自分だけ漁に出るわけには…地震当夜、沖出しで難を免れた「竜伸丸」。僚船の大半は座礁、転覆した。係留先の金沢港で再開に備える。「僕にはこれしかないので」

〈関連〉船の手入れをしながら漁再開の日を待つ逢坂伸司さん=1月24日、石川県金沢市の金沢港

 「いつでも漁に出られる準備はしておかないと」。石川県輪島市鳳至町のカニ漁師、逢坂伸司さん(35)は、2次避難先の加賀市から金沢港(金沢市)に毎日通い、一時係留する漁船のメンテナンスを続ける。

 地震発生後すぐに家族5人で高台に避難したが、漁師だった祖父が名付け親の「竜伸丸」の存在が頭をよぎった。「船が危ない」。“漁仲間”の安否確認のため、家族を残し輪島港に走った。

 多くの家屋が倒壊するなど一変した街中を急行し、津波被害を防ぐため仲間と漁船7隻を沖出しした。漁場で一晩を過ごし、翌朝港に戻ろうとすると、座礁した船が遠くに見えた。「海底が隆起し、海岸線が後退した」。陸にいる漁師からの連絡で母港に帰れないことを悟り、金沢港へかじを切った。

 輪島漁協に所属する約200隻の大半は港から出られなくなくなり、多くの船が転覆、座礁した。引退を考える高齢漁師もいる。仲間が苦しむ中、「自分だけ船を出すわけにはいかない」と頭を悩ませる。

 港の未来と家族の暮らしを案じながら、「僕にはこれしかないので」と黙々と網の手入れをする。この地で漁師の家系に生まれ、なりわいを守り続ける-。背中に強い覚悟を感じた。

〈能登半島地震「被災地を歩いて~本紙記者ルポ」より〉

〈関連〉「僕にはこれしかないので」-。黙々と網の手入れをする逢坂伸司さん=1月24日、石川県金沢市の金沢港

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