「やる気が萎えた」全国のヘルパーが激怒、訪問介護の基本報酬がまさかの引き下げ 国の方針のウラに隠れた「ある変化」とは

訪問介護を利用する高齢者(右)と女性ヘルパー=1月、熊本市(画像の一部を加工しています)

 国の介護保険では、介護サービスを提供する事業所や施設に支払う報酬を3年に1回、改定することになっている。今年4月はそのタイミングに当たり、厚生労働省は1月下旬、改定内容を発表した。介護分野の人手不足を踏まえ、賃上げに向け報酬の加算を上積みすることにした。ところが今、全国のヘルパーから国の方針に激しい怒りの声が上がっている。なぜ、そんなことになっているのか。ヘルパーが高齢者の自宅を訪ねる訪問介護を巡り、従来とは異なる形態が増えているという変化が背景にある。(共同通信=市川亨、高砂しおみ)

国を訴えた訴訟で東京高裁の判決を受け、集会で発言する原告のヘルパー藤原るかさん=2月2日、東京都千代田区

 ▽国を訴えた68歳ヘルパー
 2月2日、東京・永田町の国会議員会館。普段は都内でヘルパーとして働く藤原るかさん(68)が、会議室でマイクを握っていた。「この仕事は楽しい。だけど、私たちに対する国の扱いに腹が立つ」
 仲間のヘルパー2人と藤原さんが国を相手に起こした裁判について報告する集会だ。藤原さんたちは、ヘルパーの移動・待機時間やキャンセルに賃金が支払われていないとして「国の制度や対応に問題がある」と、国家賠償を求める訴訟を2019年に起こした。
 2022年に東京地裁で敗訴したが、控訴。集会を開いたこの日、東京高裁の判決でも請求は退けられた。ただ、高裁は藤原さんたちの主張を一部認め、判決で次のように指摘した。
 「訪問介護では、多くの事業所で移動・待機時間の賃金やキャンセル休業手当が適正に支払われないという問題が長年、解決されず、賃金の低さと慢性的な人手不足が問題とされながら、いまだ解消に至っていない状況にあることが認められる」

 ▽人手不足でも賃金を上げにくい構造
 元々「勝ち目の少ない裁判」と言われていた。藤原さんたちもそれは分かっていた。それでも訴訟を起こしたのは、訪問介護の窮状を世に訴えたかったからだ。
 事業所が求人を出しても、仕事内容の割に安い賃金のため、ほとんど応募がない。有効求人倍率は2022年時点で15・53倍という異常な高さ。若いヘルパーは少なく、約4人に1人は65歳以上の高齢者だ。常に人手不足で、サービスを受けたい人がいても、断らざるを得ない状況が続く。
 通常のサービス産業では、需要が供給を上回っている場合、事業所は価格と賃金を上げ、供給量を増やす。しかし、介護保険は国が個々のサービスの値段を決める「公定価格」。事業所が勝手に価格を上げることはできない。
 例えば、訪問介護でヘルパーが調理や掃除をする「生活援助」は、45分以上の基本報酬が2250円などと決められている。ほかにも各種の加算があるが、事業所は報酬の中からヘルパーに賃金を支払う。国が定める報酬額が引き上げられなければ、ヘルパーの賃金を増やすのは難しい。

訪問介護の報酬引き下げに抗議する記者会見で話す小島美里さん(左)。隣は一緒に活動する社会学者の上野千鶴子さん=2月1日、東京都千代田区

 ▽厚労省と関係が近い団体も抗議
 「4月の報酬改定では、訪問介護は引き上げだろう」。多くの関係者がそう思っていた。
 ところが、1月下旬に厚労省が発表した改定方針で、訪問介護の基本報酬は2%強引き下げられた。他のサービスはほとんどが引き上げだった。
 「まさか」「あり得ない」。介護事業所やヘルパー、利用者らでつくる市民団体が抗議の声を上げると、1週間ほどで全国の約360団体、約2500人から賛同が集まった。
 団体の世話人で、埼玉県で訪問介護などを運営するNPO法人の代表理事、小島美里さんは抗議声明の発表記者会見でこう話した。
 「意欲を持って働いている日本中のヘルパーの気持ちを萎えさせた。これは在宅介護の終わりの始まりだ」
 日本ホームヘルパー協会と全国社会福祉協議会(全社協)も抗議の声明を発表した。「今回の改定は、国が目指す『住み慣れた地域で安心して生活を続けられる』という姿とは全く正反対」と指摘。「私たちの誇りを傷つけ、さらなる人材不足を招く。断じて許されない」と訴えている。全社協は厚労省と近い関係にあり、ここまで強い調子で批判するのは異例だ。

厚労省が介護報酬改定の案を示した社会保障審議会の分科会=1月22日、東京都港区

 ▽賃上げ加算あっても相殺でマイナスのケースも
 厚労省が訪問介護の基本報酬を引き下げるのはなぜなのか。根拠としているのが、2022年度の経営実態の調査で訪問介護が他のサービスに比べて利益率が高かったことだ。例えば、特別養護老人ホームが1.0%の赤字だったのに対し、訪問介護は7.8%の黒字。全サービスの平均値(2.4%黒字)も大幅に上回っていた。
 もう一つ、厚労省が強調するのが介護職の賃上げに向けた「処遇改善加算」の改正だ。厚労省幹部はこう説明する。
 「確かに訪問介護の基本報酬は下げるが、処遇改善加算は最高24.5%と他サービスよりも高く設定した。加算を取れば、多くの事業所の収支はプラスになる。基本報酬だけでなく、トータルで見てほしい」
 ただ、加算が基本報酬の引き下げで相殺され、収支にマイナスの影響が出る事業所もありそうだ。東京都内で訪問介護などを運営するNPO法人の柳本文貴代表は、収支が悪化する場合があると試算する。
 例えば、ヘルパーが入浴や排せつなどを手伝う「身体介護」について柳本さんが試算した結果、現行制度で一番高い処遇改善加算を取得している場合は、新たに最高の加算を取っても、30分~1時間のサービスの報酬が30円ほど減る。
 これまで手間がかかって利益が薄くても、利用者を引き受けてきたという柳本さん。職員の賃上げにも力を入れてきた。「事業所としては年間で100万円近い減収になる。努力が正当に評価されていない」と憤る。
 前出の小島さんが指摘するのは、加算の取りにくさだ。「手続きが煩雑で、小規模事業所はとても対応できない」
 これに対し厚労省は「事務を簡素化し、取得できるよう事業所を伴走型で支援していく」と理解を求めている。

自転車に乗って利用者宅を訪問するヘルパー=1月、東京都三鷹市(画像の一部を加工しています)

 ▽高齢者住宅に併設のタイプが利益率押し上げか
 基本報酬引き下げの根拠とされた「訪問介護は大幅黒字」という厚労省の調査結果にも、疑問が投げかけられている。
 ヘルパーが自転車や車に乗って、高齢者宅を一軒一軒回る―。そんな従来の訪問介護の形が変わってきていることが背景にある。
 どういうことか。要因として、ここ10年ほどで急激に増えた「サービス付き高齢者向け住宅」と「住宅型有料老人ホーム」の存在がある。入居者は合計で約60万人に達する。
 「サービス付き」「老人ホーム」という言葉から誤解されることが多いが、この二つはあくまで「住宅」で、介護サービスは備わっていない。
 そこで、形式上は「外部のサービス」として、自社やグループ会社が運営する訪問介護事業所を併設するケースが多い。
 こうした併設型では、ヘルパーは同じ建物の入居者を巡回すればいいので、移動時間はほぼゼロ。効率的に報酬を取得できる。現在、訪問介護事業所の4分の1以上は併設型とみられる。
 併設型では、入居者に必要以上にサービスを使わせる「介護漬け」や、自社サービスに誘導する「囲い込み」といった弊害が指摘されてきた。厚労省は対策として、報酬を減算する仕組みを設けているが、「併設型が訪問介護全体の利益率を押し上げていて、従来型と一緒に扱うのは無理がある」との声が出ている。
 「併設型と従来型を別々に扱ってほしい」との要望に対し、厚労省幹部は「課題があることは認識している」と話すが、具体的な見直し方針には踏み込んでいない。

国会前で訪問介護の基本報酬引き下げに抗議するヘルパーら=2月2日、東京都千代田区

 ▽取材後記
 「基本報酬の引き下げは、国が訪問介護を軽視しているというメッセージとしか思えない」。多くの介護関係者はそう話す。厚労省は「誤解がある」として、賃上げ加算の充実をPRするが、不信感を取り除くには相当の努力が必要だろう。
 一方で、社会保障の財源は借金(国債)を除けば、基本的には私たちや企業が支払う税金と保険料しかない。「今の負担であれもこれも」と求めるのは無理がある。もし政府が「今の負担水準では、高齢者に集住してもらい、サービスを効率化するしかない」と考えているのなら、聞こえのいい理想像を掲げるのではなく、「負担と給付」について正面から国民に選択を問うべきだと思う。

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