クリントン政権下「アメリカ極悪刑務所」で暴動が勃発したワケ… 警察制圧後に待ち受けていた“地獄”

暴動自体は機動隊によってすぐ鎮圧されたが…(Yevhen Shkolenko / PIXTA)

映画「HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~」や連載中の漫画「チカーノKEI〜米国極悪刑務所を生き抜いた日本人〜」などで知られるKEIさん。

現在はボランティア活動や、ファッションなどのプロデュースを手がけているが、かつては「ヤクザ」として悪の道を突き進んでいた。

その結果、KEIさんは覚醒剤密売の容疑によってFBIのおとり捜査で逮捕され、アメリカの刑務所の中でも凶悪犯罪者が集まる「レベル4」や、終身刑を受けた囚人だらけの「レベル5」の刑務所で計10年以上収監されることになった。

本記事では、KEIさんが実体験したアメリカ極悪刑務所内の文化や出来事などを紹介。連載第4回目は、KEIさんが経験したプリズン内での暴動の話を紹介する。(全5回)

(#5に続く)

※この記事はKEIさんの書籍『アメリカ極悪刑務所を生き抜いた日本人 改訂版』(東京キララ社)より一部抜粋・構成。

大統領が公約違反、囚人の怒り爆発

自分がオレゴンの刑務所に入所してしばらくしたときのことだ。このオレゴンの刑務所で大きな暴動が起こった。原因は当時のクリントン大統領が、選挙公約に恩赦の日数を倍に増やすことを掲げていたのに、当選してもそれを守らなかったこと。

恩赦をあてにしてた囚人の怒りが爆発し、それに便乗して日頃の鬱憤をはらそうとするヤツらが一斉に暴れだした。

ベンジンで作った火炎瓶が飛び交い、あっという間に刑務所中に火の手があがる。自分は部屋から冷静に暴動の様子を眺めていたが、なかには後先考えずに自分のベッドに火を点けるバカもいた。

そんなヤツらに「暴動終わったらどこで寝んのよ?」って言ってやるとやっと冷静になるんだけど、そのときはベッドなんて真っ黒に燃えたあとだからもう遅い。

至る所で死人…暴動後に待ち受けていた地獄の3か月

暴動では死者が出ることも(提供:書籍『アメリカ極悪刑務所を生き抜いた日本人 改訂版』より )

暴動そのものも凄かったが、本当の地獄は鎮圧されたあとに待っていた。突入してきた機動隊が盾を持って突入してくると、暴徒はあっという間に押さえつけられた。暴れたヤツだけでなく、自分も含めた囚人全員が部屋の中に閉じ込められると、出られないようにロックダウンされた。

アメリカの房は二人一組が原則だ。全部屋に施錠された鍵は、それから3か月先まで開くことはなかった。

食事は朝昼晩の3回、小窓から支給されるサンドイッチのみ。部屋にはベッドの他に剥き出しになった便座があるだけだ。そこにずっと二人っきり。運動なんかもできないし、ボーッとする意外に何もやることがない。当然、囚人たちの間でイライラがつのっていく。

そんな状態が何日間も続いていると、今度は同部屋の囚人同士による殺し合いが始まった。一人がサンドイッチを食っているときに、もう一人が便座でクソし始めたりと、きっかけは単純だ。

タバコが吸えないイライラも暴力の引き金になった。室内にタバコは隠してあるんだけど、ライターはまた別の場所に隠してあるので、部屋に閉じ込められたままではタバコが吸えない。このもどかしさもイライラの原因となり、同部屋の囚人同士、些細なことで大喧嘩となった。

喧嘩に負けて重傷を負った囚人が部屋でうめいていても、一切、鍵は開けられなかった。刑務所の大きさにもよるが、いつしかそのうめき声が聞こえなくなり、そいつが死体となったとしても鍵は開かない。同部屋の囚人を殺してしまったヤツは、それから鍵が解錠されるまでずっと、遺体とともに過ごすことになる。そんな感じで、至る所で死人が出た。

原則として、相部屋となる相手は自分たちで決めることになっている。何となく気の合う者、もっと言うなら、殺し合わなくて済む者同士が、自分たちの意志でペアになるのだ。もしこれをお巡りが勝手に決めたら大変だ。敵対するグループ同士を同部屋なんかにしたら、間違いなく殺し合うことになる。

(第5回目に続く)

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