頭脳警察 - 無冠の帝王が混迷の時代に突き付ける叛逆の歌の真骨頂! 最後のオリジナル・アルバム『東京オオカミ』の制作秘話とPANTAの遺志をメンバーとスタッフ、レコーディング・プロデューサーのアキマツネオが激白!

頭脳警察の活動継続を決心した意図

──先日、TOSHIさんが夕刊フジの取材に応えて「頭脳警察は続きます」とバンドの継続への思いを告げられました。昨年9月1日に行なわれたPANTAさんのお別れ会・ライブ葬のときは頭脳警察の看板はいったん降ろすと話していましたが、どんな心境の変化があったのでしょうか。

TOSHI:マネジメントの田原氏と話していて、PANTAの一周忌もスケジュールとして入っていることだし、やっぱり続けていこうかなと。具体的にどんな形で継続するかのイメージは今のところ全然ないんだけど、今のメンバーとはこの先もずっと付き合っていきたいという思いが個人的にもあるので。その辺りの話は、田原氏やメンバーとの対話の中で今後具体的になっていくのかなと思ってる。

──PANTAさんが旅立たれて半年が過ぎましたが、今はどんなお気持ちですか。

澤:長いこと会ってないなという感覚ですね。頭脳警察のレコーディングで1カ月会う機会があった後はPANTAさんの治療期間が何カ月かあって久しぶりに会うという感じだったので、いまだにその感覚が抜けないと言うか。毎月頻繁に会うのではなく、会うときは集中して会うみたいな。それと、今の世界情勢や社会のニュースを見るたびにPANTAさんと話してみたいなと思うことが多々あります。だけどもうそんな話もできないんだな、一緒にスタジオへ入れないんだなと、いろんなニュースを見るたびに実感しますね。

宮田:僕も似たような感じです。洗濯物を干しているときにふと思い出したりとか。もういないんだなと言うよりは、今ごろどうしているんだろう? と思ったり。

アキマ:つい最近まで『東京オオカミ』の作業をしてずっと聴いていて、PANTAはそのアルバムの中で生き生きとした姿で実在しているわけですよね。だから亡くなってしまったことを頭では理解しているけど、実感があまり湧かない。PANTAが夢に出てきたことはありますけどね。しょっちゅう会ってる体で「よう!」って来るんだけど、夢だから会話が噛み合わないんです。PANTAが凄く真剣な表情で何かを喋っているんだけど全然聞き取れないし、「何を食べてるの?」と聞いても駄洒落みたいな受け答えだし。人に伝わらないような駄洒落をよく話していたじゃないですか、自分だけ大喜びするような(笑)。

──TOSHIさんは、PANTAさんが夢に現れたりすることは…?

TOSHI:何度か見たよ。凄く元気だった。

──このたびリリースされた『東京オオカミ』ですが、アルバムを残しておきたいというPANTAさんの意向が制作の発端だったんですか。

TOSHI:その経緯については、田原さんに……。

田原:最後にみんなでアルバムを作ろうと、自然発生的に動いた感じでした。結成50周年を記念して発表した『乱破』で終わりではないという認識が共通してあったし、新曲もできていましたし。2021年8月にPANTAさんが余命1年と宣告され、そこから未来を見据える上でも新たなアルバムを作ることがミュージシャンとして自然なモチベーションであったと思います。新曲を作る、ライブをやり続けることが未来へ繋げる行為でしたし、実際、2024年2月4日までライブハウスのスケジュールを押さえていました。PANTAさんが存命なら、そこまできっちりライブをやる予定でいましたから。

──制作期間はいつ頃だったのでしょう?

田原:PANTAさんが退院した2022年の9月から11月頃までに全部を録りきりました。余命1年を乗りきり、そのときの治療が上手くいって元気になったので、取れる限りのスケジュールを取ってレコーディングに集中したんです。最初に「東京オオカミ」のテーマが生まれて、そこから一気に録っていきました。

歴史に復讐する象徴的存在としてのオオカミ

──「東京オオカミ」の作詞は、PANTAさんと田原さんの共作という珍しいケースですね。

田原:2人で随分と話し込んで資料を集めたり、一緒に東京中の神社を探し歩いてオオカミの像を見つけたりしました。僕が生まれたとき、家の門に赤い犬と白い犬が住み着いて、1カ月くらいいたんです。自分が生まれたときに突然いなくなったんですけど。その話をPANTAさんにしたら、「田原、それは犬じゃなくてオオカミだよ」と。ニホンオオカミは明治時代に絶滅しているし、そもそもオオカミが東京にいるわけがないのに、PANTAさんは「いや、オオカミに違いない!」と譲らない(笑)。それが「東京オオカミ」のテーマが生まれたそもそものきっかけなんです。東京にオオカミがいるんじゃないかという妄想から始まり、最初の寛解の後にTOSHIさんの個展とライブ(『とし+とめ展』)に行きたいとPANTAさんが言い出して。それでTOSHIさんが個展を開催していた高崎のギャラリーまで同行したんですが、その道中で食事をしたお蕎麦屋さんが、日本にオオカミはまだ生存しているんじゃないか? と考える猟師さんたちの集い場みたいな店だったんです。その店の壁一面にオオカミの写真や絵が貼られてあって、オオカミの資料も豊富に置いてあったんですね。そこでPANTAさんの中で一つの物語が出来上がり、「東京オオカミ」の創作へと繋がっていったんです。

──PANTAさんとしては、絶滅したオオカミの姿に自身を投影した部分があったのでしょうか。

田原:オオカミは歴史上抹殺された生きものだけれども、実は生きている。その有り様を時代への復讐、歴史への復讐と捉えていたんだと思います。「タンゴ・グラチア」もそうですね。明智光秀の娘である細川ガラシャをテーマにしたのは、石田三成の人質になることを拒み、壮絶な最期を遂げたとされるガラシャへの鎮魂歌でありながら、もしかしたら彼女は生き延びていたのではないか? というテーマもあるんです。それもまた歴史への復讐であると。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』も死んだはずなのに生きていたというのがテーマとしてありましたが、ああいう作風からの影響もあるでしょうね。史実とは異なる仮説から新たな物語が生まれるというような。

──「東京オオカミ」のエンディングは「銃をとれ!」を彷彿とさせるし、「そう伝説を飛び出せ」という歌詞は「歴史から飛びだせ」を連想します。他にも「絶景かな」のイントロは「世界革命戦争宣言」を意識したようにも感じるし、本作は頭脳警察のセルフオマージュ的要素が随所に盛り込まれていますよね。

田原:「絶景かな」のイントロはおおくぼ(けい)さんのアイディアでしたが、セルフオマージュを散りばめるのはPANTAさんやメンバーの間で固まっていたんでしょうね。

──「タンゴ・グラチア」のような曲が生まれたのは、PANTAさんがマーティン・スコセッシ監督の『沈黙 ─サイレンス─』で隠れキリシタンの集落であるトモギ村の村民役を演じたことが大きかったんでしょうか。

田原:『沈黙 ─サイレンス─』の村長が処刑されるシーンで、PANTAさんの顔がアップになりますよね。そこで呟くように唱えているのが「ぐるりよざ」という、隠れキリシタンの人々が口伝してきたグレゴリオ聖歌なんです。“グロリオサ”(Gloriosa)が訛って“ぐるりよざ”として広まったと言われています。その話をPANTAさんが調べていて、「ぐるりよざ」という曲の存在を竹内(理恵)さんとおおくぼさんが知っていたんです。竹内さんに至ってはその場で吹いて聴かせて、それを「タンゴ・グラチア」のイントロに使っているんです。

──ガラシャが隠棲したのが京丹後市ということでタンゴの曲調にしたというのが面白いですね。

田原:ガラシャの悲劇はヨーロッパにも伝わり、1698年にウィーンのハプスブルク家で『気丈な貴婦人-グラーチア 丹後王国の女王』というイエズス会のオペラが上演されています。それをマリー・アントワネットが子どもの頃に観劇していたんですよね。その戯曲の楽譜が見つかったという話も「タンゴ・グラチア」が生まれた経緯の一つみたいです。PANTAさんに言わせると、「タンゴの語源は丹後に違いない!」と(笑)。そんな妄想からタンゴの曲調になったようですね。

レコーディング中のPANTAは至って明るく元気だった

──アキマさんは今回、レコーディング・プロデューサーを務めていらっしゃいますが、どんな経緯で参加することになったんですか。

アキマ:最初は田原さんからレコーディングしたいという話をいただきました。PANTAの体調は逐一聞いていて、いろいろと制約がある中でのレコーディングになると。僕としては、果たしてその状態でフルアルバムを一枚録りきれるのか? という疑問もあったんだけど、そこはみんな暗黙の了解と言うか、PANTA自身も同じ考えだったと思うんですよ。これはPANTAの遺作になってしまうと思ったし、ならば余計、絶対に納得のいくクオリティで残したかったので凄く悩んだけど、僕の自宅から近いスタジオでレコーディングできることもあって参加を決めたんです。凄く融通の効くスタジオだし、ブースがいっぱいあるからPANTAが希望していた“せーの!”で録ることもできたし。近所だから僕のアンプ機材も気軽に持ち込めたしね。それに、客観的な立場の人間がいないとちゃんとしたレコーディングができない雰囲気にもなっていたので。

──PANTAさんの体力的にも時間的にも、セルフプロデュースというわけにはいかなかったでしょうしね。

アキマ:PANTAに任せたら、お菓子を食べながらお喋りして1日が終わっちゃう可能性があったから(笑)。

田原:アキマさんは学校の先生みたいでしたよね。「はい、そろそろ行きまーす!」と適宜に現場を仕切ってくださって。

──メンバーもスタッフもこれが頭脳警察として最後のレコーディングになるかもしれないと考えていたということは、だいぶ張り詰めた空気の中で制作が進行していったんですか。

TOSHI:そんなこともなかった。これが最後だという意識はなかったからね。

田原:悲壮感みたいなものはなかったですよ。むしろ、このアルバムを完成させたことで奇跡的に完治するんじゃないか!? とすら考えていました。医者に告知された余命期間はすでに超えていたし、レコーディング中のPANTAさん本人は至って明るく元気でしたから。音もどんどん良いものが録れていましたし。その作業を通じて希望を抱いていたので、この調子ならライブもやれると思って2024年2月4日のスケジュールまで押さえておいたんです。

アキマ:レコーディング中のPANTAは凄く元気で、病人感はゼロでしたね。歌もしっかりと唄えていたし、レコーディングが進むに従ってPANTAはどんどん元気になっていったんです。目に見えて回復していっているのがわかったし、僕らも悲壮感はまるでありませんでした。

──おおくぼさんが作曲した「RUNNING IN 6DAYS」、宮田さんが作曲した「風の向こうに」、澤さんが作曲した「宝石箱」はどれも、PANTAさんが以前、バイク雑誌へ寄稿した歌詞が使われているとか。

田原:『MASSIMO』というバイク雑誌ですね。PANTAさんに言われて掻き集めました。

──ということは、澤さんも宮田さんも詞先で曲作りをしたわけですね。

澤:そうです。詞先で曲を作るのはこれが初めてだったし、そもそも頭脳警察のアルバムに自分の作曲した曲が入っていいのか? とも思ったんです。でも入れていいと言われているからには、それに相応しい曲を絶対に作らなきゃいけないという使命感が凄くありました。「宝石箱」は結果的に完成するまで凄くお待たせしちゃったんですが、自分としてはセルフオマージュ的要素を盛り込んだつもりなんです。『時代はサーカスの象にのって』という寺山修司さんの戯曲を元にPANTAさんが曲を付けたように、あの曲から受けたインスパイアを僕なりの解釈で詰め込んでみたと言うか。そのことをPANTAさんには伝えられなかったんですけどね。頭脳警察から受けた影響を自分なりに解釈して曲作りができたら面白いだろうなと思って。

──「宝石箱」は高揚感のある曲調で、歌詞と相俟って希望に満ちたニュアンスの楽曲に仕上がりましたね。

澤:強いメッセージ性に溢れた歌詞なので、曲調も明るくしたかったんです。

若いメンバーに曲作りを依頼したPANTAの意向

──「風の向こうに」はどことなく「スホーイの後に」を彷彿とさせる曲ですね。

宮田:それが自分なりのセルフオマージュ感なんです。「スホーイの後に」のもうどうなっちゃってもいいような自由な構成と言うか(笑)、ああいう枠にとらわれないPANTAさんの曲作りの精神が好きだし、今回はテンポの早い、ノリの良い曲が少なかったのでそういうタイプの曲を作ろうと考えたんです。

──ボーカルとコーラスのサビの掛け合いが耳に残るし、バンドの一体感もよく出ていますね。

宮田:あの掛け合いは曲作りの段階から考えていました。と言うのも、リハーサルでもライブでもコーラスをいっぱいやってほしいというリクエストがPANTAさんからあったんです。「この曲はコーラスを入れて」とその場で突然言われるんですけど、そんなの急にはできないと思って(笑)。そういう注文をよく受けていたので、掛け合いのある曲を作ろうと思ったんです。

──「東京オオカミ」でも「吠え続けろ」というサビで聴けるコーラスが印象的ですよね。

宮田:あのアレンジでもコーラスを入れてみました。竜ちゃんと2人で考えて、「こんなのどうですか?」とPANTAさんにお伺いを立てて。「ソンムの原に」とか僕がアレンジした曲は基本的にそんな感じです。

──どこか中期ビートルズを想起させる、サイケデリックとアジアのテイストが入り混じった「雨ざらしの文明」のアレンジも宮田さんですか?

宮田:あのアレンジは竜ちゃんですね。

澤:オリエンタルなニュアンスを出してみようとアレンジして、今回はそのアルバム・バージョンとして収録しました。『絶景かな』のEPに入れた3曲(「絶景かな」、「雨ざらしの文明」、「ソンムの原に」)はどれも新たに録り直したんです。

──その3曲はどれも、今回のアルバム・バージョンのほうが歌もアンサンブルも良さが増していますね。

澤:今度のほうが断然いいですね。

田原:EPの音源は、コロナ禍で映画(『zk/頭脳警察50 未来への鼓動』)のために急遽録ることになったライブ・バージョンみたいなものでしたからね。コロナでロックダウン宣言が東京で出た日にラママで録ったものなので。

──「ドライブ」の作詞をPANTAさんではなく、作曲した宮田さんが作詞まで手掛けているのは異例中の異例と言えますよね。

宮田:3、4年くらい前に頭脳警察用の新曲を作ろうという話になって、準備していた曲なんです。何度かPANTAさんの運転する車に乗せてもらって、そのときにPANTAさんと話したことなどをヒントにして歌詞に盛り込んでみました。歌詞をPANTAさんに見せたら「ちょっとこっちに寄せてくれたんだね」と言われたんですけど、歌を録る段階では「この曲は岳が唄ったほうがいいかもしれないな」とぼそぼそ話していましたね。結果としてこの「ドライブ」はアルバムの中ですとんと景色を変えるところがあって、自分でも好きな曲ですね。

アキマ:うん。いいフックになっているよね。

宮田:凄くシンプルな構成の曲だからかもしれないですね。

──ということは、数年前に頭脳警察の楽曲コンペみたいなものがメンバー内であったんですか。

田原:そういうわけでもなくて、若いメンバーに積極的に曲作りをしてほしいという意向がPANTAさんの中であったんです。曲作りだけではなく、たとえば今回は収録を見合わせた「海闊天空」は竜ちゃんが唄っているし、PANTAさんはボーカル自体を任せてもいいとすら考えていました。PANTAさんと竜ちゃんの“隼”というユニットで竜ちゃんの作った「遠まわりして帰ろう」をPANTAさんが唄ったり、PANTAさんとおおくぼさんの“PANTA et KeiOkubo”というユニットでおおくぼさんの作った「カナリア」をPANTAさんが唄ったりと、若手3人の自作曲を唄ったり、一緒に作曲する行為をPANTAさんは純粋に楽しんでいたんです。それを頭脳警察でもやることに対して大きな意義を感じていたと思います。

──そういう流れを、頭脳警察のオリジナル・メンバーであるTOSHIさんはどう見ていたのでしょう?

TOSHI:若いメンバーが書いてきた曲はどれもいいし、従来の頭脳警察とも違和感が全くないよね。「ドライブ」もPANTAが唄えば本人が書いた曲みたいに聴こえるし、竜ちゃんの作った「宝石箱」もこのアルバムの中で全く違和感なく存在しているし。

『KISS』から42年の歳月を経て完成した橋本治への恋歌

──水族館劇場主宰/座付作者の桃山邑さんが作詞した「海を渡る蝶」は、2019年4月に新宿花園神社に設営された水族館劇場野外天幕で行なわれた結成50周年1stライブ『揺れる大地に』(PANTAが音楽を担当した水族館劇場の芝居が行なわれるテント小屋でのライブ)で披露された曲ですか。

田原:あのライブではやらなかった曲なんです。『揺れる大地に』のために用意されていたんですけど、「海を渡る蝶」だけ芝居の中で使われませんでした。途中で入る台詞の部分は女性の声を想定してあって、PANTAさんの中で「これはマリアンヌ東雲しかいない」と考えていたようです。

──ジャジーなテイストでアレンジを固めるのは満場一致だったんですか。

田原:そうですね。サックスの竹内さんが『上海バンスキング』みたいなイメージを提示していたし、水族館劇場の芝居もかつての満州を舞台にしたものだったので、そういう曲調がいいだろうと。

──楽曲自体は20年以上前から存在し、『暗転』にも収録されていた「時代はサーカスの象に乗って」を再録したのはどんな意図があったんですか。

田原:PANTAさんがこのアルバムを作ろうとしたときに最初から収録したいと考えていたのが「時代はサーカスの象に乗って」だったんです。それも今回のアルペジオ・パターンのアレンジで入れたいということで、竜ちゃんに「イントロはこんな感じで弾いてほしい」とPANTAさんが直々にレクチャーしていたんです。(TOSHIに)このアルペジオ・パターンのアレンジは、90年代に一度やっているんですよね?

TOSHI:うん、何度かやってたね。当時、その形で録音しようと思っていたけど、結局しなかったんじゃなかったかな。

──2008年に発表されたシングル・バージョンと比べて軽やかな感じが増した印象を受けますね。

TOSHI:そうだね。シングルで出したときはもっと重い感じと言うか、引きずったところがあった。

──奇しくも今日(1月29日)が命日である橋本治さんへの鎮魂歌「冬の七夕」ですが、PANTAさんが亡くなったのが去年の7月7日=七夕だったので、ちょっとできすぎた話だなと思いまして…。

田原:橋本さんが亡くなった日に、荒川の土手にいたPANTAさんから電話をもらったんです。そのときに「こういう曲ができたから聴いてくれ」と、ケータイ越しにアカペラで唄ってくれたんです。それが「冬の七夕」の原曲でした。当時、宮沢賢治と彼の親友である保阪嘉内の関係に焦点を当てたドキュメンタリー(ETV特集『宮沢賢治 銀河への旅 ~慟哭の愛と祈り~』)をPANTAさんが見たんです。保阪嘉内は『銀河鉄道の夜』のカムパネルラのモデルとも言われていて、宮沢賢治は生涯をかけて彼を愛していた。その2人の関係性に着目したPANTAさんが橋本治さんとの姿を重ねて書き上げた曲なんです。2人の友情と愛情、宮沢賢治と橋本さんの著作にある世界観が歌詞の中に織り込まれています。橋本さんが作詞を手がけた「悲しみよようこそ」や「恋のクレセント・ムーン」を収録したPANTAさんのソロ作『KISS』から42年の歳月を経て生まれたラブソングの完成形とも言えると思いますね。

──「冬の七夕」を頭脳警察として発表すべきかどうか、PANTAさんは考えあぐねていたそうですね。

田原:頭脳警察のイメージにそぐわないのかもしれないという迷いもあったようです。でも最後にはすべてを一つにして、頭脳警察として発表しようという境地になっていました。それだけ頭脳警察が懐の深いバンドになっていたということではないかと思います。

TOSHI:それはやっぱり、50周年を機にいい若手が揃ってくれたからだと思う。その上に俺もPANTAも甘えて乗っかって(笑)、みんなが神輿を担いでくれたおかげだね。

澤:僕らが頭脳警察に参加して以降、PANTAさんと“黒い鷲”や“隼”という頭脳警察と別のユニットで動いたり、けいさんとの“PANTA et KeiOkubo”やGSバンドの“ピーナッツバター”があったり、いろんなプロジェクトをやれたのが頭脳警察の間口の広さに繋がったと思います。実はそれらのソロユニットの活動は、そもそもこのメンバーと一緒にやるPANTAさんのソロ活動をTOSHIさんが見たいという話から始まったというのを最近聞いて、ああ、そこからすべてが始まったんだなと初めて知って驚きました。

田原:そのTOSHIさんの発言が、PANTAさんの中の起動スイッチを押したと言うか、重荷の鍵を外したように感じます。「このメンバーで出す音を聴いてみたい」というTOSHIさんの発言がなければ、今の頭脳警察がここまで自由度の高いバンドにはならなかったでしょうね。

──TOSHIさんも70年代、90年代、2000年代の頭脳警察と比べて、やれることが格段に増えた印象はありますか。

TOSHI:うん、あるね。1990年の再結成のときは周囲の期待もあって荷が重い部分もあったし、2001年の再々結成でやっと身軽になれた。みんなが期待するイメージや重圧みたいなものを良い意味で無視できるようになったし、他人からどう思われようと関係ないと思えるようになった。今はそのとき以上に身軽になれてるよ。

今の頭脳警察には“ワンチーム”と言うべき結束感がある

──そうした頭脳警察の変遷を見てきたアキマさんは、今回のアルバムでどんな音作りをしようと具体的に考えていたんですか。

アキマ:今の頭脳警察は凄く雰囲気がいいと僕も感じていたし、その雰囲気のままで良い音を録れればいいなと。これまでの頭脳警察はPANTAとTOSHIさんさえいればいい、他の演奏はバックバンドでもいいみたいな感じがどうしてもあったじゃないですか。だけど今はこのメンバー全員が揃って初めて頭脳警察という感じだし、実際、ここ5年くらいはずっと不動のメンバーでやってきたから余計そうなっていますよね。だからこそPANTAが若いメンバーに曲作りを依頼したり、今の頭脳警察は何をやっても自由なんだという境地に達したんだと思う。前作の『乱破』でも若手がアレンジを主導した曲があったけど、僕は凄く新鮮で格好いいなと感じた。昔からの頭脳警察をただやり続けるのではなく、若い感性を吸収してフレッシュな形でバンドをやり続けているのが素晴らしい。若い連中もPANTAとTOSHIさんというレジェンド・ミュージシャンの顔色を窺う感じではなく、バンドマンとして対等に意見を言い合うのがいい。今回の歌入れでも、岳が自分で書いた曲でPANTAのメロをしっかりとチェックしていたよね。メロが外れると「ちょっと違うんですけど…」ってPANTAに注意していたし(笑)。PANTAはPANTAで、全く嫌な顔をせずに「ああ、そうか」と聞き入れて。

澤:「また違ってますよ」とか言うと、PANTAさんはむしろ喜んでくれていましたね。曲にしろプレイにしろ、もっと良くしたいという思いで繋がっている喜びがみんなにあったし、僕らを受け入れてくれる懐の深さがPANTAさんにもTOSHIさんにもあったのがとても有り難かったです。何から何まで本当に自由にやらせてもらえましたから。

アキマ:まさに“ワンチーム”と言うべき結束感があるからね、今の頭脳警察には。

──今にして思うと2018年までの頭脳警察は、PANTAさんとTOSHIさん以外のメンバーがどうしてもヘルプに見えてしまう部分が拭えませんでしたね。

TOSHI:そうだね。俺たちもちょっと肩張ってるところがあったし。

アキマ:とにかくTOSHIさんが「頭脳警察をやめない」と宣言したことが今いい状態にある何よりの証拠だよね。TOSHIさんは元来、自由奔放な人だし、実際に70年代は一時脱退しているわけだから(笑)。そんなTOSHIさんがずっと続けているんだから、今の頭脳警察は絶対にいいバンドなんですよ。

──仰る通りですね。さて、本作の最後は「絶景かな」で締め括られていますが、PANTAさん亡き今、ドキュメンタリー映画の主題歌として聴いた当時とは違う聴こえ方になってしまいました。どうしてもPANTAさんの遺書のように感じてしまうし、そうした部分も踏まえてアルバムの大団円を飾るにはこれしかないという判断だったのでしょうか。

アキマ:曲順については、僕はノータッチなので。

田原:もしかしたら、最後の最後にPANTAさんが曲順を変えていたかもしれません。いつもそうだったし、PANTAさんが存命ならその可能性はあったでしょう。『乱破』のときもそうだったし、ライブでセットリストを変えるのも日常茶飯事だったし。だから『東京オオカミ』というタイトルすらも変える可能性があったと思います。まあ、今となってはわかりませんけど。今回のアルバムを「東京オオカミ」から始めるとPANTAさんは最初から話していたし、僕と話していた中で曲順は概ね決まっていたんですけどね。

──ちなみに、偶然にも今日(1月29日)未明に死亡した、連続企業爆破事件の指名手配犯・桐島聡容疑者が所属していた東アジア反日武装戦線に「狼」というグループがありましたが、それとの関連性は?

田原:その連想を避けるためにも“オオカミ”とカタカナ表記にしたんです。最初の歌詞は漢字で“狼”だったんですけど、“東京”に“狼”だと絶対そっちに受け取られるだろうとPANTAさんが嫌がったので。

アキマ:でも結局、PANTAが引き寄せちゃったよね(笑)。

宮田:しかもまた、アルバムの発売前に(笑)。

田原:「今度のアルバムの『東京オオカミ』とは、あの極左テロ集団のことなんですか?」と、すでにメディアから数件問い合わせが来ているんです。そんなわけがないし、これでまた発売中止になったらどうしてくれるんだ!? って(笑)。

頭脳警察の楽曲はなぜ時代とシンクロする宿命を背負うのか

──1stアルバムは世の中があさま山荘事件に湧いていて発売禁止、2ndアルバムはリリースと同じタイミングでテルアビブ空港乱射事件が起きてしまって発売禁止と、どういうわけか常に時代とシンクロしてしまう頭脳警察の楽曲ならではの宿命ですね。澤さんがボーカルの「海闊天空」を今回収録できなかったのも、その宿命を背負っているからではないかと思うのですが。

澤:引き寄せちゃいましたね(笑)。「海闊天空」は最初に“黒い鷲”のライブで唄い始めたんですが、オリジナルはBEYONDという香港のロック・バンドの曲なんです。もともとPANTAさんが好きな曲で、香港の民主化を求めた雨傘運動のテーマソング的に市民に唄われていたと。その曲を作詞・作曲したBEYONDのリーダーである黄家駒さんが不慮の事故で31歳の若さで亡くなってしまい、その年齢に近かった僕に「海闊天空」を唄ってほしいとPANTAさんにリクエストされたんです。最初は正直、頭脳警察のアルバムに入るとは全く思っていなかったんですけどね。

──PANTAさんにとっては、それだけ思い入れの深い楽曲だったということですよね。

田原:だから僕からもPANTAさんに聞いてみたんですよ。「ボーカルはPANTAさんじゃなくていいんですか?」って。そしたら「これは竜次が唄わなきゃいけない歌なんだ」と。そうはっきり明言していたんです。

──雨傘運動の象徴的人物である民主活動家の周庭さんが2020年に国家安全法違反で逮捕され、昨年カナダへ事実上亡命したところ、「海闊天空」の著作権を所有する団体の窓口と連絡が取れなくなり、あえなく収録を見合わせたそうですね。そうした世界情勢と呼応してしまうのがつくづく頭脳警察らしいと言うか…。

田原:日本語の歌詞に関する著作権はJASRACにあったんですけど、楽曲の使用許諾自体の中国の窓口がなぜか急に閉じてしまったんです。いろいろと手を打ったんですけど、時間切れになってしまって。

──なぜ頭脳警察にはこんなことばかりついて回るのでしょう?

TOSHI:全部、PANTAのせいだよ(笑)。

アキマ:でもこれで無理やり「海闊天空」のカバーを入れたら、また発売禁止になりかねなかったからね。

──「絶景かな」で「世界革命戦争宣言」を想起させるイントロにして原点回帰したかと思えば、リリースの成り行きまで振り出しに戻るという(笑)。

TOSHI:進歩しないねぇ……(笑)。

──録り終えてある「海闊天空」が日の目を見ることになればいいですね。

田原:いずれ何とか許可を取って、『東京オオカミ』の完全盤を出せたらいいなと考えています。「海闊天空」が入らないと全13曲を成す『東京オオカミ』の構成にはならないし、本来は「海闊天空」が在るべき箇所へ入っているので。それがPANTAさんの構想していたそもそもの形ですし、何とかしてそれを完成させなきゃいけないと思っているんです。実はそういう曲が他にもいっぱいあるんですよ。“黒い鷲”でやっていた「黒い鷲」という曲もPANTAさんが歌詞を書き換えていて、その歌詞がなかなか思うように至らずに表に出せなかったり。そういう闘っていかなくちゃいけないことがいろいろあって、まだまだ終われないんです。

──昨秋、「東京オオカミ」「絶景かな」「あばよ東京」のライブ音源(PANTAにとって最後のステージ)が『東京三部作』として発表されましたが、「あばよ東京」で一度は止まった頭脳警察が「東京オオカミ」、「絶景かな」でバンドの集大成を迎えるというのも美しい流れのように思えます。

田原:“東京三部作”と命名したのは、「頭脳警察は東京のローカル・バンドだ」とPANTAさんがよく話していたからなんです。頭脳警察には東京をテーマにした歌も多いですし。「あばよ東京」は僕がマネージャーになってからぜひ唄ってほしいとPANTAさんにお願いしてきたんですが、一度もやってくれなかったんです。それだけ特別な曲だという位置付けがPANTAさんの中であったんでしょう。でも去年の6月、PANTAさんのラスト・ライブで急遽やることになって。「あばよ東京」をやるということは、僕はこれが最後のライブになるんだなと覚悟しました。だからメンバーには、今日が最後のライブになるかもしれないからタガを外して全力でやってほしいと伝えたんです。

──TOSHIさんにとっても「あばよ東京」は思い入れの深い曲ですか。

TOSHI:強く印象に残っている曲ではあるね。オリジナル頭脳警察としては最後のアルバム『悪たれ小僧』に入っている最後の曲で、本当はあんなに後奏が長くなかった。だけど当時は俺もPANTAも頭脳警察そのものに疲れ果てて、ちょっとヤケになってレコーディングしたところがあってね。俺は多少間違えたって勢いが残るほうがいいと思っていたけど、PANTAとはそういうところで年中ケンカしていた(笑)。

「TOSHIと裸の頭脳警察に戻りたい」というPANTAの言葉に突き動かされて

──今後、頭脳警察の活動として予定されているものは?

田原:2月4日のPANTAさんとTOSHIさんの74歳生誕祭の後、7月8日にPANTAさんの一周忌と合わせて頭脳警察の55周年記念ライブをやります。TOSHIさんが頭脳警察の活動継続を宣言してくださったので、これからいろいろと仕組んでいくつもりです。音源もまだありますしね。

──PANTAさんのお別れ会・ライブ葬で披露された、PANTAさんの生前の映像とバンドの生演奏を組み合わせたライブはお世辞抜きで素晴らしかったですし、ああした形でまたライブを体感したいファンは多いでしょうね。

田原:あのPANTAさんの映像は、コロナ禍の2020年9月に長野のライブハウスで行なった『会心の背信』という配信ライブが元になっているんです(2022年6月にライブ音源化)。僕は当時、すでにPANTAさんの体調の異変に気づいていたので、PANTAさんにもしもの事態が起こることを予期して、末永賢監督にPANTAさんとTOSHIさんの個別の映像を押さえてもらっていました。と言うのも、その頃のPANTAさんが「TOSHIと裸の頭脳警察に戻りたい」と話していたからなんです。『会心の背信』は実際には竜ちゃんが参加して3人の演奏だったんですけどね。それ以前、2020年2月の生誕祭ライブの後、PANTAさんは持病の肺腺腫が悪化して倒れてしまい、1カ月ほど自宅に篭もりっぱなしだったんです。ちょうどコロナ禍に入った時期だったので入院ができず、医者もろくに診察ができない状態でした。そのときのPANTAさんの切迫感が凄くて、自分が継続してマネジメントを務めることを決めた以上、PANTAさんにもしものことがあるときまで責任を持たなくてはいけないと自覚したんです。

──そうした覚悟で『会心の背信』の撮影時に意を決してPANTAさんの個別映像を押さえ、それがライブ葬で使われたと。

田原:そういうわけです。絶対に来てほしくはないXデーのことを頭の片隅に入れながら。

──ああいう映像に合わせての生演奏は難しいものなんですか。

澤:そう思っていたし、全員揃ったリハは当日だけだったので不安だったんですけど、いざ演奏が始まるとPANTAさんと一緒に音を出せてる感じでどんどん高揚していくのがわかりました。凄く楽しかったですし、全然大変じゃなかったです。ドラムの(樋口)素之助は大変だったかもしれないけど。

宮田:ドラムとベースは他のパートよりも責任感がありましたけど、それまでライブの本数をだいぶやれていたからなのか、楽しくやれましたね。

アキマ:客席からだと、PANTAが蘇ってメンバーと一緒にライブをしているようにしか見えなかったよ。

田原:結局、『会心の背信』から3年を経てライブ葬を行なうことになったのですが、その間はPANTAさんの病状をごく限られた人たちにしか話せなかったので、本当に苦しかったです。限られた時間の中でやれる限りのことをやらなければいけない焦りもあったし、その思いを共有できる人がほぼいない状況でしたし。PANTAさんと決めたライブ葬にしても、技術的にやれることとやれないことのジャッジを迫られることがありました。最初は3Dホログラムみたいな立体映像でPANTAさんの姿を見せることも考えていたんですけど、結果的にああいう配信の個別映像で見せるほうが臨場感もあって良かったんですよね。あの形だからこそライブ葬に活きたと思います。

──「TOSHIと裸の頭脳警察に戻りたい」というPANTAさんの言葉を、TOSHIさんはどう受け止めていたんですか。

TOSHI:PANTAがそう話していたというのは、ここ数日で初めて聞いたんだよ(笑)。これは自分だけの感覚かもしれないけど、このメンバーで50周年の頭脳警察を5年近くやってきて、頭脳警察を結成して野音とかに出ていた活動初期の空気感に凄く近かった。演奏もバンドの一体感もね。それまでは円熟したミュージシャンたちに随時手伝ってもらっていて、もちろんそれは素晴らしい演奏だったんだけど、本来の頭脳警察を出せない空気感みたいなものもあった。バンドが出す音っていうのは、聴く人が聴けば嘘をつけないものがあるからね。だけど今のメンバーは演奏力やセンスも確かだし、エネルギーがありながら軽やかにさせてくれるところもあって、きっとPANTAもそうだったと思うんだけど、凄く気持ちを楽にしてくれた。一緒に演奏して触発されることが多々あったし、上手いこと神輿に乗せられたね。だからもう少し乗せられたままでいようかなと思ってる(笑)。

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