年金月13万円の60歳男性「これじゃあ生きていけないよ」…それでも「年金繰下げ受給」を選ばなかった理由【年金制度のポイントをCFPが解説】

(※写真はイメージです/PIXTA)

平均寿命が延びるなか、年金受給額を増やす手段のひとつとして注目されているのが「年金繰下げ受給」です。令和4年4月より繰下げ受給の上限年齢が70歳から75歳まで引き上げられたことも話題になりました。ただ、当然ですが繰下げ受給も良いことばかりではありません。人によっては「むしろ繰下げないほうがお得」なことも……。牧野FP事務所の牧野寿和CFPが、具体的な事例を交えて解説します。

“60歳になったら妻とゆっくり”夢を叶えたAさんだったが…

先日、長年勤めたC社を定年退職したAさん(60歳)。Aさんはパート勤めの妻のBさん(56歳)とともに、これからどんなセカンドライフを過ごそうか計画を練っているところです。

Aさんは高等専門学校を卒業後、地元にあるC社に就職しました。主に、大手建設会社の配線工事を請け負う企業です。そこで定年まで立派に勤め上げたAさんは、このたび60歳の定年を迎え、退職金800万円を受け取り定年退職しました。

Aさんの卓越した技術は社内外で一目置かれるもので、社長からは「定年後も、引き続き後進の指導をしてほしい」と言われたものの、Aさんはかねてから「60歳になったら完全リタイアして、老後は妻とゆっくり過ごす」というのが夢。

悩んだAさんは、長年お世話になった社長の依頼を無下にすることもできず、「繁忙期だけバイトとしてC社を手伝う」と約束して正社員を辞めました。

しかし、退職して1ヵ月が経ち、妻と老後の生活プランを考えていたところ、どうあがいてもお金が足りないことに気づいたAさん。「ねんきん定期便」で自分の年金見込額を確認すると、およそ13万円となっています。

「妻と旅行や趣味を楽しもうと思っていたけど、それどころじゃないぞ……このままじゃ生きていけないよ」

急に老後が不安になったAさんは、Aさんの同級生と知り合いであった筆者のFP事務所へ相談にみえました。

Aさんの老後の家計設計

Aさんは、「このままじゃ生きていけないと思って、今後の資金繰りについて計画を立ててみたんです。年金が少なすぎて、繰下げ受給をしようと思っているんですけど……。これで、大丈夫ですかね?」と言います。

早速筆者は、Aさんが作成したという「老後の生活プラン」を拝見しながら、詳しく話を伺うことにしました。

【Aさんが自ら作成した老後の生活プラン(抜粋)】

〈収入〉

①Aさん

・65歳までC社でバイト(年収180万円見込み)

・65歳から加給年金のみを受給(筆者注:Aさんの勘違い)

・65歳から月額約13万円の老齢厚生年金を70歳に繰下げて受給。受給額は0.42%増の221万5,200円(月額18万4,600円)。65歳からの受給額より毎月5万4,900円増額

②Bさん
・60歳まで現在のパートを続ける(年収約100万円)

・65歳から老齢厚生年金を受給。受給額:94万8,996円(月額7万9,083円)

〈支出〉

現在約384万円(月額32万円)。徐々に減らしていく予定。足りない分は、貯蓄から取り崩す。

<貯蓄>

退職前は900万円。退職金が800万円。そこから住宅ローンの残債460万円を完済して現在は1,240万円。

「年金繰下げ受給」を選択すると、かえって家計破綻が早まる

筆者は、Aさんのプランを見ていくつか疑問に思った点がありました。そこで、下記の3つについてお話することにしました。

1.年金の「繰下げ受給」

ねんきん定期便を見て「繰下げ受給」の存在を知ったAさんは、65歳から受給予定だった老齢年金を5年繰下げ、70歳からとする計画を立てていました。

老齢年金は、受給開始年齢の65歳から受け取らずに、66歳以後75歳0ヵ月までのいずれかのタイミングまで繰り下げる(=受給を遅らせる)ことで、その分増額した年金を受け取ることができます。増額率は1ヵ月0.7%ずつで、最大84%増額した年金が生涯受給できます。また、老齢基礎年金と老齢厚生年金を別々に繰り下げることも可能です。

しかし、A家の家計状況で70歳まで年金の受給を繰下げると、そのあいだに貯蓄が枯渇してしまいます。繰下げ受給を選択するよりは、年金は65歳から受給し生活費を確保することが先決です。

2.今後は「確定申告」が必要になる可能性

Aさんは、定年退職後、これまで天引きされていた税金や社会保険料も自分で納めることになります。

そのため、支出は現在の月額32万円に加えて、税金と社会保険料がかかります。

Aさんが正社員として働いていたときは、会社の「年末調整」をもとに所得税や住民税が給与から天引きされていました。しかし、今後A夫妻は、毎年「確定申告」をする必要があります(ただしBさんについては、現在課税されるほど所得がないため、確定申告は不要かもしれません)。

健康保険や介護保険については、今後は国民健康保険に加入して、保険料を自分たちで納付します。また、65歳以降年金を受給してその所得によっては、年金から源泉徴収されます。

また、年金についても、厚生年金から国民年金になります。妻のBさんは60歳まで国民年金の加入期間となっていますので、保険料は1ヵ月あたり16,520円(※令和5年度の額)です。

A夫妻によく話を聞いたところ、すでに健康保険は協会けんぽから国民健康保険への切り替え手続きが済んでおり、国民健康保険証も手元にあるそうですので、保険料の納付書もまもなく送付されることでしょう。

3.Aさんには加給年金を受給する権利はない

Aさんのプランには「65歳から加給年金のみを受給」と書いてありましたが、実際には、Aさんに加給年金を受給する権利はないほか、そもそも加給年金“のみ”を受給することはできません。

「加給年金」とは、原則本人が20年以上厚生年金に加入して、その方に生計を維持されている一定の条件の配偶者がいるときに、65歳の老齢厚生年金受給開始といっしょに、配偶者が65歳になり自身の年金が受給するまで、年間39万7,500円(※令和5年度の額)受給できるというものです。

この加給年金は、老齢厚生年金の繰下げ待機期間(年金を受け取っていない期間)中は、受け取ることができないほか、加給年金を繰下げて受給することもできません。

Aさんは、C社が個人の工務店の時代は国民年金に加入しており、18年前にC社が法人化したときから厚生年金に加入したため、加給年金を受給するにはあと2年足りません。

したがって、残念ながらAさんに加給年金の受給資格はありません。

現在のAさんには当てはまりませんが、もし加給年金の受給資格がある場合は、65歳から老齢厚生年金とともに受給して、老齢基礎年金だけは繰下げて受給するといった、その人に適した受給方法を選択することが可能です。

最善策は「C社に正社員として復帰する」こと

筆者がここまで話すと、Aさんは「やっぱりC社に戻った方がいいのかな」とつぶやきました。実は、退職する前に社長から、「給与は年収300万円になってしまうけど、65歳まで正社員で働いてくれないか」と声をかけられていたといいます。

AさんがもしC社に正社員として復帰すれば、厚生年金に再加入でき、収入も年金受給額も増加します。またBさんは再びAさんの被扶養者となり、国民年金・健康保険料ともに納付しなくてもよくなります。

さらに、Aさんが今後2年以上厚生年金に加入すれば、厚生年金加入期間が20年以上になり、65歳から加給年金も受給できることになります。

そこで筆者は、AさんがC社に復帰した場合の収入見込みをシミュレーションしてみました。年収は社長の提案どおり300万円とし、年金の繰下げ受給はしないこととします。結果は下記のとおりです。

[図表1]AさんがC社に復帰した場合の収入見込み 出所:筆者が作成

また、A家の支出には、他にもすぐに減らせそうな“余白”を発見。そこで、支出を見直し、毎月5万円削減して現在の月額32万円(年間約384万円)から月額27万円(年間324万円)を目指します。

これが達成できれば65歳までに貯蓄も増やせるでしょうし、65歳以降収入がAさんの年金のみとなって貯蓄を取り崩して生活することになっても、Aさんが100歳くらいまでは貯蓄が残る計算です。

「繰下げ受給」すると“待機期間”のあいだに貯蓄が枯渇

繰り返しになりますが、たとえ支出を見直しても、65歳~69歳のあいだの年金収入がなければ貯蓄は枯渇します。したがってAさんがC社に復帰しても、年金を繰下げ受給するのはおすすめできません。

「繰下げ受給」を選んだ場合、「84歳2ヵ月」でお得に

ここまで筆者が言うと、「一応、70歳まで年金受給を繰下げたときのシミュレーションもしてほしい」と言われました。

65歳までAさんが正社員として働き、給与収入があり厚生年金保険料の納付期間も増えるとなると、65歳からの老齢厚生年金の見込み受給額が、[前掲図表1]のように172万8,492円(月額14万4,041円)に、また70歳0ヵ月に繰下げた年金受給見込額は245万4,456円(月額20万4,538円)とともに増加します。

すると、84歳2ヵ月になったタイミングで、70歳まで繰下げて受給したほうが、65歳から(加給年金も含めて)受給した場合の年金総額を上回ります。

[図表2]繰下げ受給を選択しなかった場合と70歳まで繰下げた場合の年金受給額※ 出所:筆者が作成
※ 加給年金が含まれた金額。

ただし、繰下げて受給額が増えれば所得も増えるため、その分所得税や住民税、医療費や介護保険料といった支出が増える可能性があります。

Aさんは、「なんでいままで勉強してこなかったんだろう……。制度をきちんと把握しておかないと大損するところでしたし、計画的に貯蓄をしておけば繰下げ受給の選択もできたということですね。子どもたちにも伝えておこう」と言って帰られました。

安易な「年金繰下げ受給」はNG…自分の状況に合った選択を

後日、Aさんから筆者に連絡がありました。

「あのあと早速C社に出向いて復帰したいことを社長に話したら、即決で再雇用が決まりました。年金も、FPさんのいうとおり65歳から受給することにしました。妻とゆっくりするのはもう少しあとになってしまうけど、それまで2人で長生きしようって決めたんです」

老後の収入は年金が中心となります。現役のころより大幅に収入が減ることになりますが、それに見合うように支出を減らす生活は厳しいものがあります。

「年金が増える」というのは一見魅力的ですが、安易に年金繰下げ受給を選択することなく、自身の状況にあった老後のプランを立てることが重要です。

牧野 寿和

牧野FP事務所合同会社

代表社員

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