鹿児島県立姶良病院(姶良市)の4人は1月11~15日、県災害派遣精神医療チーム(DPAT)として能登半島地震で被災した石川県内で活動した。病院や災害派遣医療チーム(DMAT)から情報を受け、地震後精神科に通院できていない患者を主に診察した。副院長で精神科医の堀切靖さん(60)を中心に、業務調整員で精神保健福祉士の永野貴大さん(38)と宮原昴貴さん(26)、看護師の豊大輔さん(47)の4人が5日間を振り返った。
-現地の様子と活動は。
堀切 珠洲市と輪島市で5人を診察した。一般の車が通れない場所へは自衛隊車両で向かった。ある患者は薬の服用ができなくなり、症状の悪化が懸念されていた。余震の度に本震を思い出したり、2次避難するかの選択を迫られたりと人それぞれ不安を抱えていた。道中でも、われわれが着ているDPATのジャケットを見た人から「お医者さんですか」と声を掛けられ、「眠れない、食欲がない」と相談を受けた。
-災害に対しどう心構えしておけばいいか。
堀切 いつどこで起こるか分からない。途方に暮れたり、絶望したりするのは当たり前のことで、前もって心の準備をするのは難しい。ただ、被災者の皆さんは助け合っていた。そうした姿は学びになる。
-現地で大変だったことは。
堀切 通れる道路が限られていて渋滞しており、移動に時間がかかった。輪島市で宿泊予定だったペンションはあまりの寒さで使えず、急きょ自分たちで寝床を探すことになった。
豊 自分自身が体調を崩してしまわないか、プレッシャーがあった。長時間の移動や慣れない雪でストレスが大きく、支援に行く側も体力が必要だと感じた。現地の医療関係者は休む間もなく、新型コロナウイルスに感染した人もいた。
-活動を通して感じた課題は。
永野、宮原 情報が入り乱れていて患者の名前も確かか分からない状態だった。精神疾患自体に偏見の目がある中、自分たちが接触することで表ざたにならないかと悩んだ。
堀切 患者だけでなく、被災者を支える市の職員なども心配や不安が強い様子だった。今後は支援者に対するサポートも必要だ。