連載『lit!』第88回:Elle Teresa、Moment Joon & Fisong…バッドなムードに抗うヒップホップ快作

最悪なことばかりである。悲観的で申し訳ない。ただ、これを読んでいる人の中にもそう思う人はいるだろう。もう一度言おう。戦争に災害に、政府の腐敗に、年末から年始にかけて“最悪”というほかない。幸いなことに、私自身は、近い間で起こったこれらの恐ろしいほどに最悪な出来事の、今のところは直接的な被害者ではないわけだから、世の中ではまだ幸運な位置にいるのかもしれない。

そうにも関わらず、年末年始、私は逃げていた。私生活からも社会の動きからも。いくつかのパーティにも逃げたし、映画館にも金がある限り入り浸った。そして部屋では、何回も聴いているような好きな音楽に。ニール・ヤング、Weather Report、シャーデー、スチャダラパー、宇多田ヒカル、ケヴィン・アブストラクト……。これらの共通点はお互いに何も関係なく(一応は)、私がその時気持ちよくなれる音楽だったということだ。好きなものを何も考えず聴く時間は時にセラピーになるし、悪いことではない。何よりも重要なのは、それをすることで何も発見する気がないこと。その時間は無力であることを許されるのだ。

ただ逃避にも飽きてくるというのが、飽きっぽい私自身でもあり、わがままな音楽リスナーなのだろう。そうなったら新しい音楽を聴けばいい。最も強い活力になり、現実と向き合わせてくれるのは、“新しい良いもの”なのだから。

ということで、前置きが長くなったが、すっかり落ち穂拾いと化したことでお馴染みの、年間ベスト明け、本連載新年一発目のヒップホップ回である。今回は年末年始にかけてリリースされた国内の新譜を5枚ほど紹介したい。これらは単純に“良い”だけではなく、逃避にも飽きた私の、バッドな年末年始を彩ってくれた作品たちでもあるのだ。

Elle Teresa『Pink Crocodile』

遠慮がなく、強さがあり、孤独で寂しそうでもあり、でもそんなこと気にしてなさそうでもあり、真っ昼間でも夜のドライブでも合うような。昨年リリースしたもう一枚『KAWAII BUBBLY LOVELY Ⅲ』が耽美的なメロディを獲得して、ムードを統一させるような作品であったとするのであれば、本作はラップ作品として、貪欲にサウンドを探求しながら、ユニークなモチーフを多く忍ばせる作品だ。当然、“つけま”とか“ネイル”とか“ビキニ”とか、身につけられるものを片っ端から身につけ(取り入れ)る様は、Elle Teresaの音楽表現と密接に関係していると言えるだろう。それが自分を高めるものであれば、遠慮することはない。身近な話題が多いからこそ、エンパワーメントにもなり得るのだろうし、ジャンクなものとして楽しんで聴けるような猥雑で身軽な要素だって兼ね備えている。または、それよりも多面性を最も強く求めているのかもしれない。何よりも個を打ち出すような音楽に対しては。あとは「Nail Sounds」のようなユーモアや「Miite」のような官能があれば文句なし。当然、チカチカするようなピンク色を言い訳に目を逸らしてはいけない。もっとも、この魅力的なラップと、US由来のサウンドをオリジナルに創作して身につける、音楽の愉快さを前に、目を逸らせるわけがないのだが。

Deech & Lil’Yukichi『Deech Got Yukichi 2』

これこそジャンクな音楽だろうというような、DeechとLil’Yukichiのラフなタッグ作。これはちなみに「2」と題されているように、『Deech Got Yukichi』(2021年)に続くタッグ作である。全10曲30分弱のコンパクトさで、DeechのリラックスしたラップとLil’Yukichiの安定したトラックが楽しめる。Elle Teresa、Bark、Leon Fanourakis、Watsonなどの客演陣も作品に抑揚を与えていて最高。さらっと流して聴けるような魅力に溢れるが、Deechの独特な声質もさることながら、サウス由来のLil’Yukichiによるオリジナルなビートの数々が楽しい。一方で、終幕2曲が感情的なメロディに乗っていることが(特にジャジーな最終曲「Yamazaki 2」の渋い着地)、アルバムに展開を与えていて、そこも好感触。本作や『Pink Crocodile』などを聴くと、国内ラップを標的とした“USパクリ論争”なんて心底どうでもよくなるのでは。

Moment Joon & Fisong『Only Built 4 Human Links』

この作品がリリースされたことを嬉しく思う。いや、具体的に言えば、そのリリースされた作品が複雑さと怒りに満ちていたことを。まさに苛烈かつ優しくビンタされたような思いだ。世に蔓延る欺瞞を狙い撃ちしながら、自らの内省にも向き合うようなMoment JoonとFisongによる本作には、まさしく多面性がある。それは、Moment Joonの『Passport & Garcon』(2020年)にもあったような、そんな多面性だ。2021年に彼が例の“引退宣言”をしたワンマンライブの題が『White Lies & Blue Truth』だったことも覚えている。その頃の彼と変わっていないことに、もっと言えば、まだ何かを諦めていないことに、私は安心したし、純粋に嬉しく思った。または、大阪出身のFisongとのタッグも助けになっているのだろうか。2人の地に足のついたラップは、もうすでに何作か作ってきたかのような安定感がある。前半と後半で切り替わるムードは、感情的な浮き沈みと人間の複雑さを垣間見せるが、個人的には7曲目「Waru/悪」の壮絶なストーリーテリングを聴いた後の、8曲目「Japanese Realism/虚」における〈僕の歴史になるだろう レシート〉などの生活を写したラインに、鮮明なレトリックを見た。

Die, No Ties, Fly『SEASONS』

VOLOJZA、LEXUZ YEN 、poivreによるユニットDie, No Ties, Flyのアルバムは、もう本当に楽しい作品で、何回だって聴けるような中毒性を湛えたヒップホップアルバムである。これを聴けば、部屋の孤独も、怠い外出も、楽しいひと時も、性愛の記憶やアルコールの背徳も、音楽的な欲求も全て報われるのではないだろうか。それは酩酊的で、スウィートで、曖昧な景色を曖昧に、(ジャケット写真がそうであるように)くっきりしない輪郭をそのままに捉えるような、そういう作品なのである。予想以上にメロディアスな仕上がりになった本作だが、poivreによる多様なビート(それは時にフリーキーで時に官能的な)がカラフルな色を与えていて、そこに則るように、OMSB、Neibissといったラッパーの他にも、butaji、Lil' Leise But Goldといったシンガーや、サックス奏者 hikaru yamadaらユニークな面子が参加している。一見、統一感に欠けるようでいて、しっかりと足元の不安定な生活の感触が、全体に漂っていて、それらを寛容に迎え入れているようでもある。LEXUZ YENの歌とラップの横断も、VOLOJZAの軽快なラップも、姿形を変えるビートの上で絶妙に配置され、なんとかその不安定に対応しているようだ。そしてそういう不安定さこそ私は聴きたい。なぜなら不安定な世の中を生きる私たちの生活にだって、安定したビートに乗ってラップしていたかと思ったら、忙しなく多くの楽器が入り乱れるようなことや音数が少なくなるようなことも、きっとあるはずなのだから。

柊人『忘れないで』

沖縄を拠点とする柊人の新作アルバムは、いつも通りの歌心ある作風の中に音楽的野心を忍ばせる快作である。タイトル曲「忘れないで feat. 田我流」のゴスペル風味から始まり、そこからジャズやR&B、ソウルからジャージークラブに至るまで、コンパクトな中で、持ち味を崩さずジャンルを横断している印象だ。単純に耳が楽しい。もちろん、彼の歌の優しさが清涼剤的な効果を放っていることは通常通り、言うまでもないことだろう。思うに、柊人は軌跡の作家といえる。代表曲「好きなこと」だってそうだったではないか。何かをやり遂げるための、どこかにたどり着くための歌を彼はずっと歌っている。だから、少し驚くような音楽性の横断だって、そういうことなのだろうと理解することができる。つまり、道の途中であることを喜んで受け入れられるような、そういう音楽なのである。そしてそれは、何かあれば結論を急ぐような、何に追われているのかさっぱりわからないような現代の人々にもきっと刺さるのではないだろうか。

(文=市川タツキ)

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