるという。

「もちろん野球を続けてもいいですし、野球以外の競技に行ってもいいように、このチームでも、たとえば逆立ちをして歩いたりとかハンドスプリングしたりとか、いろんなことを取り入れています。野球だけじゃなくて、どんな競技でも、日常生活でも、どんどんチャレンジして、どんどん失敗するということを推奨する。それこそ口酸っぱく練習で言っているので、野球をやるとかやらないとか、スポーツするとかしないとかじゃなくて、勉強でもなんでもポジティブに頑張るというふうに育ってほしい」

▲施設体験イベントに参加している子どもたちの笑顔や笑い声も印象に残った

自費で建設した野球施設という部分がフィーチャーされがちなTSUTSUGO SPORTS ACADEMYだが、そこには筒香選手の“アマチュア野球を変えたい”という思いと、裕史さんの“スポーツを通じて子どもたちに成長してもらいたい”という思いの両方が詰まっていた。この施設とAtta Boysから、未来のメジャーリーガーが生まれる日が楽しみだ。

(取材:Felix)

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