「大量監視」認めた日本の司法。「ムスリム捜査情報流出事件」から考えるレイシャルプロファイリング

「ムスリム捜査情報流出事件」で記者会見する、被害を受けたイスラム教徒ら(手前)=東京・千代田区、2010年12月

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警察など法執行官が、肌の色や「人種」、国籍などを理由に、犯罪関与の疑いがあると判断する「レイシャルプロファイリング」。

近年、日本における典型例として人種差別的な職務質問の問題が明るみになり、1月には外国にルーツがある3人が国などを相手取り裁判を起こすなど関心が高まっている。

だが、出身国や宗教、民族など特定の属性を持つ人たちを「犯罪者の疑いがある」と公権力がみなすことは、決して「新しい問題」ではない。

2010年の「ムスリム捜査情報流出事件」は、日本の警察のレイシャルプロファイリングを明るみにし、被害に遭ったイスラム教徒(ムスリム)らによる訴訟にも発展した。

一連の裁判は、警察によるレイシャルプロファイリングの違法性を問うた先駆的な事例となったが、出身国や宗教を理由とした個人情報の収集・データベース化の違法性は日本の司法で認められなかった。

裁判では何が争われ、裁かれたのか。この事件を巡る司法判断が、現在も続く日本のレイシャルプロファイリングに与えた影響とは。

当時の原告弁護団に加わった福田健治弁護士と林純子弁護士に話を聞いた。

ムスリム捜査情報流出事件とは?

まず、事件の概要と裁判の流れを振り返る。

「ムスリム捜査情報流出事件」とは、2010年10月、警視庁や警察庁が「国際テロ捜査」を名目に集めた日本国内のイスラム教徒や、当時のイスラム諸国会議機構(OIC)加盟国の出身者らの個人情報を含む、大量の捜査情報がインターネット上に流出した事件。「警視庁国際テロ捜査情報流出事件」とも呼ばれる。

流出したファイル数は114件に上り、個人情報には本人や家族の氏名、住所、勤務先のほか、モスクへの出入り情報も記載されていた。

事件発覚から約2カ月後、警視庁は漏えい情報について「警察職員が取り扱った蓋然性の高いものが含まれていた」と発表。「不安や迷惑を感じる方々がいる事態に至ったことは極めて遺憾」だと謝罪した

個人情報が流出した後、勤務先を退職せざるを得なくなったり、経営する店の売り上げが大幅に低下したりするなどの経済的な損害を受けた人もいた。

信教の自由など憲法上の権利を侵害し、個人情報を収集・保管した上、インターネット上での漏えいで精神的苦痛を受けたなどとして、ムスリムとその配偶者計17人が2011年、国と東京都を相手取り国家賠償請求訴訟を起こした。

裁判では主に、

①捜査資料を漏えいしたことの違法性

②宗教や出身国を根拠に個人情報を収集し、データを保管・利用することの違法性

━の2点が争われた。

一審・東京地裁判決(2014年)は②について、「モスク把握活動を含む本件情報収集活動によってモスクに通う者の実態を把握することは、(中略)国際テロの発生を未然に防止するために必要な活動であるというべき」だとして、違憲・違法ではないと判断した。

さらに、「信教に注目した取扱いの区別に合理的な理由があるか否かについては、慎重に検討することが必要」とした上で、当該事件に関してはテロ防止という合理的な根拠があるといい、「情報収集活動それ自体が、国家が差別的メッセージを発するものであるということはできない」として、原告の主張を退けた。

一方、①の情報流出については、注意義務を怠った過失があるとして東京都の責任を認定。

「第三者が見れば、原告らがテロリストもしくはその支援者であるか、少なくとも警察からその疑いをかけられているとの印象を抱くことは避け難い」「流出事件が原告らに対して与えたプライバシーの侵害及び名誉棄損の程度は甚大なものであったといわざるを得ない」と判断し、都に対して原告一人当たり550万円(一人は220万円)の支払いを命じた。

二審・東京高裁判決(2015年)は一審判決をほぼ踏襲。最高裁は2016年、上告を棄却した。

「何の検証もされないまま」

インターネット上に流出した警視庁の捜査資料(個人情報の保護のため画像の一部を加工しています)

流出事件を巡る一連の訴訟で、日本の裁判所は「あくまで任意の情報収集活動であり、それ自体が原告らに対して信教を理由とする不利益な取扱いを強いたり、宗教的に何らかの強制・禁止・制限を加えたりするものではない」と指摘。

「テロ防止」などの理由があれば、宗教や出身国を理由に警察が個人情報を大量に集め、データベース化することは違憲・違法ではないとの判断を下した。

これに対し、福田健治弁護士は「今問いたいのは、ムスリムというだけで監視され、情報収集する警察活動は本当に必要なことだったのか?ということ」だと話す。

「この事件で浮かび上がったのは、銀行やホテルなど民間業者から情報を集め、モスクに出入りする人を監視し、尾行までして『面割り』(対象者が誰であるかを特定すること)するという警察の手法です。

基本的には逮捕も捜索もない行政警察活動であり、強制を伴わない。強制に及ばなければ何の制約も受けずに、警察が自らの判断で大量に情報を収集しても良いのだと、裁判所が認めたのです。

現実に行われたのは、テロリストと何の関係もない個人を『テロリスト関係者』であるようにレッテルを貼り、プライバシーに制約を加える活動でした。そうした情報収集活動は、果たしてテロ防止に本当に役立ったのでしょうか。何の検証もされないまま今に至っていることが大きな問題です」

二審判決は、一審の判断をほぼ追認した。一方で、「本件情報収集活動が、実際にテロ防止目的にどの程度有効であるかは、それを継続する限り検討されなければならず、同様な情報収集活動であれば、以後も常に許容されると解されてはならない」とも付け加えた。

だが実際には、ムスリムに対して行われた情報収集活動の有効性に関して警察組織で検討が進んでいるとは言えないと、福田弁護士は指摘する。

「『国際テロ対策』のような正当化される理由の説明がつけば、宗教や出身国を理由とした個人情報の大量収集は許容されると、司法がお墨付きを与える結果になりました。広い裁量が警察にあることを前提に、ゆるやかな審査基準で(情報収集の)合憲性を認める判断は妥当だったのか。裁判所にこそ振り返ってほしいです」(福田弁護士)

ムスリムをターゲットにした警察による「プロファイリング」(犯罪捜査において、データなどを基に犯人の特徴や犯罪の性質を分析し、犯罪行為に関わった可能性の高い人物を特定する手法)が明るみになって15年近くになるが、林純子弁護士は「今でもモスクによっては、金曜の礼拝日に警察官が近くに来て見張っている、というムスリムの訴えを聞きます。『モスクに行く時は警察に監視されていても仕方がない』と諦めている人も多いです」と話す。

ムスリムの監視、「深刻な差別」と国連の委員会が指摘

ムスリムに対するプロファイリングを巡っては、その手法が当事者らにもたらす弊害やテロ防止効果の低さが国際人権機関からも指摘されている。

国連の特別報告者が2007年に国連人権理事会へ提出した、テロ対策における人権の保護などに関する報告書では、「特定の『人種』、国籍、民族的出身や宗教の人が特に罪を犯しやすいというステレオタイプ的な仮定に基づくプロファイリングは、非差別原則と相容れない行為につながる可能性がある」と言及。

2001年のアメリカ同時多発テロ以降、出身国や宗教などの特徴を含む「テロリスト・プロファイル」に基づくテロ対策が様々な国で行われていることは「重大な懸念だ」と述べている。

さらに報告書では、「民族や出身国、宗教に基づくプロファイリングは、潜在的なテロリストを特定する手段として不適切で効果がないだけでなく、テロとの闘いにおいてこれらの手段を逆効果にしかねない重大な悪影響をもたらす」との見解を示した。

また、日本の警察によるムスリム監視に関しては、国連の自由権規約委員会が2014年の総括所見で懸念を表明。日本の法執行機関に対して、広範なムスリムの監視を含むレイシャルプロファイリングが認められないことなどの教育を行うよう求めた。

このほか、国連の人種差別撤廃委員会も日本政府に対する同年の総括所見で、特定の民族や宗教的集団に属することのみを理由とした個人に関する治安情報の組織的な収集が「深刻な差別の一形態」だと明記した。法執行官がムスリムに対するプロファイリングを行わないことを確実にするよう、日本政府に求めた。

これらの勧告はいずれも、遅くとも2015年の二審判決より前に出されていたが、日本の裁判所の判断は、「ムスリムへのテロリスト・プロファイリングは有効性を欠く上に差別だ」とする国際人権機関の見解に反するものとなった。

ターゲットを変えて繰り返される懸念

ムスリム捜査情報流出事件のように、特定の集団や属性の人々に照準を当てたプロファイリングは過去の話ではなく、今後も十分起こりうると福田弁護士は考える。

「特定の集団にターゲットを絞り、情報収集のために民間業者を巻き込みネットワークを作る、集めた情報をデータベース化していつでも参照可能にする。裁判では『流出したことはまずかったけれど、やり方自体は問題ない』とされてしまったので、応用可能なわけです。その対象が9.11後の当時はイスラムコミュニティであり、そうしたターゲット設定がある意味で国内外で『流行り』でした。

『外国人=罪を犯す疑いがある』という偏見が警察内部にある中、『国際テロ対策』のように公安警察が予算と人員をかけられる名目や仮説さえあれば、ムスリムに行われたことと同様のプロファイリングがまた繰り返されても不思議ではありません」

アメリカでは違法性認める決定

ムスリムに対する監視捜査を巡っては、アメリカでも訴訟となっていた。アメリカ連邦控訴裁判所第3巡回区は2015年、被告のニューヨーク市警が行ったレイシャルプロファイリングの違法性を認める決定を出した

裁判所は、最高裁の過去の判例を引用する形で、「差別そのもの、つまり『古くてステレオタイプ的な観念』を永続させたり、冷遇された集団のメンバーに対し『本質的に劣っている』との烙印を押し、共同体の参加者としてふさわしくないという汚名を着せたりする行為が、不利な集団に属するという理由だけで平等に扱われない人々に深刻な非経済的損害をもたらしかねない」と判断した。

裁判所の決定を受け、原告団と被告は2018年に和解。「ニューヨーク市警は人種や宗教、民族を実質的・動機的とする捜査を行わないこと」などの条項が合意された。ニューヨーク市警を相手取った類似の民事訴訟でも、2017年に同様の和解が成立している。

ニューヨーク市警は2024年1月に市議会で可決された法改正に基づき、警察官が職務質問で呼び止めた人の「人種」、性別、年齢を記録することが義務付けられた。同警は現在3万6000人の警察官が所属し、同国最大の警察組織。

司法判断の過ちを正す仕組みが日本にも必要

公権力による人種差別の防止や被害者救済のために、どんな仕組みが必要なのか。福田弁護士は「まず、日本に個人通報制度(※)がないことが大きな問題だ」と強調する。

「国際人権規約である『自由権規約』の違反が疑われる個別の事案を訴える機関が日本にはなく、司法で被害を認定されなければ、他に救済される手段がありません。日本の裁判所が行った誤った条約解釈が、正される機会がない。そのため、司法判断の過ちは放置されたままなのです」

日本はこれまでに、自由権規約や人種差別撤廃条約など8つの人権条約に批准しているが、個人通報制度を定める条約ごとの選択議定書の批准などをしていないため、同制度が適用されていない。一方、世界では約150カ国がなんらかの個人通報制度を導入している。

林弁護士は「誰もがマイノリティになる可能性を持ちながら生きています。ある日突然、行動によってではなく、属性を理由に公権力の監視の対象になるかもしれない。それを日本の裁判所が『違法ではない』としていることの恐ろしさを考えてほしいです」と話す。

(※)個人通報制度・・・国際人権条約で保障された権利を侵害された人が、条約機関に被害を直接訴えることができる制度。条約機関が審査を経て出した見解に法的拘束力はないものの、見解を踏まえて国内の法制度が改正されるケースもある。各条約機関は日本政府に対し、同制度を導入するよう繰り返し勧告している。

【アンケート】

ハフポスト日本版では、人種差別的な職務質問(レイシャル・プロファイリング)に関して、警察官や元警察官を対象にアンケートを行っています。体験・ご意見をお寄せください。回答はこちらから

<取材・執筆=國﨑万智(@machiruda0702)>

▽参考文献

国際水準の人権保障システムを日本に 個人通報制度と国内人権機関の実現を目指して』(日本弁護士連合会第62回人権擁護大会シンポジウム第2分科会実行委員会・編、明石書店)

国家と情報 警視庁公安部「イスラム捜査」流出資料を読む』(青木理、梓澤和幸、河﨑健一郎・編著/現代書館)

レイシャル・プロファイリング 警察による人種差別を問う』(宮下萌・編著/大月書店)、第2章「ムスリムに対するレイシャル・プロファイリング」(井桁大介)

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