日本人の「他人に迷惑をかけてはいけない」の真意―華字メディア

華字メディアの日本華僑報は13日、「石川の地震から解析する日本人の『他人に迷惑をかけてはいけない』の真意」と題する文章を掲載した。

華字メディアの日本華僑報は13日、「石川の地震から解析する日本人の『他人に迷惑をかけてはいけない』の真意」と題する文章を掲載した。

文章は、元日に石川県で発生した能登半島地震が多くの死者を出したことに言及しつつ、「これまでと同じように、今回の地震が(人々の)混乱状態を引き起こすことはなかった。被災地の日本人は秩序を保っていた」と指摘。「テレビを見ると、数百人が広場や体育館に避難していたが、たばこを吸ったり、騒いだりする人がいないばかりか、話し声さえも小さくしていた。救助隊員やボランティアだけが物資を運ぶため小走りで移動していた。屋外でも屋内でも、避難所にはごみ一つ落ちていなかった」とした。

また、「地震で食料が乏しく、ガソリンの供給も逼迫(ひっぱく)した。しかし、日本人は依然として秩序正しく列を作って購入し、略奪する場面は見られなかった。理由は、日本人が小さい時から『他人に迷惑をかけるな』と教えられてきたことがある。自分がたくさん購入してしまえば他の家庭(が購入できず)に影響を与えることになる。つまり、迷惑をかけることになる。もちろん、そんなことをする人はみんなから排除される」と説明した。

続けて、「日本人は簡単に自分の悲しみの感情を表に出さないばかりか、自分の悲しみのために他人に心配をかけたことを謝罪したりもする」とし、「大地震で家族や友人が不幸に見舞われても日本人はあまり号泣することはなく、ただ黙って突然の出来事に耐える。誰かが助かった時には感謝の言葉だけでなく『すみません』と言う人が多い。彼らにとっては感謝よりも迷惑をかけたということが、最も表明すべき心情になっている」と指摘した。

文章は、「他人に迷惑をかけてはいけないというのは、日本人が一生守るべき人間としての信条になっていると言っても過言ではない。日本社会の秩序や世界で評価される日本人の資質には、他人に迷惑をかけてはいけないという潜在的な信条があり、彼らの行動を律している」と分析。例として、エスカレーターで片側を開けること、監視されなくても決められた通りにごみを分別して出すこと、自発的に公共空間の衛生維持に努めることなどを挙げた。

さらに、日本では人生が終わりに近づくと葬式など自分の死後の手配についてつづった「エンディングノート」を準備することにも触れ、「自分が突然亡くなった時に迷惑をかけないようにするためのものであり、その対象には当然、子どもなどの身内も含まれる」と言及。「最も震撼させられるのは、日本の自殺者の中には富士の青木ヶ原樹海をその場所に選ぶ人が相当数いるというが、その理由も、誰にも見つけられず、他人に迷惑をかけないというものだそうだ。自ら命を断とうとする時にすら守らねばならない世の鉄則になっていることが分かる」と感嘆した。

文章はその背景について、日本は自然災害の多い国であり、生きていくためには周囲の人たちと団結して助け合う必要があったとし、「特に江戸時代になってこうした関係性はより整備され、違反した場合は共同体から排除されるいわゆる“村八分”になる」と説明。「こうした状況は社会の成長に伴い変化して、より完全なルールが形成された。人々は均衡を保とうとし、一方がそれを破れば不安や不快感を与え、迷惑をかけることになる。日本人がお金の貸し借りをあまりしないのも人間関係の均衡を守っている例だ」と指摘した。

また、「日本人は突然、大きな贈り物をすることはないが、それは受け取る側を困らせるから。受け取った方は相手へのお返しを考えなくてはならず、受け取る側に迷惑をかけることになる。贈り物が大きければ大きいほど、迷惑も大きくなる」とし、「日本人も贈り物はするが、それは必ず深く考えられている。相手に迷惑をかけないという前提の下で、社会のさまざまな尺度に照らした上で行っている。気軽にお返しを受け取れることでみんなが喜び、人と人との関係が浅く長く続いていくのだ」と述べた。

文章は、「現代の日本社会ではルールを守ることはもちろん、他人に迷惑をかけないよう决められた社会規則を守り、社会を正常に運営していく必要がある」としつつ、「実はもっと深い原因がある」とも指摘。「それは忙しい現代社会の中で人々は無駄な付き合いに多くの時間を費やす余裕がなくなっていること。そのため、『他人に迷惑をかけてはいけない』のと同時に、『他人に迷惑をかけられたくない』という思いも含まれている。そしてそれこそが、現代日本人の『他人に迷惑をかけない』の根底にある真意になっているとも言える」と結んだ。(翻訳・編集/北田)

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