藤波辰爾 猪木さん故郷・横浜での猪木展に「60分独り占めできたわけだから」横浜文体での伝説死闘振り返る

プロレスラーの藤波辰爾(70)が15日、横浜市で令和6年能登半島地震復興チャリティー「~おかえりなさい、猪木さん~燃える闘魂・アントニオ猪木展」(16~25日、MARKISみなとみらい1階)の内覧会に出席した。

横浜市出身で2022年10月1日に79歳で亡くなったアントニオ猪木さんの誕生日(2月20日)に合わせ、お宝写真やガウン、IWGP、NWF世界ヘビー級ベルト、猪木さんの好敵手だったタイガー・ジェット・シンのサーベルなどが故郷に展示。来場者はベルトやサーベルを肩にあて、写真撮影ができる。

猪木展の会場は、猪木さんと藤波が1988年(昭和63)8月8日、新日本マットで60分フルタイムドローの死闘を繰り広げた旧横浜文化体育館に近く、同大会のパネルも飾られた。藤波は「今回は怖い猪木さんの写真ばっかり飾られている。あの時は怖かった…」と、鬼気迫る師匠の写真に目を細めていた。

話はやはり、かつての横浜文化体育館での伝説マッチに。藤波は「猪木さんが僕に挑戦してきたっていうかつてない図式。僕はちょうど全盛期で(IWGPの)ベルトを持っているわけだから、負ける要素がないっていう感じで。でも、猪木さんが時間が経つにつれて、調子を上げてくるんだよね。びっくりした。強さというか、執念を感じた」と述懐した。

60分のドローのゴングが鳴った時、藤波は猪木さんの上にカバーしようと決めていたと明かす。「最後、猪木さんにひっくり返されましたね。それくらい、猪木さんに意地があったんでしょうね。『俺は絶対、弟子には背中をつけて終わらないぞ』って」と負けん気を感じたという。「それでも、僕は猪木さんを60分独り占めできたわけだから…こんなぜいたくなことはなかったよね」と、色あせない記憶をたどった。

来場者には、猪木さんにメッセージが送られるポストカードが配られる。会場に設置された闘魂ポストに投函すると、闘魂が眠る同市の総持寺で焚き上げられる予定だ。「僕の場合は50年…50年猪木さんと一緒にいましたからね。やっぱり『感謝』。『ありがとうございました』ですね」と、大きな体を丸めてメッセージを書いていた。

猪木展の収益の一部は、日本赤十字社を通じて能登半島地震の被災地に寄付される予定。会場では、元プロレスラーの馳浩石川県知事(62)からのビデオメッセージが流される。

(よろず~ニュース・杉田 康人)

© 株式会社神戸新聞社