「那珂湊反射炉」の資料展示 茨城県立歴史館、16日から特別展 近代化、水戸藩の役割探る

那珂湊反射炉の模型を示し、近代化に果たした水戸藩の役割を語る飛田英世資料調査専門員=水戸市緑町の県立歴史館

鉄製造の観点から日本の近代化に果たした水戸藩の役割を探る特別展「那珂湊反射炉-鉄と近代を創る」が16日、茨城県水戸市緑町の県立歴史館で開幕する。幕末に水戸藩が海防のために建設した大砲製造施設「那珂湊反射炉」(同県ひたちなか市栄町1丁目)に光を当て、大砲図面や製鉄の場面を描いた絵巻など関連資料を紹介する。関係者約40人を集めた内覧会が15日、同館で開かれた。

アヘン戦争や外国船の沿岸出没など対外危機が叫ばれた幕末日本。水戸藩は海防を重視する上で、西洋技術に基づく鉄製大砲を製造する必要性に迫られていた。那珂湊反射炉は、その鉄製大砲の製造を目的に整備された施設。9代藩主、徳川斉昭が幕府から多額の資金を借り、鋳造法を説くオランダの書籍を頼りに建設した。1857年までに、鉱石や金属を製錬・溶解する二つの炉を完成させた。

だが、大砲の製造事業は、斉昭の失脚によって中断。反射炉も64年、藩内外の尊王攘夷(じょうい)派による「天狗(てんぐ)党の乱」で破壊された。事業は成功とは言えなかったが、培われた技術と経験は、明治期以後、釜石(岩手県)、八幡(福岡県)での製鉄事業に引き継がれ、近代産業の成立に寄与した。

一方、反射炉は昭和に入って復元の機運が高まり、1937年には跡地に、ほぼ原形通りに復元された。

同展では、反射炉に関連する資料約120点を紹介。本体の精緻な設計図や使用された耐火れんが、斉昭の命で建設を指揮した大工、飛田與七の製図道具などが大きな見どころとなる。

同館の飛田英世資料調査専門員は「幕末水戸藩の歴史は、政治思想史に向けられがちだが、本展では、那珂湊反射炉を基点に、技術史、産業史の視点で考察していきたい」と話した。

会期は4月7日まで。

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