大谷翔平&山本由伸も知らない「ドジャース秘史」ベーブ・ルースが“客寄せ役”に、「ノモ・マニア」に続く日本人は

ベーブ・ルースにとってMLBでの最後の仕事になった

2.10キャンプイン! 1500億円“大補強”で大谷翔平と山本由伸が加入したドジャースが誕生したのは、19世紀後半。伝統ある球団の知られざる歴史を、メジャーリーグ評論家、福島良一氏が解説する。

■ 秘史1 <チーム名の由来はトロリーバス>

「ドジャースとは『dodge(ドッジ/よける)人たち』という意味があり、ブルックリン地区で走っていた路面電車(トロリーバス)をうまくよける住民たちに由来しているとされています」

■ 秘史2 < “野球の神様” が客寄せパンダに>

ヤンキースやレッドソックスで活躍したベーブ・ルースだが、じつはドジャースに在籍していたことがある。

「引退から3年後の1938年、一塁コーチとして契約しました。本人は監督を希望していましたが、チームは興行面を優先し、客寄せパンダとしてグラウンドに立たせたかったのです。不満を持ったルースは1年でチームを去りました」

■ 秘史3 <大谷もびっくり! 三刀流の選手がいた>

「1946年に現NBAのセルティックスと契約したチャック・コナーズは、その3年後にドジャースとも契約しました。ところが野球の実力はそれほどでもなく、翌年にトレードに出され、マイナー落ちしました。そんな不遇時代に、端整な容姿から映画界にスカウトされ、俳優として成功したのです。テレビ西部劇の『ライフルマン』で主演し、日本でも人気者となりました」

■ 秘史4 <歴史と伝統を重視し、球団マスコットは不在>

メジャー球団ではマスコットを採用するケースが多いが、ドジャースにはいない。

「歴史と伝統を重んじるためです。そこには『流行には左右されない』という誇りがある。ちなみにヤンキースにも、マスコットは不在です」

■ 秘史5 <兜のお披露目は昨季が最後だった!?>

本塁打を打った選手を、ベンチにいる選手が盛り上げるホームランセレブレーション。エンゼルスでは日本製の兜をかぶり、話題になった。

「ドジャースでは、マスコットと同様、伝統と相手投手へのリスペクトの意味もあり、おこなっていません。ただ、ファンは他球団をうらやましがっており、大谷加入でどう変わるのか楽しみですね」

■ 秘史6 <球団史を語るうえで外せない日本人がいる>

「早稲田大学野球部で活躍したアイク生原(生原昭宏)さんは、1965年に単身渡米し、ドジャース傘下のマイナーリーグで靴磨きなど用具係を務めました。その献身ぶりを受けて、当時のオマリー会長が特別補佐に指名。日米交流に多大な貢献をしたほか、ソ連(当時)や中国などへの野球の普及活動に奮闘しました。その功績は、会長が『彼こそが国際親善大使だ』と、最大級の賛辞を贈ったほどです」

■ 秘史7 <MLBでただ一球団、専用機を持っていた>

「現在、MLBの30球団は、すべてチャーター機で長距離移動していますが、ドジャースは一時期、唯一専用機を持っていたんです。これはオマリー会長が『利益は選手に還元しよう』と決めたため。座席はすべてファーストクラス仕様で、選手は体を休めることができました」

■ 秘史8 <「俺の体には青い血が」顔を殴られた名将は……>

「1976年から20年の長きにわたって指揮を執ったラソーダ氏は、チームカラーにちなんで『俺の体には青い血が流れている』という名言を残しています。そんなラソーダ氏は1980年、前年に解雇されたジム・ラフィーバー元コーチとテレビ局で遭遇し、言い合いの末に顔面を殴られました。ラソーダ氏から流れた鼻血は、やはり赤でした(笑)」

■ 秘史9 < “ノモ・マニア” に続き “オオタニ・マニア” が!?>

1981年、フェルナンド・バレンズエラ投手が開幕戦から8連勝し、しっかりとロスっ子の心を掴んだ。

「彼はその年、史上初めて新人王とサイ・ヤング賞のダブル受賞に輝きました。熱狂的なファンがつき、彼らは “フェルナンド・マニア” と呼ばれました。1995年には、野茂がトルネード投法でメジャーを席巻し、 “ノモ・マニア” が誕生。2024年には、 “オオタニ・マニア” “ヤマモト・マニア” が誕生するかも注目です」

2人が球団の歴史に名を連ねるシーズンは、まもなく開幕する。

写真・アフロ、共同通信

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