1985年グループAレースが国内で始まった!【グループAレースクロニクル 1985-1993 JTC9年間の軌跡(1)】

ツーリングカーレースが日本で一番熱かった9年間を1冊にまとめた「グループAレースクロニクル1985-1993 JTC9年間の軌跡(モーターマガジン社/2970円)」が1月31日から発売されている。ここでは、そこからの抜粋を2回にわたりお届けする。

JTC開幕は、信頼性が高いAE86が優勝

グループA規定による全日本ツーリングカー選手権(JTC)が開催されたのが1985年。これはヨーロパツーリングカー選手権(ETC)に範を取ったもので、開幕戦は6月2日のスポーツランド菅生。

JTCの1勝目はトランピオレビン(AE86)だ。ドライバーは星野薫。格上クラスを完璧に抑え込んだ。

当時、JTCのクラスは、JTC1~5に区分されていたが、グループA規定のクラス分けとしては1.6L以下のディビジョン1、1.6L~2.5L以下のディビジョン2、2.5L以上のディビジョン3となっている。

開幕戦を制したのはディビジョン1のトランピオレビン(星野薫)だった。このレースにはディビジョン3に83年のETCのタイトルホルダーであるハルトゲBMW635CSi(長坂尚樹/茂木和男)や、2Lターボで国産最強のスカイラインRSターボも出ていたが、BМWはコースアウトで大クラッシュを喫す。

スカイラインRSは電気系トラブルによるリタイア。レビンは、すでにETCでも実績があり、信頼性が高かったこと、トランピオが他メーカーに先駆けてラジアルスリックを採用していたことが勝因となった。

1985年からレギュラーとなったハルトゲBMW635CSi(長坂尚樹/茂木和男)。デビュー戦でクラッシュなど波乱のスタートだったが、この年のチャンピオンタイトルを獲った。

第2戦は6月16日「レース・ド・ニッポン筑波」。ポールポジションはニッサンスカイラインRSターボ(星野一義/近藤真彦)。しかし決勝ではBМWが強さを発揮。2位のトランピオ レビン(津々見友彦/見崎清志)に1ラップ差を付けての優勝。

続く第3戦は西日本サーキットで8月4日に開催された「85ビッグサマー全日本ツーリングカー選手権レース」で、無限シビックSi(中島悟/中子修)という後世に名を残すマシンが現れ、BMW、スカイラインを抑えポールポジションを獲得する。

優勝はハルトゲBМW635CSi(長坂/茂木)。シビックはオイル漏れでリタイアという結果に。

インターTECはボルボ240ターボの圧勝となる

第4戦は、10月13日の「鈴鹿300kmレース」だ。ポールポジションは前戦に続きホンダシビックSi(中嶋/中子)。決勝でも大排気量車に一歩も引かない走りを見せて総合優勝。2位、3位にはトランピオ レビン(AE86)が入り、BМWは4位という結果だった。

鮮烈な速さを見せたホンダ・シビックSi。無限チューンと中嶋悟/中子修のトップドライバーにより、鈴鹿では総合優勝を果たしている。

このように国産ディビジョン1のレビン、シビックvsディビジョン3のBMWという構図で進んでいったJTCの開幕年。迎えた第5戦は国際ツーリングカー耐久レース「インターTEC」で11月10日、富士スピードウェイでの開催となった。

海外からの遠征チームは、ボルボのみだったが、同年のETCでドライバー部門でのチャンピオンを獲得した強豪。また、初お目見えはBTCCなどに参戦していた三菱スタリオンもあった。

インターTECで気を吐いた三菱スタリオン。M.リュー/中谷明彦のドライビングによりインターTECではボルボ、BMWに次ぐ4位に入った。

予選ではボルボ240ターボ(T.ランドストロム/G.ブランカテリ)がポールポジション。セカンドローにも同車のS.ミューラー/P.デュドネが付ける。それに続いたのがスタリオン(高橋国光/武藤文雄)と、もう一台のM.リュー/中谷明彦。

決勝ではボルボが圧倒的な強さを見せた。2台の240ターボはワンツーの体制を崩さずラップを重ね、3位以下に7ラップの大差を付けて総合1位、2位を獲得。3位にはBMW 635 CSi(長坂/茂木)が入賞。4位にスタリオン(リュー/中谷)が入り、スカイラインは5位という結果だった。

インターTECで予選2から総合優勝を飾ったボルボ240ターボ。ドライバーはS.ミューラー/p.デュドネ)。3位以下に7ラップというぶっちぎりの速さ。

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