韓国人選手初の韓国/日本/アメリカでプレーした中日の不良助っ人とは!?【プロ野球助っ人外国人列伝】

助っ人外国人列伝/中日ドラゴンズ編

日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ選手を紹介する。

メジャーへの夢を追って日本へ来た!サムソン・リー

【投手第5位】サムソン・リー

〈NPB通算データベース〉
・勝利 7勝
・敗戦 5敗
・セーブ 3S
・防御率 3.30

いつかメジャーへの夢を追って日本へ

助っ人外国人とは不思議なもので、残した功績がそのままファンの記憶に残るとは限らない。1998年から中日でプレーした李尚勲ことサムソン・リーは、功績よりも風貌やキャラクターでインパクトを残した助っ人外国人投手である。

ソウル高校時代から左腕の速球投手として活躍していたリーは、高麗大学を経て1993年に韓国プロ野球のLGライオンズに入団。迫力が伝わる全力のストレートと体全体を使って打者のタイミングをはずすチェンジアップを武器に入団2年目からエース球の活躍を見せ、1994年から2年連続最多勝のタイトルを獲得した。

だが、登板時は常に全力プレーをしていたため、1996年のシーズンは肩を痛めて途中離脱してしまう。持病である左腕の血流障害と慢性的な脱臼に悩まされたリーは、1997年にストッパーへ転向することになった。

短いイニングで全力出せるストッパーなら問題がなく、リーは見事に37セーブを挙げている。入団5年で韓国球界のトップ投手となったリーはチャレンジ精神が旺盛であり、翌シーズンにポスティングでメジャー移籍を試みる。

しかし、入札したレッドソックスの金額が低かったことから移籍を諦め、チームが提携関係にあった中日に移籍することが決定した。

2年目は長髪を振り乱して汚名返上

当1998年、来日して入団会見に挑んだリーの姿にマスコミやファンは驚愕する。それはトレードマークでもあった長髪があまりにも長かったからだ。1990年代のNPBは髪型や色にうるさい時代であり、肩を超えて背中に届くリーの長髪に、「あんな長髪は許されない!」「韓国のヤンキー」など、批判の声が聞かれた。

肝心の成績のほうも契約の遅れから調整不足が顕著であり、持病の血流障害も影響して登板するたびに一発を浴びる始末。もちろん、リーの長髪はファッションの一部であり実力とは関係ないのだが、不甲斐ない成績も相まって「不良外国人助っ人」と批判されてしまう。

こんな成績ではメジャー挑戦どころか韓国にも帰れないと、リーはオフを返上して日本で投げ込みを行った。また、先輩である母国の英雄としてNPBで成功していた宣銅烈(ソン・ドンユル)に従事し、日本で結果を出すための心得を伝授される。

こうした努力が実を結び、1999年は主に中継ぎとして本領を発揮。長髪をなびかせながら強気の投球を披露。たびかさなる血流障害に苦しみながらも三振を奪うたびにマウンドで吠え、バッターボックスに立てばバットを振りすぎて脱臼するなど、勝ち気でやんちゃなプレースタイルが中日ファンの心を掴んだ。

なお、同シーズンはソンと李鍾範(イ・ジョンボム)もチームの中心選手として活躍し、チームは快進撃をひた走った。最終的にペナントを制覇しているが、「韓国三銃士」なしにこの結果はなかっただろう。

メジャー進出後、ミュージシャンに転向

そして、2000年はリーの長年の夢であったメジャーに進出し、晴れてレッドソックスに入団。韓国人選手として韓国、日本、アメリカのプロ野球を経験するはじめての選手となった。

残念ながらメジャーでの登板は5試合に終わり、2002年にアスレチックスの3Aチームに移籍。だが、当時のアスレチックスは強力な投手陣が控えており、リーの出る幕はなかった。

シーズン途中から韓国の古巣・LGライオンズに復帰。途中入団ながら安定感のある守護神として働き、チームの韓国シリーズ進出に貢献した。2003年は30セーブを挙げて韓国プロリーグで2度目のセーブ王に輝いている。

だが、キャンプ中に趣味のギターを持ち込んだことが問題視され、監督と対立してしまう。これが原因でSKワイバーンズにトレードされたリーは、シーズン中に突如引退してロックミュージシャンに転身。「WHAT!」というバンドのギタリストとして韓国で活動したから驚きだ。

これまでにリーが積み上げたキャリアとキャラクターは、ファンのみならず球界関係者の評価も高く、2012年から指導者の道を歩む。2015年に斗山ベアーズ、2018年からクビになったLGライオンズの投手コーチを務めているが、あれだけこだわりを持っていた長髪をばっさりと切り落としたことで話題となった。

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