『君が心をくれたから』雪乃が雨に渡した最初で最後の贈り物 母が語った雨という名の真意

ようやく想いが通じ合った雨(永野芽郁)と太陽(山田裕貴)。2月12日に放送された『君が心をくれたから』(フジテレビ系)第6話の冒頭で見られた2人の朝食のシーンは、ほんの束の間ながら幸福感に包まれている。それでも太陽が作った味噌汁のしょっぱさが雨にはもうわからないということだけで、このドラマの不幸な現実へと引き戻される。全11話なので今回がちょうど中間。嗅覚を失った際は2エピソードにわたって展開したが、触覚を失うまでにはまだ語るべき物語があるのだろう。まだ雨は触覚を失わない。その代わりに、もっと大きな存在を失うことになる。

雪乃(余貴美子)が入院し、部屋の片付けをしていた雨はかつて子どもの頃に雪乃と声で“交換日記”をしていた古いボイスレコーダーを発見する。そこに記録された雪乃の声を、宝物のように思っていたことを思い出す。そんな矢先、病院から雪乃の容体が急変したとの連絡が入る。なんとか持ち堪えたものの、先は長くない。そこで雪乃の要望に応えて家へ連れ帰ることに。雪乃は付き添ってくれた太陽にあるお願いをする。それは雨の母親・霞美(真飛聖)を連れてきてほしいというもので、雨と雪乃と霞美、そして太陽の4人で最初で最後の家族旅行へと出発するのである。

雨は“あの世”の案内人である日下(斎藤工)と千秋(松本若菜)に「人は死んだらどうなるのか?」と訊ねる。日下から返ってきた答えは「詳しくない」という言葉と、「人は死んだらほんのわずかな時間だけ雨を降らせることができる」という言葉。これは本作の脚本を務める宇山佳佑の小説『この恋は世界でいちばん美しい雨』と通じている設定であろう。今回はそこに、「生きている間に心を分け合うこと」という言葉が付け足される。それを考えると、第1話など劇中でたびたび降っている“雨”の見え方がだいぶ変わってくる。

さて『声の手ざわり』と題された今回のエピソードにおいては、雨があと2週間余りで失うことになる“触覚”にまつわる描写以上に、まだ失っていない(が、近い将来確実に失うことになる)“聴覚”に紐づく描写がいくつか見受けられる。もちろんその際たるものは、今回のキーアイテムとして機能するボイスレコーダーに記録された音。雪乃が逝った後に、雨はボイスレコーダーに遺された最後のメッセージを“聴覚”で聴き、すぐそばに雪乃の幻影を感じ、子どもの頃と同じように雪乃に抱きしめられた感覚を味わう。

ここで改めて、五感はそれぞれが一個独立したものではなく、例えば嗅覚が記憶と密接に紐づいていたように(第3話・第4話)、他の感覚同士もどこかで必ず繋がっているものだと考えさせられる。記録された微かな声を耳に当てて聴くことで、近くにいない人を近くに感じることができる。いずれ雨は、この雪乃の声も聴こえなくなってしまうのだろう。そうわかっている以上はどうしたってつらい描写になるのだが、窓の外に降る雨を見て少しだけ晴れやかな笑顔を浮かべる雨。それだけで充分に希望の光は射している。

今回のエピソードではもうひとつ、“名前”が物語を動かすキーとして機能する。太陽から名前で呼んでいいかと訊かれ、雨はまだ自分の名前が苦手であると答える。子どもの頃の雪乃との“交換日記”も自分の名前への嫌悪感から投げ出してしまっており、ずっと彼女の中に引っかかり続けていた“雨”という名の真意を、今回の家族旅行で直接霞美に訊ねるのである。「雨があなたを笑顔にしてくれますように」。先述の窓越しの雨の笑顔、それは彼女にとって自分の名前を受け入れた瞬間、やっと前に進むことができる瞬間というわけだ。

(文=久保田和馬)

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