世界のオザワ、水戸に足跡 情熱、楽しさ、市民へ 若手教育にも力注ぐ 茨城

水戸市内の児童生徒らを招いて開いた「子どものための音楽会」で笑顔を見せる小澤征爾さん=2005年7月22日、水戸市新原の県武道館

1990年3月の水戸芸術館(茨城県水戸市)の開館以来、水戸室内管弦楽団(MCO)の指揮者として活躍し、同館長を務めた世界的指揮者の小澤征爾さんが6日、亡くなった。初代館長を務めた吉田秀和さん(故人)から「世界で通用する室内管弦楽団に」と招かれた小澤さん。「世界のオザワ」は音楽指導にも情熱を注ぎ、地元の子どもたちと触れ合いながら音楽の楽しさを伝えた。

初代館長に就いた音楽評論家の吉田さんは、同館の音楽部門を創設するに当たり、小澤さんを指揮者に指名した。

小澤さんは、戦後の復興期に吉田さんがチェロ奏者の斎藤秀雄らと立ち上げた「桐朋女子高校音楽科」の1期生。73年に38歳の若さでボストン交響楽団の音楽監督に就任するなど「世界のオザワ」として圧倒的支持を集めた。

同館コンサートホールATMで90年4月に開かれたMCO初の定期演奏会には、20世紀後半を代表するチェロ奏者で、小澤さんが「兄貴のような存在」と慕うムスティスラフ・ロストロポーヴィチさん(故人)を迎えた。初めて公開練習に臨んだロストロポーヴィチさんは弦の響きを聴き、「このホールはいい」と同館の将来を祝福。本番で2人は互いの呼吸を確かめ合うように、高みへと上り詰めた。

小澤さんはその後も世界で活躍する一方、地元の子どもたちへの音楽指導にも情熱を注いだ。

2004年からは水戸市内の児童生徒を招き、「子どものための音楽会」を開催。参加者と同じ目線で楽しみながら、音楽の楽しさを説いた。15年5月に開催した「高校生のための公開レッスン」では、「音楽として歌うこと。フレーズを大切にする。どこに音楽が向かっているのかを確認することが大切」と熱っぽくアドバイスした。

小澤さんが同館で最後に指揮を執ったのは19年5月、総監督も務めるMCO定期演奏会。べートーベン「ピアノ協奏曲第2番」で指揮を執り、聴衆を沸かせた。終始いすに座ったままだったが、あるじの心を知り尽くすように楽団との呼吸はぴたりと合い、メリハリのある力強い演奏を披露した。

同館音楽部門芸術監督の中村晃さん(57)は、小澤さんの冥福を祈り、「長年にわたり、指揮者として市民や県民に素晴らしい演奏を届けてくれた。人と人とのぬくもりが伝わる幸せな時間をくださったことに感謝します」と語った。

■巨星との別れに涙 市民 「ショック」「宝失った」

小澤征爾さんの訃報を受け、水戸市民や交流があった知人からは悼む声が相次いだ。

水戸市大町の居酒屋「夢屋」店主の黒沢千里さん(73)は「ご家族や、オケのメンバーとの打ち上げで来ていた」と語り、カウンターの一角にあった小澤さんの指定席に視線を移した。

黒沢さんは「若者から軽い調子で声をかけられた時も『ありがとう』とにこにこ笑って、フランクな人だった」と親しみ深い人柄をしのんだ。家族や仲間を大切にしていたといい、「巨人、巨星、とでも言うのかな。もうあんな人は出てこない」と瞳を潤ませた。

小澤さんが来水のたびに訪れ、家族ぐるみのつき合いを30年以上続けてきた同市の飲食店主は、「お店を愛し、必ず顔を出してくれた。水戸の宝を失い、こんなにショックなことはない。来店を楽しみに待っていたのに残念だ」と話した。

同市の40代男性は訃報を聞いて驚きながら、「高齢で体調も悪いとは聞いていた。残念。一度でいいからご本人のコンサートを聴いてみたかった」と肩を落とした。

■水戸市長「驚きと痛惜」

小澤征爾さんの訃報を受け、9日夜、高橋靖水戸市長は「驚きと痛惜の念に堪えない。ご尽力に心から感謝する」と悼んだ。2013年の水戸芸術館館長就任を巡り「初代館長の吉田秀和さんが前年に亡くなり、何としても小澤さんに就いてほしくてお願いした。引き受けてくれ、とてもうれしかった」と振り返った。

当時、梅酒を手に小澤さんの元を訪ね、よく談笑したという。「世界的指揮者でありながら、私たちと同じ目線で、よく笑っていただいた」と懐かしんだ。

水戸室内管弦楽団の団員とリハーサルの合間に談笑する小澤征爾さん=2012年1月16日、水戸芸術館
水戸芸術館の新館長就任会見で、高橋靖水戸市長、森英恵さん、吉田光男副館長と握手を交わす小澤征爾さん(左から2人目)=2013年4月4日、水戸芸術館

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