ハワイ沖で水産高校の実習船がアメリカ原子力潜水艦に衝突され生徒ら9人死亡「えひめ丸事故」で見えてきた対米関係の配慮

2001年(平成13年)、ハワイ沖でアメリカの潜水艦に衝突され、高校生ら9人の命が奪われました。2月10日で事故から23年を迎えましたが、再発防止の課題は残されたままです。

愛媛県立宇和島水産高校で、毎年2月10日に打ち鳴らされる鐘。失われた命の数と同じ9回鳴らされ、犠牲者の冥福と海の安全を祈ります。

アメリカ太平洋艦隊の司令部が置かれ、軍の艦船が頻繁に行きかうハワイ沖。2001年2月、実習船「えひめ丸」がアメリカの原子力潜水艦に衝突され、生徒4人を含む9人の命が奪われました。事故は、潜水艦が突然、緊急浮上したことが原因でした。

さらに、驚きの事実が明らかになります。事故の際、潜水艦には民間人16人が搭乗。緊急浮上は、軍の予算に理解を得るためのデモストレーションとして行われていたのです。

行方不明者の家族
「我々の前で謝罪してください」(当時)

やりきれない思いが広がる中、潜水艦のワドル元艦長らを軍法会議にかけるかどうかを審議する査問委員会では、操舵席で民間人が舵(かじ)を握っていたことや、潜望鏡による確認が通常よりも短い時間しかかけられていなかったことなど、ずさんな実態が次々と明らかになりました。

しかし、ワドル元艦長に出されたのは執行猶予付きの減給処分。刑事責任を問う軍法会議は開かれず名誉除隊となりました。

家族が強く求めたのが、水深約600mの海底に沈んだえひめ丸の引き揚げと、船内での遺体の捜索でした。

愛媛県は、アメリカとの交渉に臨みます。しかし…

愛媛県 故・加戸守行前知事(2019年1月取材)
「ファーゴ司令官からは謝罪の言葉もなかったし、文化の違いかなというのは最初に感じました」

死生観の違いもあり、アメリカ側は当初、遺体の捜索に消極的で、インターネット上では真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナを引き合いに出して、日本側を批判する声も上がっていました。

愛媛県 故・加戸守行前知事(2019年1月取材)
「日本人の精神、気持ちとか家族観、死生観みたいなものを、どうやって理解してもらうのか、通訳を介したらまどろっこしいから、たどたどしい中学生レベルの英語でやりとりしましたね」

結局、日本側の世論にアメリカが押されるかたちで引き揚げが実現しました。

しかし、緊急浮上訓練の見直しなど抜本的な再発防止策は示されず、民間人の体験搭乗も継続されています。

加戸前知事は、日米関係の枠組みを意識しながらの対応だったと振り返ります。

愛媛県 故・加戸守行前知事(2019年1月取材)
「県民感情は激しく燃え上がっちゃうだろうと。一方において、日米安保条約というのがあるから、アメリカ頼りで日本が生きているときに、その関係をこのことを理由に崩され支障が起きても困るな、ということで…」

えひめ丸事故の現場海域を臨むハワイの慰霊碑。碑文には「不注意でぶつけられた」という文言が入る予定でしたが、単に「衝突した」という表現に変更され、対米関係への配慮が浮き彫りになりました。

事故から約1年10か月、2002年12月、遺族とアメリカとの補償交渉がほぼまとまった段階になって、ワドル元艦長が宇和島市を訪問、関係者に謝罪しました。

ワドル元艦長の会見
「私の一生を変えたあの胸の張り裂けるような事故は、1年10か月、心に重くのしかかりました。私はこれから残った人生を、この痛みと共に一生、生きていきます」

一方、事故をきっかけに始まった愛媛とハワイの交流は姉妹提携に発展しました。それは、スポーツや教育、文化など多方面にわたり、事故の記憶を語り継ぐとともに、絆を深めてきました。

ハワイの慰霊碑は、現地のボランティアによって大切に管理されています。

また、事故の翌年には新しい「えひめ丸」が完成。その後、ハワイ沖での実習が再開されました。

日本の多くの水産高校が実習を行っているハワイ沖。私たちは、事故から10年を迎えた際、潜水艦の事故対策の現状を取材しました。アメリカ太平洋艦隊は、緊急浮上訓練について、中止することはできないと断言しました。

アメリカ太平洋艦隊
「潜水艦のシステムが適切かつ効果的にできていることを確認するための訓練。えひめ丸の事故の後、規制を厳しくしている。操縦や潜望鏡の操作について規制を設け、航行や訓練が安全に行われることを再確認して準備にあたっている」

えひめ丸事故で高校生の息子を亡くした遺族
「信用するしかない。アメリカ海軍としても、最善を尽くすと言っているので」

若者の未来を奪った事故は、再発防止への課題を次の時代に残すとともに、日米関係のあり方をも問いかけています。

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