ニック・ファジーカス『“NICK THE LAST”に応えるようなシーズンにしたい』

2月14日に開催される第99回天皇杯のセミファイナルに進んだ川崎ブレイブサンダース。2012年からチームを支えてきた“キング”ことニック・ファジーカス選手が、今季限りの引退を表明している。

ラストシーズンに挑むファジーカス選手だったが、2024年1月6日のアルバルク東京戦で負傷離脱となってしまった。ニュースクランチは昨年11月末にインタビューしており、今シーズンにかける意気込みや、これまでコートのなかで見つめてきた日本バスケット界の成長の歩みについて聞いていた。

▲ニック・ファジーカス【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-Interview】

今シーズンで引退する理由は「人生観の変化」

昨季の川崎ブレイブサンダースは、天皇杯の3次ラウンドで、横浜ビー・コルセアーズに敗退し3連覇を逃すと、中地区首位で終えたリーグ戦も、チャンピオンシップで横浜ビー・コルセアーズに屈してクォーターファイナルで敗退。リーグ優勝の道はまたしても閉ざされることとなった。

レジェンドを優勝で送り出すための「特別なシーズン」に挑む今季の川崎は、以前よりもさらに積極的にディフェンスを仕掛ける戦術を取り入れ、タイトル獲得を目論んでいる。

「チーム全員が勝ちに対する強い気持ちや、自信を持ちながら集中力を切らさずにプレーできていますし、日本人の選手たちの活躍がスタートダッシュにつながったと思う」

そうチームを分析するファジーカスは、今季に入って400試合出場や国内リーグ史上2人目の個人通算1万4000得点も達成。1月のオールスターゲーム出場を決めるなど、引退を発表した今もなお健在ぶりを示している。

「まだプレーはできるけれど、僕の人生観や優先するべきものが変わりつつあることが引退を決めた理由。僕にとっては大きな決断でしたが、選手として17年間、頑張りましたし、これからは子どもの成長を見守りながら、家族とゆっくり過ごす時間を大切にしていきたい」

2023-24シーズン開幕直前の9月16日に引退を発表。チームの絆が深くなったと感じているという。タイトル獲得に向けて負けられない試合が続くが、今後の厳しい戦いにも意欲を見せた。

「自分のキャリアを通じて、一番良いシーズンにしたいという気持ちで戦っています。もし、天皇杯とリーグ優勝の2冠を成し遂げられたら、ケーキの上にあるトッピングのように、最後に良いものを乗せて現役生活を終えられる。それができるように残りの試合も全力で頑張っていきたい」

心が折れそうな日々を救った“父の言葉”

今でこそ“川崎のキング”に君臨するファジーカスだが、そこに至るまでの道のりは決して順風満帆なものではなかった。2007年にNBAのドラフト指名を受けたものの、わずか1年で解雇。その後はヨーロッパに拠点を移したものの、足の大怪我や給与未払いといったさまざまなトラブルが襲いかかった。

「あの頃はバスケットを全然楽しめていなかったから、“もう現役をやめようかな?”と思うことも正直ありました。でも、僕の家系は祖母も父もみんな忍耐強くて、僕も小さい頃から“諦めるな!”と父に教え込まれていたんだ。だから、ツラいことがあると、その言葉を思い出して、次のステージが開かれることを信じて、目の前のやるべきことに必死に向き合うようにしていたよ」

その後、フィリピンやASEANリーグで活躍し、充実の日々を過ごしたファジーカスは「チームが僕のことを信頼してくれて、バスケが好きだった頃の気持ちを思い出させてくれた」と、2012年に東芝ブレイブサンダース(当時)への加入を決めた。

「僕にとっての2度目のチャンスであり、当時の僕にとってはベストな選択でした。通訳の大島頼昌さんや北卓也ヘッドコーチ(現GM)をはじめとするチームの皆さんに、僕の加入を喜んでもらえてとてもうれしかった」

▲チームに加わった当時について語るファジーカス選手

日本を新天地として選んだ理由を語るファジーカスだが、加入前年の2011-12シーズンの東芝は、8勝34敗でリーグ最下位に沈むなど、バスケット界の“エリート街道”を知る彼にとって、これまでのバスケット人生では経験がないような厳しいチーム状況もわかっていた。

「僕がチームに加わった当時は、まだ実業団チームだったし、選手たちの勝利に対する執着が薄くて、正直に言うと僕自身も不満や物足りなさを感じたことも時々あった。

この頃のエピソードで記憶に残っているのが、試合前の声がけで“プレーオフに行ける可能性があるから、できるかぎり頑張ろう”と誰かが話したときに、マドゥ(ジュフ磨々道、2012-17在籍)が“プレーオフに進出して、優勝するのが目標じゃないのか!?”とチームメイトを問い正した場面だね。

日本人の選手たちは“本当に…?”みたいな感じのきょとんとした表情を見せて、戸惑いながら顔を見合わせていたんだ。でも、僕や辻(直人)、マドゥーが加入してからチームはどんどん力をつけていき、まるで別のチームになったように生まれ変わっていったよ」

その言葉通りに、東芝はファジーカスの加入初年度の2012-13シーズンは、チームとしては8年ぶりのファイナル進出を成し遂げて準優勝。ファジーカスは得点王のタイトルを手にするなど、ここから長きにわたってチームの躍進を支えていくことになる。

10年前は勝敗優先ではなく戸惑うこともあった

今年9月に開催されたFIBAバスケットボールワールドカップ、男子日本代表の躍進は記憶に新しいが、ファジーカスが来日した当時の日本バスケット界は、混乱の渦中にあった。

国内に2つのリーグが並立する異例の状況をFIBAは問題視。日本バスケットボール協会(JBA)は会員資格の停止を言い渡され、一時は日本代表が国際試合に出場できない状況も経験した。その後、さまざまな紆余曲折を経て、2016年にはBリーグを設立。東芝は川崎ブレイブサンダースと名称を変え、プロチームとしての歴史を歩み始める。

日本バスケットボールリーグでの活躍を経て、Bリーグ初年度に得点王とシーズンMVP(※NBL時代を含めると2度目)を獲得するなど、日本バスケット界の飛躍をコート内で感じ取ってきたレジェンドが当時を語る。

「日本人だけではなく、レベルの高い外国籍選手がBリーグでプレーするようになって、かつてとは比べようもないくらいに競技のレベルが上がった。みんながプロの選手になり、競技成績が生活に直結するようになったことが影響しているんじゃないかな?

僕が加入した頃は、まだ実業団のチームで、チーム内のプロ選手は外国籍の選手数人だけ。毎日の練習は、日本人選手が仕事を終えたあとからだし、大切な試合がある数日前なのに部署の飲み会に参加しないといけない選手がいたり、必ずしも勝利が優先されるわけではなくて、時に戸惑いや不安を感じたこともあったよ。

でも、プロ選手になった途端に、みんなの意識が変わったような気がする。バスケットが仕事に変わったことで、日頃の練習やトレーニングに真摯に向き合う選手たちの姿を見る場面も増えた」と、自身が感じた日本バスケット界の凄まじく驚異的な変化を口にする。

▲日本バスケットボール界に貢献したレジェンドのラストシーンに注目だ

『NICK THE LAST』に向けて

2024年のパリオリンピックなどでも、バスケットボールが多くの人々を魅了し、将来の日本バスケット界を担うことになる子どもたちの心を震わしながら、変化の波は加速していくことになるだろう。

「バスケットボールで一番大切なのは、基礎の技術を大切に磨きつつも、心から楽しんでプレーをすること。あとは昔から言われていることだけれど、練習すればするだけ完璧に近づけるから、練習を積み重ねることが大切です」

後進に向けてエールを送るレジェンドの引退に花を添えるべく、今季の川崎は『NICK THE LAST』を掲げてさまざまな企画やグッズを展開している。一番のお気に入りは、未来を見据えているような表情が印象的な写真入りのTシャツらしい。

「僕自身が遠い未来を見ているような素晴らしい写真や、『NICK THE LAST』というテーマを気に入っていて。僕の引退を盛り上げようとしてくれているチームに感謝してるし、その気持ちに応えるような特別なシーズンにしたい」

チームに関わるさまざまな人々の思いを背負ってプレーする彼が、最終年に懸ける意欲はこれまでになく高い。

「ファンの皆さんには楽しみながら見てほしいと思いますし、僕自身もそれを体現しようと思っています。終わりは悲しいですけど、全ての最後ではありません。12年間の感謝の気持ちを伝えるためにも、しっかりと結果を残さなければならないと思います。

僕は今シーズンでチームを離れることになったけれど、決してチームと縁を切るわけではないから、また何かしらの形で川崎ブレイブサンダースの一員になれたらなと思っているよ

バスケット界が盛り上がりを見せるなか、歓喜のラストシーンに向けて走り続けるレジェンドの最後の勇姿に注目したい。

(取材:白鳥 純一)


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