想像を絶するDV夫のたくらみ。「した側」なのになぜかメンタル不調を訴えて休職、その真相とは【共同親権を考える】

2月15日、法制審議会は「共同親権」を可能にする民法改正要綱を答申しました。「共同親権」とは、離婚後は父か母のどちらか1名に子の親権が帰属する現状の「単独親権」ではなく、離婚後も父母の双方が子の親権を持つ方式です。政府は今国会にも改正案を提出する方針です。

この改正の背景には「子の連れ去り問題」があります。離婚を考える親が親権を確保するための監護実績を作ろうと、子どもを連れて姿を消す事象で、海外では「誘拐」と判断される違法行為です。長年この問題を追いかけてきたライターの上條まゆみさんが、連れ去りの実態を解説します。

「連れ去られて4年」母親はわざと笑いながら語った、あまりにも辛すぎる話だから

別居や離婚がきっかけで、子どもと会えない親がいる。父親もいるが、母親もいる。

こと母親について、世間のイメージは最悪だろう。母親なのに子どもと会えないなんて、よほど酷いことをしたのでは? 不貞や虐待など、よほどの有責事由があるのでは?

わたし自身、偏見がなかったというと嘘になる。

でも、実際の「子どもと会えない母親」に出会い、その偏見は吹き飛んだ。

彼女たちの多くは、真面目で善良な母親たちだ。子どもの夜泣きに悩み、苦労して離乳食を食べさせ、いっしょにテレビを見て笑い、自転車の練習に付き合い、ときに叱りすぎた日は子どもの寝顔を見て悔やむ、どこにでもいるけれども子どもにとっては唯一無二の、愛情深い母親たちだ。

それなのになぜ、子どもと会えないのか。

本連載では「子どもと会えない母親」へのインタビューを通して、その実態に迫っていく。

「子どもと会えない母親」のひとり、甲斐美穂子さん(仮名・40歳)は、よく笑う。話しながら、語尾に「笑」をつける。それでつい、こちらも笑顔で応えてしまうのだが、話の内容は笑うどころではない。

「いま、子どもは小学6年生と2年生。4年前、夫が子どもを遠く九州地方の実家に連れ去ってから、ひと目も会えていないんです」

この4年、あらゆる手を尽くして闘ってきた。高等裁判所では、美穂子さんに子どもの監護権を認める判決が出ているし、人身保護請求でも勝訴している。それでも夫は「子どもがいやがっている」として子の引き渡しを拒み、司法はそれを強制する術がない。

「信じられないでしょう、ひどいでしょう〜」と、美穂子さんはここでまた笑う。

笑わなければ、笑って平気なふりをしなければ、崩壊してしまいそうな心を抱いて、美穂子さんは生きながらえている。

美穂子さんが夫と出会ったのは大学時代。当時、美穂子さんは、家族の問題で悩んでいた。半ばうつ状態にあった美穂子さんを精神的に支えてくれたのが、大学の2つ先輩である夫だった。

しばらく交際し、美穂子さんが26歳のときに結婚。いま思えば、当時からモラハラの気があった。

「大学を卒業してからアルバイトで働いていたのですが、正社員ではないことを『人として価値がない』と責められ続けて。なんとか正社員の口を見つけたのですが、今度は『稼ぎが悪すぎる』と。収入を上げるためにむずかしい国家試験にチャレンジするように言われ、無理やり勉強させられました」

なかなか結果を出せない美穂子さんに対して、夫は「無能だ」「俺がいなければおまえは何もできない」「俺が常識を教えてやる」と罵倒した。心が弱っていた美穂子さんは、夫が言うとおり自分はダメな人間なのだと思い込んでしまった。

強烈なDVを「した側」の夫がなぜかメンタル不調を訴えて休職する。絶句する「たくらみ」

長男が生まれると、もう逃げられないと思ったからか、身体的な暴力も始まった。殴る、蹴る、突き飛ばす。スマホは3台も壊れた。

「逃げ出せばよかったと言われればそれまでですが、当時は、いかに怒られないで毎日をやり過ごすかで頭がいっぱいだったんです。夫に『俺がいなければおまえは何もできない』と洗脳されていたので、ひとりで子どもを育てる自信がなかったということもあります」

だが、ある日、脇腹を死ぬほど殴られた。息ができないほどの痛みにうずくまり、救急車を呼んでくれと夫に懇願したが放置された。その日、美穂子さんは子どもを連れて警察に駆け込んだ。

「アザだらけの体を見せると、すぐにシェルターを手配してくれました。子どもを連れて着の身着のまま、シェルターで2か月過ごしました。シェルターを出てからいったん実家に帰ったのですが、夫が『DV更生プログラムを受けたから戻ってきてほしい』『もう二度と暴力はふるわない』と言うので、それを信じて家に戻ったんです。私にとってはひどい夫でも、子どもにとってはたったひとりの父親なので、奪ってはいけないと思いました」

夫は、妻がシェルターに入るまでに追い詰められていたことにショックを受けたとしてメンタルの不調を訴え、休職した。

美穂子さんは、夫が休職したのは、子どもを連れ去る準備だと考えている。

「離婚にあたり、父親が子どもの親権をとるのはそもそも不利。妻に暴力をふるった事実があれば、なおさらです。それで夫は、おもに子どもの面倒を見ていたのは自分だと主張するために休職したと思うのです」

美穂子さんが仕事に出て、夫が子どもと家にいる日々が1年ほど続いた。

シェルター騒ぎ以降は、身体的な暴力はなくなった。夫婦仲は冷え切っていたが、しばらくはこのまま家族としてやっていけるかな……。そう思っていたのは美穂子さんだけ。小康状態にあった日常は、ある日突然、夫によって打ち砕かれた。

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取材・文/上條まゆみ

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