日本三大そばの1つ「出雲そば」の発祥は? 深く関わった松江藩士とは? 2月11日の「出雲そばの日」を前に起源を考える講演会

割子そば

 2月11日の「出雲そばの日」を前に、史料に基づいた起源を考える講演会が10日、松江市内であった。松江歴史館の元学芸員で、追手門学院大の西島太郎教授(54)=歴史学=が出雲そばの「発祥」に深く関わった松江藩士・岡田信世(のぶよ)について詳しく解説した。

 生地を伸ばして麺状に切る「そば切り」は、松江松平藩初代藩主・松平直政が1663年、江戸の松江藩邸で提供した記録が残る。

 「出雲国」でそば切りの記述が文献に出るのはその3年後、出雲大社の上級神職の日記に岡田が自邸で振る舞ったとある。

 西島教授は「松江藩の岡田に関する記録が簡略で詳細が不明だった」とし、岡田氏の家譜などから事跡をたどった成果の一端を紹介した。

 岡田は松平直政が将軍の名代で宮中へ上がる際、兵糧や武具を整える役を務めており、大坂(大阪)や京都の食文化に触れたことや江戸を訪れた経歴などから西島教授は「そば切りを学ぶ機会があったと考えられる」とした。

 出雲大社の造営を指揮するなど直政の信が厚かった岡田は、現在の松江市北堀町にあった屋敷で死去したと伝わる。藩の重臣が住んだ場所で、西島教授は「出雲のそば切りの初見の地と言える」と説明。出雲そばについて「今の形になるまでの過程をさらに研究する必要がある」と結んだ。

 講演は「松江そば文化ブランド化推進協議会」(田部長右衛門会長)が開き、30人が聴いた。

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