多くの人を魅了 小澤征爾さんの「情熱」「人柄」 信州を愛し、信州に愛され…音楽の祭典にかけた32年

マエストロ 小澤征爾さん

信州を愛し、信州に愛された小澤征爾さん。6日、心不全のため亡くなりました。長野県松本市に市民参加の音楽の祭典を根づかせ、多くの県民を魅了し続けた小澤さんの情熱、そして人柄を振り返ります。

理想の音楽祭を求めて…

左は吉村午良知事(当時)

小澤さんが追い求めていた理想の音楽祭。それがSKF、サイトウ・キネン・フェスティバルです。

小澤征爾さん(1992年):
「松本の人が、街の人が、自分たちのところでやってるフェスティバルだと。長く続くね、細くて長く続くのを何とかしようと。僕も長生きして、なるべく長くやろうと思ってるんです」

吉村午良知事(当時):
「ぜひ永久に」

初開催を前にNBSの番組に出演した小澤征爾さん。恩師の名を冠した「理想の音楽祭を」と、開催地を探す中で、松本を選んだのは、自然豊かな地であること、バイオリン教育で知られる鈴木メソッドの本拠地であること、そして、県がホールを建設中だったことが重なってのことでした。

SKFは1992年から 「開かれた音楽祭」

初回のSKF(1992年)

1992年9月、ついにSKFが開幕。天皇・皇后両陛下(現在の上皇ご夫妻)も鑑賞されました。

SKFは一流の演奏家が集まる音楽祭でありながら、当初から市民に開かれたものでした。

43万人の子どもたちが鑑賞

子どものための音楽会(1995年)

こちらはプログラムの一つ、「子どものための音楽会」。小中学生をオーケストラやオペラに招待しました。

鑑賞した児童:
「楽器の音色がみんなきれいでよかった」

鑑賞した子どもたちは実に43万人を超えます。

小澤征爾さん:
「やっぱり若い、子どもたちに聞かせると大人になってまるで違うから。子どもたちにはぜひ練習風景とか。教えられる人がたくさんいますから」

市民合唱団が同じステージに

2013年のリハーサル

市民合唱団も舞台に立ちました。2013年のオペラ「子どもと魔法」は後に収録したアルバムが「グラミー賞」を受賞。多くの市民が合唱で参加しています。

市民合唱団で活動・草間謙一郎さん:
「最高の水準の音楽に、素人が出させてもらって、音楽の技術そのものではなく、それ以上のものを教えてもらったような気がします」

20年以上、市民合唱団で活動してきた草間謙一郎さん。
小澤さんが常々、口にしたり、書いて楽屋に貼ったりしてくれた言葉があったと言います。

「トイトイトイ」。ドイツ語で「大丈夫」「うまくいくよ」。
小澤さんの魔法のおまじないです。

草間謙一郎さん:
「破天荒であったのかもしれないですけど自信と熱意と子どものような情熱があったんで、私もどんな形であれ、音楽を楽しみたいなと思います」

運営支えたボランティア 「小澤さんあってのもの」

小澤さんは大のそば好きだった(2014年)

松本にSKFが根付く大きな要因となったのが、運営を支えてきた多くのボランティアです。長くまとめ役をしてきた青山織人さんは小澤さんの思いと人柄があってのものだと話します。

松本市文化芸術振興財団・青山織人理事長:
「(音楽祭を)この街に定着させるという強い思いがあったと思いますね。お客さんを迎えるのに、ボランティアでいいのかという議論がありますよね。そこが小澤さんなりの理解と思いがあったんじゃないか。『街の人と一緒にやるぞ』っていう、小澤さんは考えたから、我々もできた」

恒例のそばパーティーは交流の場に。

小澤さん:
「最高、気持ちが伝わってきますから」

松本市文化芸術振興財団・青山織人理事長:
「気さくなキャラだから、ボランティアに平気で声かけるし、そういうキャラがあったから、みんなも乗っていった。スタッフシャツ着てるんですよね、小沢さんも着てるんですよ。オーケストラのメンバーも着てるんですよ。自分たちがやってるんだ、街の人たちも一緒にやってるんだと」

SKFによって人生が変わる人も

そば店を営む浅田泰一さん

小澤さんのSKFによって人生が変わった人もいます。

浅田泰一さん:
「おいしいおいしいって、ほんとに、もう」

そば店を営む浅田泰一さん(74)。もともとはホテルマンで出演者の宿泊を担当していましたが、小澤さんの好きなそばでSKFを盛り上げたいと一念発起。45歳で店を開きました。

それを聞きつけ、小澤さんは何度も店に足を運びました。

浅田泰一さん:
「(表で)並んで待ってるんですよ、ちょっと申し訳なくて。それでも、そば好きだったからね、待たれても食べましたよ。ちょっと…すみません。(涙拭う)小澤さんの遺志を引き継いで、音楽祭を続けられればね。松本市民が全員で続けられるように努力しなければいけないと思っています」

OMFになっても情熱衰えず 「ぼく、指揮したい」

3年ぶりのステージ(2022年)

SKFは2015年からOMF、セイジ・オザワ松本フェスティバルへ。

小澤さん(2016年):
「運命の女神が微笑んで、ここ(松本)がぴったりだった。長野県の人、松本の人…(涙ぐみ、なかなか声にならない)…人柄が素晴しい」

小澤さんは体調を崩しがちになり、タクトを振れない年が増えていきましたが、情熱は衰えませんでした。

小澤さんの会見(2019年):
「ぼく、指揮したいですよ。だから指揮させてください」

そして、2022年、3年ぶりにステージに。車いすから手を振る小澤さんに会場はスタンディングオベーション。

小澤さんが根付かせたもの…これからも

献花台の遺影

OMFは今年も8月末からの開催が予定されています。

青山さんは、小澤さん亡きあとも「音楽を楽しむ文化は松本から消えない」と断言します。

献花する青山織人さん

松本市文化芸術振興財団・青山織人理事長:
「あれだけの時間と力を尽くした、小澤さんが。なくなるわけないですよ。30年という時間と小澤さんの持つ力が合わさって、そんな簡単につぶれないですよ」

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