「料理で被災地を元気に」夫婦が営む総菜店 メニューは数百種、みんなが『喜ぶ家』福島

震災からの復興を目指す福島県広野町に去年、小さな総菜店がオープンしました。この店には、どこか懐かしい家庭の味を求めて多くの人が訪れます。店を開いたのは、震災をきっかけに町に移住した夫妻。「子どもからお年寄りまでみんなに喜んでもらいたい」店にはそんな2人の夢が込められています。

広野町の国道6号沿いにある「惣菜弁当KIYA(きや)」。店に入ると、鶏の唐揚げや黒酢酢豚の香りが食欲をかき立てます。

どれも、できたて。バラエティ豊かなメニューが、日替わりで30種類並びます。好きなおかずを選んで、オリジナルのお弁当を楽しめるのが店の売りです。

メニューはどんどん増えて「何百も」

厨房で腕を振るうのが、蛯原宏行さん(57)。妻の紀子さん(54)と、二人三脚で店を営んでいます。

蛯原宏行さん「やっぱり料理はおばあちゃんとかお母さんの味付け。頭に入っているから。カボチャなんかやっぱりおばあちゃんの味付けにしている」

どこか懐かしい家庭の味。唐揚げを食べるそんな味を求めて、昼時には多くの人が店を訪れます。

会社員「家庭の味に飢えているので、単身赴任なので。だから最高です。やっぱり人柄がいいじゃないですか。雰囲気もいいし、しゃべってくれるし」

2人のその気さくな人柄が、胃袋だけでなく、お客さんの心も掴んでいるようです。

蛯原紀子さん「(メニューの数は)数えたことないです。どんどんどんどん増えて何百あります。」

震災後「自分も何かやらなきゃと」

相馬市出身の宏行さんは、高校を出てすぐに上京。大学時代のアルバイトで接客業の楽しさにはまり、卒業後は弁当店などで料理の腕を磨いてきました。

宏行さんが働いていた店は今も東京・世田谷区にあります。「KIYA」という店名もそのまま引継ぎました。

宏行さんが広野町への移住を決めた理由、それは、東日本大震災でした。

蛯原宏行さん「相馬でいろいろ見てテレビで悲惨な所を見て、いつかきっと自分も何かやらなきゃいけないなっていうのがあった」

紀子さん、最初は不安でいっぱいだったそうです。

蛯原紀子さん「絶対こっち来た方がいいのは自分でもわかっていたので、それを自分に言い聞かせて言い聞かせて、ついて来たら絶対大丈夫だって信じ込ませて」

そして2人は「自分たちが作る料理で被災した地域を元気にしたい」と考えます。店には、いわき市から大熊町や双葉町へ通う作業員も多く訪れていて、宏行さんは、復興の歩みを少しずつ感じています。

蛯原宏行さん「どんどん変わっていくんだなっていうシーンは目の当たりにしてますよ。もっと早く変わっていってほしいし、本当にいい町になってほしいです。」

店名の由来は「喜ぶ家」

去年店をオープンして以来、町の人たちとの輪も広がりました。町内で交流スペースを運営している青木祐介さんもその一人です。

青木祐介さん「優しさに尽きますね。とにかく優しいのと、誰かに喜んでもらいたいっていう2人の思いがものすごく出ていて、もちろん店内にも出ていると思うんですよね。ここに来ると家に帰ってきたみたいな」 蛯原宏行さん「喜ぶ家と書いてKIYAなんです。」

店に来た人すべてに喜んでもらいたい。その想いから、店には子どもたちの遊び場が設けられています。ここでは、地域の人を招いて紀子さんがワークショップを開くことも。

蛯原紀子さん「子どもからご年配の方まで男女問わずみなさんに来ていただいて、来て良かったな楽しかったなって思ってもらえるようなお店にしたいと思っています。」 蛯原宏行さん「楽しめるお店、みんなが来て楽しんで行って、また来てくれてというお店にしたい」

広野町の小さな総菜店。おいしい料理の香りが漂う店には「みんなの喜ぶ顔が見たい」そんな夫婦の願いも詰まっています。

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