「雪山をなめるなよ」社員旅行で遭難…アラフォー男が危険な場所へ自ら入った“イタすぎる”理由

スキー場の真っ白な雪と青空の組み合わせは最高だった。

小島武広はウインタースポーツに夢中になっていた学生時代を思い出した。友人たちと格安の夜行バスに乗って、日本各地のスキー場に遠征したものだった。

もう20年以上も前のことになるが、狭い夜行バスから広々としたゲレンデに降り立ったときの解放感をまるで昨日のことのように覚えている。

「私、スキーやったことないんですけど、小島さんは経験あるんですか?」

会社の後輩の三上早苗は少し不安そうな表情を浮かべている。

仕事でミスをしてしまったときも似たような表情をして小島のところに相談にやってくる。小島はそんな三上にたいして好意を抱いていた。

「俺は学生時代にけっこうスキーやってたんだよ」

「そうなんですか! すごいですね。良かったら私にもお手本見せてください!」

三上にそう言われて悪い気はしない。会社の福利厚生の一環として毎年開催されている1泊2日のスキー旅行に参加したのは今回が初めてだったが、参加して正解だった。

いざ滑り始めると、三上はびっくりするぐらい何度も転んでいた。完全に初心者というのは本当のようだ。

「いやあ、こんなに転んで恥ずかしいですね」

「初めてなら仕方ないよ。俺も最初はすごく下手だったし」

自然と小島が三上にスキーを教えるような状況になっていた。ストックの持ち方、上手な転び方、リフトの降り方などを丁寧にレクチャーする。倒れそうになった三上が小島に寄りかかってきた時は40代なかばという年がいもなくドキドキしてしまった。

「三上さん、スキー場で遭難しないでね」

同僚のひとりがそう言って三上をからかった。

「スキー場でも遭難するんですか?」

三上は驚いたような顔で小島に質問してきた。

たしかに、スキー場でも遭難事故は発生する。小島自身は遭難したことはないが、学生時代に先輩からよく「雪山をなめるなよ」と注意された。

雪山で遭難すれば、命を落とす可能性もある。捜索するのは警察や消防なのでお金はかからないが、見つかるまで探し続けてくれるわけではなく、数日間探して発見できないと捜索は打ち切りになるという。そして、春になって雪が解け、変わり果てた姿で遭難者が発見される。

「遭難する人はたまにいるけど、こんなに人がいるスキー場なら大丈夫だよ」

小島はそう言って三上を安心させた。

休日ということもあり、日本有数のこのスキー場は多くのスキーヤーたちでにぎわっていた。スキー場を取り囲んでいる森にでも迷い込まない限り遭難することはないだろう。

「それなら安心しました。それにしても、小島さんって本当にスキーに詳しいですね」

「いやあ、俺は学生時代に勉強もしないでスキーばっかりやってただけだよ」

心なしか、三上が自分を見つめる視線が熱いような気がする。

独身アラフォー男性の妄想かもしれないが、小島の胸の中にはなにかを期待する気持ちが芽生えていた。

バックカントリーへの誘惑

他の同僚たちと一緒に昼ご飯を食べることになった。スキー場のレストランでカレーライスや天ぷらうどんといった温かいものを食べると、身体が芯から暖まるような気がした。

「小島さん、本当にスキーうまいですね。これじゃ物足りないんじゃないですか」

食事をしながら、同僚のひとりが小島をおだてる。

「なにをおだててるんだよ。たしかに物足りないけど、ここで滑るしかないだろ」

本当は物足りなかった。

学生時代はもっと難易度の高いコースにチャレンジしていた。ここ数年はスキーをしていなかったが、久しぶりにゲレンデに出てみて、自分のスキルがあまり衰えていないという手ごたえがあった。

「このスキー場、バックカントリーにアクセスできるらしいですよ。小島さん、滑ってくればいいじゃないですか」

バックカントリーのことは初耳だった。

バックカントリーというのは、スキー用に整備されていないエリアのことだ。あまり人がいないし、もちろんリフトも用意されていない。大自然に囲まれながらのんびりとスキーを楽しむことができる。

小島も学生時代は何度もバックカントリーを滑った。誰もいない天然のゲレンデを滑走する快感はなにものにも代えがたい。

「小島さん、難しいコース滑るんですか?」

興味津々といった面持ちで三上も会話に加わってくる。

「いやあ、もう年だし無理だよ」

小島は笑ってごまかしたが、自分ならきっと今でもバックカントリーを滑れるという自信があった。もしもバックカントリーを滑ると言えば、きっと三上は羨望(せんぼう)のまなざしで小島を見つめてくれるだろう。

そんな妄想が膨らむと、小島は本当にバックカントリーを滑ろうという気持ちになってきた。

「小島さんならきっと大丈夫ですよ。だって、すごくスキー上手じゃないですか」

三上もそう言って小島をそそのかす。

「そっかあ、それなら久しぶりにバックカントリー行っちゃおうかな」

そう言って窓の外を見ると、雪がちらついていた。雪が舞う中で人のいないバックカントリーを滑るのはさぞかし気持ちいいだろう。

リフトのさらに上の方にバックカントリーへの入り口があった。「ここから先はスキー場の管理区域外となります」という看板が立ててある。

「それじゃあ、滑ってくるわ」

「小島さん、気をつけてね」

「大丈夫だよ。学生時代にはしょっちゅうバックカントリー滑ってたし」

三上や他の同僚たちと別れ、小島はひとりバックカントリーに足を踏み入れた。

忍び寄る不穏な足音

バックカントリーのどこを見渡しても人の姿がない。

広い空、大きな山、どこまでも広がる美しい雪原が見えるばかりだ。雪がすべてを真っ白に染め上げているせいで、雪原と山との境目が曖昧になっていた。

小島は、真っ白な空間にひとり取り残されていた。なんだか現実離れしていて、夢でも見ているような気分だった。あまりにも雄大な自然のなかに足を踏み入れ、その迫力に圧倒されていた。

雪の上を見ても、誰かが滑った跡が見当たらない。きっと、今日このバックカントリーに入ったのは小島だけだろう。

『最高だな』

これこそスキーの醍醐味(だいごみ)だ。小島は学生時代を思い出しながら広いバックカントリーを満喫していた。スキー用に整備されてはいないものの雪質は良く、ストレスを感じずに存分にスキーを楽しめる。

小島が滑っている間に、空から降る雪の量はどんどん増えていった。

そして、雪の量に比例するかのように風も強くなっていた。しかし、スキーに夢中になっている小島がそれに気づくことはなかった。

●小島は無事にバックカントリーから戻ってこれるのか。そして三上は……? 後編【「生きて帰れないかもしれない」下心が招いた雪山での遭難。“過信しすぎた”男の末路と救助費用は…にて、詳細をお届けします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

大嶋 恵那/ライター

2014年立命館大学大学院経営管理研究科修了。 大手人材会社などで法人営業に従事したのち、株式会社STSデジタルでライター業に従事。 現在は求人系、医療系、アウトドア系、ライフスタイル系の記事を中心に執筆活動を続けている


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