【連載】箱根事後特集『萌芽(ほうが)』 第9回 9区 菖蒲敦司

2年連続で復路のエース区間・9区を走った菖蒲敦司(スポ4=山口・西京)。駅伝主将として挑んだ最後の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)を振り返るとともに、世界を見据える実業団での意気込みを伺った。

※この取材は1月13日にオンラインで行われたものです。

集大成となった最後の箱根路

9区を走る菖蒲駅伝主将

――箱根が終わってからはどのように過ごしていましたか

箱根まではかなり集中してやっていたので、終わってからは実家にかえってリフレッシュをしていました。

――箱根から数日経って、改めてご自身の走りを振り返っていかがですか

本来はもっといいタイムで走らなければいけなかったと思います。展開もあまり良くなかったので、それなりの結果になってしまったなと思います。欲を言えば早めの段階で前にいた明大と創価大に追いつければ良かったのですが、今年一本もハーフを走っていなかったので、勇気をもって突っ込むということはできなかったなと思います。

――改めてチームとして結果を振り返っていかがですか

往路のメンバーがすごく良く頑張ってくれて、5位で終えることができました。復路メンバーは体調不良で直前に変更されたメンバーも多かったので、その中で何とか耐えながらも戦えたのではないかと思います。欲を言えば5位を死守したいところではありましたが、危機的状況の中でうまく力を発揮してくれたと思います。

――希望区間は9区でしたが、実際に出走が決まった時の心境はいかがでしたか

チームの状況が悪くなってきて、9区を走らざるを得ない状況になってきて、花田さん(花田勝彦駅伝監督、平6人卒=滋賀・彦根東)からも「8、9、10区はうちの強みとして(昨年と)同じ区間配置でいく」ということは伝えられていました。昨年はただ耐える走りでしたが、今年は安心材料でいられるようなポジションでいたいと思っていました。レースに関してはあまり力を発揮できなかったのですが、レース前までに関しては僕が9区にいることで、安心させられるような雰囲気作りは意識していました。

――給水ではどのような指示がありましたか

10キロの給水に同期の濱本(寛人、スポ4=熊本・宇土)がいてくれました。一旦10キロまで行けば、またそこから気持ちも立て直せるのではないかと思っていましたし、15キロの和田(悠都、先理3=東京・早実)も何か声を掛けられたからというよりは、そこにいてくれるからそこまでは頑張ろうという思いにはなりました。

――往路の選手の走りはどのように見ていましたか

1、2区はうまくいくと思っていて、3区の辻(文哉、政経4=東京・早実)が本当によくやってくれたと思います。急きょ往路を走ることになって不安はあったかと思いますが、同期の1人として力強い走りを見せてくれました。往路5位という結果以上に辻が頑張ってくれたから僕も頑張らないとという思いはありました。

――復路当日の6区から8区までの選手の走りはどのように見ていましたか

チームとしてはシード権確保を目標にしていたので、6、7区が10位以内でタスキを運んでくれれば、8、9、10区でどうにかできるだろうと思っていました。急きょ出走してくれた同期の栁本(匡哉、スポ4=愛知・豊川)と諸冨(湧、文3=京都・洛南)はうまくやってくれたなと思います。

――チームがゴールした時の率直な感想はいかがでしたか

全日本(全日本大学駅伝対校選手権)のシードを落として4年生としてふがいないという思いはずっとあったので、箱根はシードは絶対に落とせないという思いでした。どうにか7番という結果だったのでまずは一安心という気持ちではありました。ですが、早稲田大学はこの順位ではいけないというのは毎年思っていますし、もっと前(の順位)で戦いたかったというのはあります。

――アクシデントもありチーム目標を5位からシード権確保に下方修正されました。往路終了時でチームとしてどのような話をしましたか

僕も走る予定だったので、みんなと話すということはできなかったですけど、一緒に泊まった辻や給水の濱本と和田とは5番までいければいいねという会話はしていました。ですが、正直なところは、シードを取らなければいけないと思っていました。

――事前対談でも「4年生が引っ張らなければいけない」とおっしゃっていましたが、当日の4年生の取り組みはいかがでしたか

全日本が終わってからもう一度4年生の行動を見直していこうという話はしてきて、箱根まで4年生はよくやってくれたのではないかと思います。特にメンバーから外れてしまった4年生も嫌な顔を一つせず、サポートに回ってくれました。4年生のあるべき姿を示せたことが、チームのまとまりにもつながったと思いますし、最低限のシードを取れた要因でもあると思います。

「早稲田でキャプテンをしたことは人生で誇れること」

菖蒲駅伝主将が1年間引っ張ってきたチーム

――集大成の箱根を終え、同期の4年生にはどのような思いがありますか

僕らの世代はコロナに始まり、監督も変わって、いろいろと環境も変わった中で、うまくやっていけたのではないかと思います。これまではまとまりがあまりなかった学年でしたが、最後の最後にまとまり切れたのは4年間やってきて良かったなと思います。

――菖蒲選手にとって2度出走した箱根はどのような舞台でしたか

僕自身、箱根に対して特別な思いはなかったのですが、箱根ほど注目される大会はないのかなと思っています。だからこそ、今年の箱根は絶対に悔いの残らないようにやってやろうという思いでした。この先の方が僕の陸上人生にとって大きな目標がありますが、ここまで楽しい舞台に立たせてもらって、やはり陸上をやっていて良かったと感じます。

――部員日記でも「後悔のないようにやり切りたい」ということを書いていましたが、箱根を終えどのような思いがありますか

箱根での走りは平凡で、もう少しできたかなと思うこともあるのですが、それまでの過程で絶対に後悔のない選択をしてきたと思っていますし、当日もああしておけばよかったと思うこともないので、悔いなく終われたと思います。

――箱根を終え駅伝主将も代替わりとなりますが、駅伝主将としてこの1年を振り返っていかがですか

僕個人としてはトラックを中心にやっていきたいという思いがあったので、まずは主将としてトラックで結果を残して背中で引っ張るということはしていきたいと思っていました。そこに関しては、納得のいく結果が残せたと思います。駅伝シーズンに入ってからは、なかなか結果で引っ張ることもできず、苦しい思いもしてきました。ですが最後の最後に4年生がまとまって、どうにかして変えなければという思いでやってくれました。最後は4年生の力も借りながら、チームをまとめ切ることができたのではないかと思います。

――1年間駅伝主将を務めて得たものはありましたか

伝統あるチームの主将ということで、今振り返れば責任のあるポジションだったと思います。大志(伊藤大志次期駅伝主将、スポ3=長野・佐久長聖)も気負わずにやってほしいなと思います。みんなの前で話をすることもチームをまとめることも、今までの主将の経験とは背負うものが違ったので、早稲田でキャプテンをしたことは人生で誇れることなのかなと思います。得たものというよりは、この経験が財産だと思います。

――次期駅伝主将の伊藤大志選手に期待することは何ですか

昨年からキャプテン補佐として3年生以下をまとめることは自らやってくれていたので、ありのままの大志でいてくれればみんながまとまってくれると思います。あまり気負わずに、自分の成績の殻を破ってくれればチームとしてもまとまると思います。

――新チームはどのようなチームになってほしいと思っていますか

頑張れと言ってもみんな頑張ってくれると思うので。僕の来年の目標は箱根の解説席にいることなので、後輩たちが出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)、全日本と頑張ってくれて、箱根で優勝候補になってくれれば僕も仕事が回ってくると思います。みんなには僕を解説者席に立たせてくれと伝えています。

3000メートル障害で早稲田から世界へ

日本選手権では3位に入り、世界が見えてきた

――4年間在籍した競走部にはどのような思いがありますか

同期には恵まれていたなと思います。短距離の方もシニアの舞台で活躍している選手も多いので、4年間いろいろな刺激を受けて競技ができたと思います。大学に入って強い選手が集まる環境でできたことは本当に良かったなと思います。長距離に限らず、短距離も強いというのが早稲田の強みだと思うので、そこも含めて刺激を受けることができて良かったです。

――1年生の時の対談で、「トラックで活躍したい」ということはおっしゃっていましたが、4年間で菖蒲選手の思い描いていた選手像に近づきましたか

何かしらのかたちでJAPANのユニホームを着たいと思って入学して、達成することができました。オリンピックや世界陸上の舞台で戦うことが現実的になればいいなと思って入学したのですが、今年のオリンピックは本気で狙いにいけるところまで来たなと思っています。1年時に立てた目標は100%に近い達成度ではないかと思います。

――4年間で最も印象に残っている試合を教えてください

2年生の時の出雲で1区2位で走れた試合です。バシッとはまって、うまく駅伝を走れたので印象に残っています。

――競走部で過ごした4年間を一言で表すと

幸せな4年間でした。同期に恵まれたのもそうですし、他の大学ではここまで3000メートル障害に特化して練習させてもらえないと思うので。僕自身、3000メートル障害を途中辞めようとしていた時期もあったのですが、礒先生(礒繁雄総監督、昭58教卒=栃木・大田原)が続けたほうがいいと言ってくださったことも転機ですし、それがなかったら今の自分になっていないと思います。その他もいろいろなことで早稲田に来てよかったと思うので、幸せな4年間だったです。

――花王に進路を決めた理由を教えてください

いろいろあるのですが、一番の理由は花田さんと仲のいい高岡さん(高岡寿成)が監督をしているからです。日本長距離界の指導者としてトップの立場にいらっしゃいますし、オリンピックや世界陸上に出場するための制度が複雑なのですが、そこへの理解もすごくある方です。そういった理由から花王の方に決めました。

――パリオリンピックを見据えているということですが、今後も3000メートル障害へのこだわりはありますか

そうですね。3000メートル障害で世界で戦っていきたいなと思います。

――三浦龍司選手(順大4年)や青木涼真選手(HONDA)もライバルになるかと思われますが、その点に関してはいかがですか

今後も戦っていかなければならないので、社会人になって今まで以上にトラックに専念できると思いますし、食う勢いでやっていければと思います。

――競走部の後輩たちへメッセージをお願いします

僕らの学年は3000メートル障害をやっている選手が多かったように、自分の得意な部分を出せた学年だったと思います。3年生以下の選手たちは真面目な選手が多いのでそこはいい部分だとは思うのですが、時には自分勝手になる部分も必要なのではないかと思います。

――最後に4年間応援してくださった方々へメッセージをお願いします

早稲田に来たからこそ、いろいろな方に出会えて、いろいろな方に応援していただくことができました。僕の競技人生はここで終わりではなく、これからも続いていくので、これからも応援していただければと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 近藤翔太)

◆菖蒲敦司(しょうぶ・あつし)

2001(平13)年12月16日生まれ。169センチ。山口・西京高出身。スポーツ科学部4年。第100回箱根9区1時間10分22(区間11位)。来年の箱根は記者席に座りたいと話してくださった菖蒲選手。伊藤大志次期駅伝主将が率いる新チームが優勝候補と言われるくらい成長できるように、そして菖蒲選手自身も世界の舞台で活躍できるように。今後も早大の活躍から目を離せません!

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