【霞む最終処分】(20)第3部 決断の舞台裏 国策の犠牲にならない 地上権設定勝ち取る

中間貯蔵施設を受け入れた当時の心境を語る伊沢

 2014(平成26)年1月、福島県双葉町長の伊沢史朗は東京電力福島第1原発事故に伴う避難によって荒れ果てた町内の自宅で、復興相の根本匠に問いかけた。「双葉町は再び国策の犠牲になってしまうのですか」。中間貯蔵施設を町内に設置するかどうかの判断を迫られていた。町に立地する福島第1原発で未曽有の事故が起き、安全神話が崩壊した事態に不満を募らせていた。

 伊沢が双葉町長に就任したのは2013年3月。当時、中間貯蔵施設の候補地は楢葉、大熊、双葉の3町に絞り込まれていた。前町長の井戸川克隆は設置に反対の意向を示していたが、伊沢は「復興を考えれば、どこかは受け入れなければならない。政府は最終的には双葉町への設置を求めてくるだろう」と感じていた。本当なら反対したい―。しかし、町内外の除染で出る大量の土壌を他に受け入れる場所があるとは到底思えなかった。

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 候補地の一つだった大熊町の幹部も同じ葛藤を抱えていた。副町長の鈴木茂は、町長の渡辺利綱が苦悩する姿を目の当たりにしてきた。「復興のためを思うと、受け入れざるを得なかった。ただ、町民の反発は大きかった」と振り返る。

 2014年2月、県は中間貯蔵施設を大熊、双葉両町に集約する配置案を示した。伊沢は覚悟を決めた。渡辺とともに用地交渉を巡って環境省や県と激論を交わした。環境省は当初、用地を国有化する方針を掲げ、原発事故を理由に土地を事故前の半額程度で買い取る案を示した。担当者の態度は「上から目線」に映った。

 先祖代々受け継がれてきた土地を売るのをためらう町民は多かった。伊沢は借地権の一つ「地上権」の設定を認めるよう環境省に訴えた。大切な場所を手放さず、国の施策を注視する「切り札的な意味合い」があった。だが、環境省は首を縦に振らなかった。世代交代する時に相続手続きが難航しかねないことなどを理由に挙げた。

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 同じ年の夏、伊沢は根本と面会し「『日本一の迷惑施設』を受け入れるには国の支援が欠かせない」と本音をぶつけた。

 伊沢の熱意は政府を動かした。環境省は地上権の設定を容認。国は中間貯蔵施設交付金のうち計850億円を大熊、双葉両町に直接交付すると決めた。県は地権者の生活再建策などとして両町に計150億円を拠出するとした。伊沢は2015年1月、中間貯蔵施設の受け入れを町議会に報告した。「国の犠牲にはならない。国や県とぎりぎりの交渉を繰り返して決断した」と迷いはなかった。

 施設受け入れを決めた際、県と大熊、双葉両町は環境省と施設の安全確保に関する協定を結んだ。県外最終処分後の地域発展への願いが込められていた。(肩書は当時、敬称略)

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