「いつでも漁に出られる準備はしておかないと」。石川県輪島市鳳至町のカニ漁師、逢坂伸司さん(35)は、2次避難先の加賀市から金沢港(金沢市)に毎日通い、一時係留する漁船のメンテナンスを続ける。
地震発生後すぐに家族5人で高台に避難したが、漁師だった祖父が名付け親の「竜伸丸」の存在が頭をよぎった。「船が危ない」。“漁仲間”の安否確認のため、家族を残し輪島港に走った。
多くの家屋が倒壊するなど一変した街中を急行し、津波被害を防ぐため仲間と漁船7隻を沖出しした。漁場で一晩を過ごし、翌朝港に戻ろうとすると、座礁した船が遠くに見えた。「海底が隆起し、海岸線が後退した」。陸にいる漁師からの連絡で母港に帰れないことを悟り、金沢港へかじを切った。
輪島漁協に所属する約200隻の大半は港から出られなくなくなり、多くの船が転覆、座礁した。引退を考える高齢漁師もいる。仲間が苦しむ中、「自分だけ船を出すわけにはいかない」と頭を悩ませる。
港の未来と家族の暮らしを案じながら、「僕にはこれしかないので」と黙々と網の手入れをする。この地で漁師の家系に生まれ、なりわいを守り続ける-。背中に強い覚悟を感じた。
〈能登半島地震「被災地を歩いて~本紙記者ルポ」より〉