【連載】箱根事後特集『萌芽(ほうが)』 第11回 花田勝彦駅伝監督

対外的には総合5位以内を目指して臨んだ東京箱根間往復大学駅伝(箱根)。しかしその裏では複数の主力が直前に体調不良を起こし、シード権を目標へと下方修正していた。そんな苦しい台所事情の中で、花田勝彦駅伝監督(平6人卒=滋賀・彦根東)が何を意図して区間配置を決め、箱根当日は何を考えていたのか。今後の展望も合わせて、花田監督の胸中を伺った。

※この取材は1月14日にオンラインで行われたものです。

往路はトータルで満点

合同取材での花田駅伝監督

――まず万全ではなかった中での総合7位をどのように捉えていらっしゃいますか

クリスマスの時期に6区を予定していた北村光(スポ4=群馬・樹徳)が、翌日には伊藤大志(スポ3=長野・佐久長聖)がインフルエンザで発熱をしてしまいました。非常にチーム状況は厳しかったので、当初立てていた目標からは下げて、シード権というところに切り替えました。8番からひょっとしたら11番もあるのかなと予想していた中で、選手たちもよく頑張ってくれて(予想の最大値の)、1つ上の7番でゴールすることができました。(レースが終わって)ほっとしたというのが正直な感想です。

――インフルエンザが出るまでのチーム状況は完璧だったのでしょうか

完璧とまではいかないですけども、11月に全日本(全日本大学駅伝対校選手権)でシード落ちしてからは、チームを立て直せていたと思います。不調だった工藤慎作(スポ1=千葉・八千代松陰)の調子が上がってきたということで、伊藤大志を平地で使える見通しも立っていました。年度初めに立てた(総合3位以内の)目標に近いところまではいけると予想していました。

――佐藤航希(スポ4=宮崎日大)選手の起用を見送った理由はありますか

佐藤は2月に延岡(延岡西日本マラソン)で優勝したのは良かったのですが、そこから調子が上がりませんでした。夏の海外遠征に行った後はまた上がってきたのですけど、上尾(上尾シティハーフマラソン)の後から、昨年にもあった腹痛が練習中に起きるようになりました。練習を途中でやめたり痛みで走れなかったりが続いて、本人も自信がなくて、私たちも送り出せませんでした。(レースの途中で)止まってしまうのではないかという不安もありましたので。(佐藤が)使えなかったのはチームとして、戦力的な面で厳しかったです。

――それでは箱根の当日の話に移らせていただきます。往路の選手の走りを総括していかがですか

トータルで見れば満点をあげられる内容でした。

――ハイペースになった1区、間瀬田純平(スポ2=佐賀・鳥栖工)選手の走りを振り返ってですか

間瀬田は非常に調子が良くて、本人は区間賞争いという話をしていました。ですがスタート前に変更オーダーを見た時に、ハイペースになることが想定されましたので(事前の)想定タイムより速くなる可能性があり、心配をしていました。結果的にハイペースになって後半少し対応できなかったですが、前が見える位置で渡してくれたので、最低限の仕事をしてくれたなと思います。

――続く2区では山口智規(スポ2=福島・学法石川)選手が8人抜きの好走を見せましたが、監督自身手応えはあったのでしょうか

上尾で早大記録を出す走りをしていましたので、力を出し切れば1時間6分台はあるなと思っていました。一方で昨年は出走していなくて、今年はエース区間ということで、緊張しなければいいなという不安はありました。本人も目標タイムは6分台から7分前半くらいで想定していました。ただ少し気楽にいかせたかったので、「7分半でもいいよ」と送り出しました。貰った位置が前が見える位置だったのもありますし、状態も良くスタートラインに立てたので、チームの流れを変える素晴らしい走りを見せてくれたと思います。

――2区の早大記録を更新されたのはいい意味で想定外だったのでしょうか

そうですね。ただその時はすごく良かったと思いましたが、記録というのは毎年更新されていくものです。同級生の黒田くん(青学大)に負けたことや区間4位だったということで、満足する結果ではないという話は本人ともしました。

――山口選手がチームの中で突き抜けた存在になりましたが、その要因はどのように捉えていますか

昨年は箱根や都道府県(天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝)にも出られずに非常に悔しい思いをしました。どん底を味わった中で、今年は海外遠征や関カレ(関東学生対校選手権)での上位争いなど色々な経験を積んできました。練習に関しても、どの選手よりも非常に高いレベルを求めて取り組んでいます。上を目指す意識が結果につながったのかなと思います。

――続いて3区の辻文哉(政経4=東京・早実)選手について伺います。もともと伊藤大志選手が予定していたものの、走れなくなった中で、復路予定の選手から辻選手を選んだ理由というのは何がありますか

12月中旬くらいから工藤の調子が上がってきましたが、もともと工藤の山登りで目途が立つまでは辻が往路の可能性はありました。ですのでもし伊藤大志が5区を走ることになった場合や、往路に欠員が出た場合は、辻に「3区をいってもらうよ」という話は前からしていました。また彼は1年生の時に全日本で1区を好走しています。相楽前監督(相楽豊現チーム戦略アドバイザー、平15人卒=福島・安積)からも練習をしっかりとできていてスタートラインに立てたら、本番は強いという話も聞いていました。そういった中でも1時間3分前後、もしきつければ3分半かかると思っていました。1時間2分30秒台で来ましたので想定を上回る走りをしてくれたと思います。山口の走りもチームの流れを変えましたけど、往路の流れを決定づけ、私たちにも自信を与えたという面で、今回の駅伝のMVPだと評価しています。

――4区の石塚陽士(教3=東京・早実)選手は脚が万全でないという風に伺いましたが、そこについては監督自身不安はありましたか

当初は昨年2区を走らせたので、もう1回2区を走らせるつもりで1年間やってきましたが秋以降調子が上がりませんでした。もう少し状態が上がれば3区も考えていましたが、12月に入っても練習自体は良くなってきた一方で、本人が自信を持てていない状況でした。それであれば過去にも経験している4区で悪くてもまとめられると思い、(4区で)起用しました。石塚に関しては12月20日の時点で4区に決めていましたが、本当に悪いなりにまとめてくれたので(チームにとって)大きかったです。

――続いて5区の工藤選手について伺います。工藤選手は以前から山の準備はしていたのでしょうか

もともと登りが得意だったので、夏合宿も妙高で上り坂の練習もさせていました。伊藤大志よりも登りが非常に強かったので、年度初めは、工藤が5区で伊藤大志を主要区間で使いたいという構想がありました。しかし出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)、全日本の段階では調子が上がらなくて。本人も自信がない状態だったので、12月のエントリーの段階では今回の出走はないかなと思っていました。ただエントリー後に本人も登りの練習をしてみたいということで、伊藤大志と練習をさせた時に、本人も感覚がすごく良かったと。一緒にやった伊藤大志もこのまま調子が上がれば、工藤が登れるのではないかと言っていました。ただ正直なところ、大会1週間前までは伊藤大志6割、工藤4割で考えていました。しかし(直前に)伊藤大志が体調を崩して、工藤にいってもらうしかないということになりました。試合に向けての調整自体はうまくいっていましたが、本人もプレッシャーを感じていたらしく、前日や当日もかなり緊張しているという話を聞いていたので、心配はしていました。その中で、前半に落ち着いて入っていけたのが良かったです。また創価大の吉田響選手は寒さで動かなかったという話もありましたが、他のチームの選手も力を発揮できませんでした。本人は悪天候もそこまで苦手としていなかったので、天候にも恵まれて運が良かったと思います。

――実況では、花田監督が工藤選手を山の名探偵と名付けたとありました

私が名付けたというわけではないですが(笑)。入部した時にアニメ名探偵コナンに登場する工藤新一と1文字しか変わらないので、5区を走れば山の名探偵になるよねという話を(周りと)していました。スタートした時も本人を和ます意味で「山の名探偵、この難問を解いていこうか」と言いましたが、本人も逆にそこで落ち着いて、楽しみながら走れたと思います。

確実につないだ復路

――続いて復路ですが、復路のメンバーは往路のレース結果を踏まえて変更したのでしょうか

北村はもともと使えない状況でしたが、伊藤大志は状態が上がってきていたので、往路の結果によっては彼を使うことも考えていました。往路が想定よりも良くて貯金があったので、復路は無難にいこうというところで当日のオーダーになりました。また他大学が体調不良になった選手を使って、後半失速していましたので。今回走った栁本匡哉(スポ4=愛知・豊川)や諸冨湧(文4=京都・洛南)、走らなかった宮岡凜太(商2=神奈川・鎌倉学園)も非常に(調子が)良かったので、相楽チーム戦略アドバイザーとも往路が終わった夕方に相談して、確実につなごうという話になりました。

――今お話にあった栁本選手や諸冨選手は急遽の出走となったわけですが、改めてその走りを振り返っていかがですか

栁本に関しては北村がクリスマスに体調を崩した時点で走る可能性は高いという話はしていましたので、準備の時間はあったとは思います。ただエントリーの時もぎりぎりで(入って)、北村に何かがあれば走ってもらうということでしたが、北村の調子がずっと良かったので外れることはないという状況でした。栁本は12月からは練習もできていて自信を持っていたので、ある程度想定タイムを下げながらも確実にいってくれると期待して送り出したのですが、プレッシャーもあったと思います。前半から動かなかったこともあって想定よりは良くなかったですが、もし62分や63分かかってしまったら、チームとしては危なかったので悪いなりにまとめてくれました。

――ある程度順位が落ちるのは想定内でしたか

そうですね、6区で思いのほか貯金がなくなってしまいましたが、6区・7区でどこまで踏ん張れるかとは考えていました。7区の諸冨は目標としては1時間4分前半をリクエストしていましたが、想定としては4分30秒でしたので結果的にピッタリのタイムで走ってくれました。一緒に並走していた石原くん(東海大)が調子が良くなかったので、本人も(前に)いきたいという気持ちはあったと思いますが、7区に関しては確実に守る走りをしようという話をしていました。かなり調子がよかったのですが、前半は少し我慢をして後半の5キロになったら行こうという指示通り、最後しっかり伸びた走りをしてくれたと思います。

――8区から10区は昨年とメンバーが全く同じでしたが、経験を重視するという意図があったのでしょうか

8区の伊福(陽太、政経3=京都・洛南)に関しては力のある選手ですので他の区間で使うということも考えましたが、全日本で失敗した経験もあったのでリスクを考えて前回走った区間に起用しました。力的にはあのくらいで走れるとは思っていましたが、想定タイム自体は昨年と同じくらいでいいという風に送り出しました。全日本と同じで、シード権を争う順位でタスキをもらって本人はかなりプレッシャーを感じていたようですが、その中で自分の力を出してくれたと思います。

――山口選手のときもプレッシャーを与えないようにあえて遅めのタイムを言っていたようですが、選手の精神状態も考慮して目標タイムを言い渡しているのでしょうか

本来であれば、届きそうで届かない設定にして攻めの駅伝にするのがセオリーだと思います。ただ今回に関しては、チーム状況がクリスマスを過ぎて悪くなった時点で目標タイムを下方修正しました。プラスアルファが出るような、最低限これくらいだったらいけるよねというタイムを出すことで、選手たちに自信をつけさせてあげたかったからです。確実に本人たちがクリアできるタイムということで10時間57分25秒で設定したのですけど、結果的には10時間56分40秒できっちりクリアしてくれました。往路の設定タイムは5時間27分50秒の8位から10位でしたが、タイムと順位ともに上回ってきました。復路に関しては、予想していたタイムより1分くらい悪かったですが、7区から10区までを見ると想定通りでした。多少はでこぼこがありましたが、終わってみればプラスアルファが出たのかなと思います。

――伊福選手は、自信を取り戻す走りができたと思います

早い段階で失敗を取り戻すことができたので、良かったです。全日本の後も、どういうかたちで自信を取り戻させるかというところで、1万メートルを走らせて自己ベストも出しました。今回の試合に関しても、箱根を意識させるとプレッシャーに感じるかなと思ったので、2月に走る予定の延岡西日本マラソンに向けたハーフの練習だと思って行こうと送り出しました。「本人は身体が固まった」と言っていましたが、力を出してくれたと思います。

――伊福選手と同じく、10区の菅野雄太(教3=埼玉・西武学園文理)選手も区間5位で好走されました。一般組の成長に関してはいかがですか

2人には昨年走った時は区間10位でしたので、「今年メンバーに入るには区間5位で走らなくてはダメだぞ」という話をしていました。そういう中で1年間かけて、きっちり区間5位まで力を上げてきたのはすごいと思います。

――菅野選手の対談で、音楽にまつわる声かけをしていただいたという話を伺いました。選手の特徴に合わせた声かけというのは、事前に決めておくものなのでしょうか

そういうわけではないですけど(笑)。私も聞かせてもらったことがあるのですけど、菅野はピアノのショパンの曲が非常に上手なんです。それで昨年、「ショパンのリズムでいこう」と声かけをしたら「緊張がほぐれた」と言っていたので、今年も最後の方は音楽系で攻めてみようかなと(笑)。菅野はタイム設定を指示しなくても本人の中で頭の中にストーリーを描いているので、私も本当に自信を持って送り出しました。ですので指示的なアドバイスは必要なかったです。逆に、リラックスして走るための声かけの方が大事だと思っていました。それで「アレグロのリズムで行こう」とか色々言っていましたけど、最終的に法大とは5秒差で勝てなかったので。菅野にタスキが渡る前に、相楽くんから「法大と1分ちょっとの差なのでしっかり詰めさせてください」と言われていました。今思えば、駒大の大八木さんのような、むちを打つような声かけもすべきだったのかなと。ただ非常にいい走りをしてくれて、10区間の中で一番安心して見ていられました。

――最後に9区の菖蒲敦司駅伝主将(スポ4=山口・西京)の走りを振り返っていかがですか

終わってみると、もう少し頑張ってほしかったというのは正直あります。ただ今シーズンは3000メートル障害をずっとやってきて、夏の走り込みも距離が踏めていなかったというわけではないですが、トラックに大きく振った分ロードに戻すのも大変だったと思います。ですので秋シーズンも調子がなかなか上がりませんでした。しかし、12月のチーム状況が悪くなったときに「僕はいけます」と自信を持って本番まで来てくれました。昨年(の箱根)は山口が直前に外れて(チーム内で)11、12番目から9区を走りましたが、今年は走るなら最初から9区というのを決めていました。

来年は優勝争いへ

1月31日に行われた早大競技会での様子。来年の箱根に向けて戦いはもう始まっている

――それでは箱根全体の振り返りに移らせていただきます。今年は他大学を含めて、感染症が結果に大きな影響を与えました。寮生活をしていく中で難しいとは思いますが、何か対策を考えていましたら教えて下さい

今考えてみると、油断があったのかなと思います。昨年はコロナがあったので、12月は長距離ブロックと短距離ブロックで食事の時間やお風呂の時間を変えて、密にならないようにしていました。今年は秋くらいはコロナやインフルエンザもまだ流行っていなかったので、その辺を徹底しきれていなかったのは私の反省としてあります。それでも最後の1週間に関しては、広まらずに最小限に抑えることができました。来年にむけて身をもって対策をしっかりやらなくてはいけないと、選手たちも知ることができたことは良かったです。

――改めて箱根の収穫を教えて下さい

主力を欠いた状態で5位とそれほど差がない7位だったので、底上げが確実に進んでいるという自信になりました。勝負事なのでたらればを言ってもしょうがないですが、北村、伊藤大志、佐藤が万全であれば、今回の城西大のような3位争いもできたと思います。昨年に関しては個の力を伸ばすという方針でやってきましたが、ふたを開けてみれば箱根に向けて準備をしてきた人がしっかりと本番で走ってくれました。そういった意味で(今年は)早稲田らしい駅伝ができましたので、来年は今目指している個の強さが備われば上位争いができると思います。来年は3位争いはしたいと改めて思いました。

――今城西大が3位に入ったという話が出ましたが、大学時代同期だった城西大の櫛部監督(平6人卒=山口・宇部鴻城)とレース後に何かお話はされましたか

終わった後も彼は取材されていて忙しそうだったので(できませんでした)。感想としてはやはりすごいなと思いました。山も準備してきて主要区間も揃えてきて、実力で勝ち取った3位だと思います。同期としては誇りに思う素晴らしい指導者で色々と学ぶことはありますが、来年は絶対に勝ちたいです。

――先ほど収穫を伺いましたが、反対に課題は見つかりましたか

課題はたくさんあったと思います。早稲田が周りから期待されていることは、シード権を取ることや今年のような順位ではなくて、優勝争いをして最終的に勝つことです。そのためには区間賞をとるような選手が出てこないといけません。今回の箱根で山口が他大学からエースとして認知される走りができましたが、そういった選手が1人と言わず3人、4人と出てくるようなチームにならないといけないです。特にそういった(区間賞をとれる選手がいない)ことが課題かなと思います。

――今後の流れについて伺います。1万メートルの記録は全日本の予選会に向けて狙っていくのでしょうか

はい。早いところでは1月、2月に1万メートルの早大記録会をやります。ただ1万メートルのタイムは伊藤大志や山口といった強い選手が試合に出ていないだけで、記録に関してはすぐに出せるかなと思っています。予選会を突破するのが我々の目標ではなくて、余裕を持った中で通過してシード権とは言わずに1つでも上を狙うようなチームにしたいです。

――今年の4年生は層が厚い学年でしたが、来年はどのようにその穴を埋めようと考えていますか

新入生にもいい選手が入ってきますし、1年生も今年は工藤しか走りませんでしたが出雲で好走した長屋(匡起、スポ1=長野・佐久長聖)、上尾を走った山﨑 (一吹、スポ1=福島・学法石川)もいます。山口の代も、宮岡や須山(向陽、スポ2=鹿児島城西)といった力のある選手が揃っています。逆に4年生が強かった分、上がってこれなかった選手が(抜けたことで)もっと頑張らなくてはという意識になると思います。今年は大きく伸びてくる選手が出てくると思いますので、不安よりは期待の方が大きいですね。

――次期駅伝主将の伊藤大志選手に期待されていることはありますか

やはり自分自身の競技力をしっかり伸ばして背中で引っ張るキャプテンになってほしいです。井川(龍人、令5スポ卒=現旭化成)の代や今年の4年生の代は、(私が指導できたのは)4年間のうちの半分以下でした。伊藤大志の代は3年間の付き合いになりますので、そういう意味では彼らが4年生になった時に高いレベルで勝負できる年だと思っていました。ですので伊藤大志とは(就任した)当初の時から、「もちろん毎年頑張らなくてはいけないけど、自分たちが4年生になった時に強いと思われるチームにしなきゃね」という話をしてきました。ですので、結果を出していくという面で頑張ってほしいと思います。

――早稲田の駅伝監督として2年目が終わりました。1年目とは違う2年目の気付きがあったら教えて下さい

上武大の時から、箱根の予選会があって箱根駅伝というスケジュールでしたので、初めて出雲があって全日本があってという年になりました。この1年間は初めてのことが多くて失敗も正直ありましたけど、学んだことも多かったので自分にとっていい経験だったなと思います。ただ最終的に箱根でシード権を落としたら、いい経験とは言っていられませんでした。選手たちが踏ん張ってくれたことに感謝しています。来年は今年のチャレンジが身になるようにして、また新たなチャレンジもしていきたいです。

――新しいチャレンジの内容を差支えがなけば、具体的に教えて下さい

早稲田でロードの記録会をやりたいです。他にも新しい取り組みはやっていきますので、チームとして魅力があってかつ、選手たちが強くなっていけるような環境づくりをしたいなと思います。

――昨年は個の強化を目標に掲げていましたが、今年はどのようなことを重点的に取り組みたいですか

個の強化というのは続けてやっていきたいです。一方で振り返ってみると、チームとしての強化という部分で手が回っていなかった部分もあります。一般組・推薦組という枠組みではなくて、将来的に競技を続けて日本代表を目指す選手と、箱根でしっかりと結果を出すグループの両方が目標を達成できるような取り組みを、選手とも相談しながら組んでいきたいです。

――最後になりますが新シーズンへの意気込みをお願いします

チーム全体としての目標は学生たちが話し合って決めることですが、私はこの間のミーティングで今度の箱根駅伝では、往路では優勝争いに加わって、総合でも10時間50分をきって3位以内に入れるチームにしたいと言いました。やはり周りから、早稲田が来たなと言われるようにしたいです。明確な目標は出さない方なのですけど、昨年はその辺をあいまいにして言い訳にしていた部分がありました。今年は強い決意で、皆さんの期待に応えられるような結果を出せるチーム作りをしたいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 飯田諒)

花田勝彦(はなだ・かつひこ)

1971(昭46)年6月12日生まれ。滋賀・彦根東出身。平6人間科学部卒。1994年日本選手権5000メートル優勝。アトランタ、シドニー五輪日本代表。2004〜2016年上武大学駅伝部監督、2016〜2022年GMOインターネットグループ・アスリーツ監督。2022年〜早稲田大学競走部駅伝監督。

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