「クプクプ・クルタス」 愛を成就できない「紙の蝶」。9・30事件後に何が起きたか 【インドネシア映画倶楽部】第68回

Kupu-kupu Kertas

1965年に起きた「9・30事件」後の東ジャワ州バニュワンギを舞台に、共産党系とイスラム系の村の対立、その中で翻弄される男女のラブロマンスを描く。「黒カラス活動」など、9・30事件の後に地方でどのようなことが起きたかを知るには良い教材だ。

文と写真・横山裕一

対立する2つの村でそれぞれ育った若い男女が惹かれ合いながらも、歴史的事件に翻弄されていく歴史ラブロマンス。タイトルの「クプクプ・クルタス」は直訳すれば「紙の蝶」で、作品の内容からは連想がつきにくい。同タイトルで伝説的シンガーソングライター、エビット・G・アデのヒット曲があり、この曲では娼婦であるが故に自らの本当の気持ちを表すことができない悲しみが詠われている。この映画作品では曲同様に自らが置かれた環境のため愛を成就できない若い男女が描かれていることから、映画タイトルは同曲名を引用したものと推察できる。

物語は1965年に起きた、共産党系将校によるクーデター未遂事件といわれる9・30事件から数週間後の東ジャワ州バニュワンギ南部の農村地帯が舞台。9・30事件を受けて全国的に共産党員や支持者の排除運動が広がる中、共産党支持の村では武装し、逆に共産党系ではないイスラム団体NU(ナフダトゥール・ウラマ)系の村を襲うなど共産党系とNU系の村での対立が激化していた。

こうした中、ニンは共産党系の村のリーダーの娘ながら争いを好まず、父親が襲撃する予定の村に事前に知らせて避難させ、被害者を少しでも減らそうと一人奔走していた。その一環でニンはNU系の村の若者イサンと出会う。イサンも平和を望むため、兄が村の自警団の団長をしていたものの自警団への参加を拒否し続けていた。共産党系とNU系の村とそれぞれ敵対する村でありながら、同じ志を持つニンとイサンはお互いに惹かれあっていく。

ある日イサンの村の自警団が過激化するニンの村を襲撃することが計画される。しかし、ニンの村は逆に罠を張って襲撃に向かうイサンの兄ら自警団員を皆殺しにしてしまう。このためNUなどは共産党系の村を完全排除するために組織した武装集団をニンの村へ派遣することを決める。これを知ったイサンは一人、ニンを救い出そうとニンの村へと向かう……。

同作品は1965年10月18日にバニュワンギで起きた、共産党系の村が対立するNUの自警団員62人を殺害した事件がベースになっている。9・30事件から約1カ月半後の出来事だ。これを契機に反共産系団体が共同で武装集団を編成して共産系の同村を襲撃し、他の地域の共産党支持者の排除も強めていった。この武装集団は黒尽くめの衣装だったことから「黒カラス」(Gagak Hitam)と呼ばれ、共産党排除活動も黒カラス活動(Operasi Gagak Hitam)と呼ばれた。

9・30事件を受けての共産党員、支持者の排除運動により全国で数十万人から多くて200万〜300万人が虐殺されたといわれていて、インドネシア史上最大の事件であると同時に、現在では高齢者に限られつつあるがインドネシア人の心に刻まれた深い傷でもある。9・30事件の収拾契機に権力を握ったスハルトは第二代大統領に就任し長期独裁政権を確立したため、事件の実態はその後も明らかにされないままである。

本作品では全容は掴めないものの、事件から60年余り、スハルト独裁政権崩壊から25年余り経った現在、当時何が起きたかを知らない若い世代に歴史を伝える上で意義のある作品でもある。一方で、作品内で共産党系の村がひたすら凶暴で悪辣な存在としてしか描かれていないのが若干物足りなくもある。スハルト長期政権当時、徹底した反共産主義教育が行われた影響もあるかも知れない。しかし、「黒カラス」による共産党系の村の襲撃では残虐なシーンもふんだんに描かれていて、共産主義排除の当時は善悪を問えない極度の混乱期にあったことを窺うことができる。

深刻な事件が題材なだけに、主人公であるニンとイサンのラブロマンスが薄れがちにはなってしまうが、9・30事件当時、地方でどのような事が起きたかを知るには良い教材でもある。是非、劇場でご覧いただきたい。(インドネシア語字幕付き)

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