イラクにサウジ...“守るだけ”のチームはノックアウトされる運命にあった【コラム】

「守りを固める」

アジアカップの戦いは、その意味を濃厚に伝えている。

決勝トーナメント、イラクは終盤でヨルダンを2-1とリードした。日本戦でもゴールを決めたアイメン・フセインのゴールは素晴らしく、チームがベスト8進出を確信したようなところがあった。リードした必然で、守りに対する比重は大きくなっていた。しかも、フセインがゴールパフォーマンスを問題視され、2枚目のイエローカードを受けていたのである。これで退場が決定。エースを欠き、一人少ない状況になっていたのだ。

イラクは文字通り、守りを固めている。ほとんど全員が自陣に引いて、とにかく攻撃を跳ね返す。その辛抱の中で、「ゴールを守って、勝ち逃げしよう」という魂胆だ。

しかし、最後の最後でゴールをこじ開けられて同点弾を浴びる。そのショックを引きずっていたのだろう。立て続けに失点を喫し、2-3という世紀の逆転負けを喫したのだ。

なぜ、彼らは守り切れなかったのか?

イラクは守りに入った時、気持ちまで守りに入ってしまった。つまり、受け身になり過ぎた。せっかくボールを持っても、渡された爆弾のように突き返し、ボールプレーから完全に逃げた。これによって、ボールを持って押し込む相手を脅かせず、やりたい放題に攻め込まれ、やがて“サッカーの神様から審判を受けた”のである。

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守り切れる伝統を持つイタリアサッカーが「カテナチオ」を用い、「ウノゼロ」の勝利の方程式に持ち込めるのは、「決して気持ちが逃げないから」と言われる。彼らは守りに入ることにマゾヒズムの喜びを感じ、相手を苦しめているサディズムに恍惚となれる。だからこそ、守りながらも常にカウンターの一手を残しているし、相手を脅かすことによってラインをコントロールし、守り切れるのだ。

その点、サウジアラビアを率いたイタリア人監督、ロベルト・マンチーニは忸怩たる思いだろう。後半アディショナルタイム、それも終了1分前まで1-0とリードしていたにもかかわらず、韓国にCKから同点弾を浴びて追いつかれてしまった。イタリアの流儀からすればあり得ないことで、その流れで延長戦からPK戦に突入し、敗れ去ったのだ。

終盤、サウジの選手たちは完全に守りに逃げていた。ロープにもたれて、ずっとパンチを打ち込まれる弱腰のボクサーだった。卑屈になる状況ではなかったにもかかわらず、少しもやり返す意思を示せない。「時間よ、過ぎてくれ」と祈るだけで、いつかはノックアウトされる運命だった。それが最悪のタイミングで巡ってきたのだ。

「守りを固める」

それは“守るだけ”では足りないのだ。

文●小宮良之

【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たし、2020年12月には新作『氷上のフェニックス』が上梓された。

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