大坂なおみも投資する全米熱狂「ピックルボール」の全貌。ソフトテニス王者・船水雄太、日本人初挑戦の意義

アメリカで最も急成長しているスポーツ「ピックルボール」をご存じだろうか? あの世界の大富豪ビル・ゲイツや俳優レオナルド・ディカプリオが愛好者であると公言し、プロテニスの大坂なおみ、NBAのレブロン・ジェームズといったレジェンドがこぞって投資をする。今や全米で知らない者はいないこのホットなトレンドに、長きにわたりソフトテニス界のトップシーンを走り続ける船水雄太が挑戦する。世界一に輝いた経歴を持つ男をもとりこにする「ピックルボール」とは――?

(取材・文・本文写真撮影=野口学、トップ写真=REX/アフロ)

なぜ全米が熱狂? 3年連続「米国で最も急成長」のピックルボール

「週末、テニスコートが人であふれ返っているんですよ。テニスコート1面からピックルボールコート4面に造り替えていて、それでも足りずにみんな空きが出るのを待っている状況を見て、すごくはやっているなと。むしろテニスをやっている人の方が浮いているというぐらい、ピックルボールの熱狂を感じました」

こう話すのは、ソフトテニスのトッププレーヤー、船水雄太だ。国内では所属するNTT西日本で日本リーグ10連覇を達成し、国際大会でも日本代表として2015年世界選手権で金メダルを獲得するなど数多くの栄冠を手にしてきた。2020年からはプロ選手となり、カンボジアチーム代表ヘッドコーチを務める荻原雅斗氏と共同経営するAAS Managementでソフトテニス界の発展に寄与する事業も行っている。まさに、日本ソフトテニス界の至宝ともいうべき存在だ。

そんな男が選んだ新たな挑戦。それが「ピックルボール」だ。冒頭の言葉は、昨夏、ロサンゼルスを訪れた際に感じたことだという。

アメリカで過去1年間にプレーした人口は4830万人で、自転車、ランニングに次ぐ3位という驚きの数字だ。競技人口はこの数年で倍増しており、米調査機関による「アメリカで最も急成長しているスポーツ」に3年連続で選出。マイクロソフト創業者のビル・ゲイツや映画俳優・映画プロデューサーのレオナルド・ディカプリオらセレブがこぞって愛好していることでも知られる。

特徴は「誰でもすぐできる」。ラリーができるまでたったの30~60分

ピックルボールを簡潔に言い表すなら、いわゆるラケットスポーツであり、ネットを挟んで打ち合う様はテニスに近い。

テニスはアメリカで人気があり、なじみ深いスポーツではあるが、なぜそんなテニスに近しいピックルボールの人気が爆発しているのか? 理由の一つに、「誰でもすぐにできるようになる」ことが挙げられる。

先ほどテニスに近いと言ったが、コートはテニスに比べて狭く、バドミントンのダブルスコートと同じ広さだ。ボールはプラスチック製ではねにくく、穴が開いているためバドミントンのように途中で減速する。パドル(ラケット)もテニスより小さく、卓球のラケットを一回り大きくした程度だ。

テニスをやったことのある人は分かるだろうが、始めたばかりのころは意外とボールがラケットの面にうまく当たらない。コートは広く、ボールは思ったよりもはねてくるため、打点に入るだけでも一苦労だ。さらに、ラケットが長くて打点が自分の体から離れてしまうのも、“打つ”という感覚をつかむのを難しくしている。 対するピックルボールは、ラケットが小さくて“手のひら”感覚で打ちやすく、コートもボールもテニスのとっつきにくさを軽減したような仕様になっている。ラリーができるようになるまで、テニスは何カ月もかかってしまうが、ピックルボールであれば30~60分ほどでできるようになる。

戦術的な駆け引きが醍醐味。テニス、バドミントン、卓球の“好いとこ取り”

ピックルボールの最大の特長である“ラリーの楽しさ“を生かせるような独自のルールも存在する。

まず、サーブはアンダーハンドで打たなければならず、テニスのようにビッグサーブ一発でポイントを取ることはできない。

サーブ&ボレーが禁じられているのも特徴だ(「ツーバウンドルール」)。サーブの後、相手コートでワンバウンド、レシーバーが打ち返して自陣コートでワンバウンド、合計ツーバウンドして以降、ボレー等のノーバウンドで打つことが許される。これもラリーを楽しむためのルールといえるだろう。

「ノンボレーゾーン」の存在もユニークだ。その名の通り、ボレーをしてはいけない(ノーバウンドで打ってはいけない)ゾーンで、ネットから2.13m(7フィート)以内と定められている。テニスであれば、浮き球をネット際まで詰めてポイントを取れるような場面でも、ピックルボールではそれができない。ノンボレーゾーンに足を踏み入れずにボレーをするか、ワンバウンドするまで待たなくてはならず、このルールもまたラリーが長く続く要因となっている。

ラリーが長く続く分、いかに相手のバランスや陣形を崩すかという戦術的な駆け引きが醍醐味(だいごみ)だ。まさに、テニス、バドミントン、卓球の“好いとこ取り”をしてプラスアルファしたようなスポーツといえるだろう。

運動として激し過ぎず、かといって緩過ぎず、適度な強度でやれることも、3世代で楽しむことができる生涯スポーツとして、高齢化の進むアメリカで人気が沸騰している理由だ。

わずか48人の狭き門。船水が挑むメジャーリーグピックルボールとは?

また近年、こうした「するスポーツ」だけでなく、「見るスポーツ」としても大きな発展を遂げている。

2021年に設立されたメジャーリーグピックルボール(MLP)は、8チームからスタートし、わずか3年で24チームまで拡大。賞金総額は500万ドル(7億円以上)。中には100万ドル(約1億4000万円)以上の収入をあげる選手も出てきているという。

船水の目指す舞台が、このMLPだ。毎年1月に実施されるドラフトで指名されるためには、アメリカ各地で開催されているピックルボールの大会に参加してポイントを稼ぎ、ランキングを上げることが重要になる。船水は1月から渡米しており、ピックルボールに適応するトレーニングを積んで大会に参戦していく予定だ。

MLPのチームに所属するのは男女2人ずつ、つまり男子に限ればわずか48人の狭き門。ソフトテニスの技術を生かせると船水は言うが、MLP入りできる保証などもちろんどこにもない。大会に出場して勝たなければ賞金も得られない。ソフトテニスとの“二刀流”を目指すとはいえ、ソフトテニスの成績に影響を及ぼす可能性だってある。

ソフトテニス界で確固たる実績と名声を築きながら、大きなリスクを負ってピックルボールに挑戦するきっかけとなったのは、ある人物との出会いだった。

ソフトテニス界の未来は大丈夫なのか…。船水が抱いた漠然とした不安

昨年2月、日本フェンシング初の五輪メダリストであり、日本フェンシング協会の会長を務めた、太田雄貴氏が経営者と各競技のトップアスリートを集めて開催したバーベキューでのことだった。経営者は経営者で、アスリートはアスリートで固まりがちだった中、船水は意を決して経営者の一人に声を掛けた。即戦力人材と企業をつなぐ転職サイト「ビズリーチ」などのサービスを展開するビジョナル株式会社代表取締役社長、南壮一郎氏だ。

船水は自らが抱えていた不安や戸惑いの気持ちを語った――。大学生の時に世界選手権で優勝したものの、ほとんどメディアに取り上げてもらえなかった。世界大会で優勝した他競技の同級生は大きく取り上げられていたにもかかわらずだ。「同じぐらい努力しているはずなのに、何が違うんだろう」。それでも自分がソフトテニス界の顔になって、もっともっと活躍してタイトルを取りまくれば、景色は変わるはずだと信じた。でも何も変わらなかった。「ソフトテニス界の未来はこのままで大丈夫なのか」。もっとソフトテニスの外の世界へとアプローチしていく必要性を感じ、2020年3月に当時ソフトテニス界では珍しかったプロ選手へと転向した。だがコロナ禍により、国内外の大会が中止に追いやられた。これからアスリートとしてどう過ごしていくべきか、漠然とした不安がある――、と。

それを聞いた南氏が口にしたのが、ピックルボールだった。南氏といえば昨年、メジャーリーグベースボール(MLB)のニューヨーク・ヤンキースの部分オーナーになったと報じられ話題になったが、実はその後、MLPのマイアミ・ピックルボールクラブのオーナーにもなっていた(テニスの大坂なおみや、アメリカンフットボールNFLのスーパースターであるパトリック・マホームズも同チームのオーナーに名を連ねている)。

「プロに転向するというチャレンジは、私にも分からないぐらい、ものすごく覚悟の要ることだったと思います。それだけの覚悟があるのであれば、アメリカで急成長していて、ソフトテニスに近い要素もあるピックルボールのプロ選手を目指してみたら?という話をしました」(南氏)

船水は家に帰ってからピックルボールについて調べ、自分で日本ピックルボール協会に連絡し、実際に体験してみた。

「確かにソフトテニスの技術と通じる部分があって、いけるんじゃないかと。それで南さんにピックルボールで勝負してみたいと連絡しました」(船水)

「やるんだったらまずは本場の世界を見た方がいい」という南氏の提案で、昨年6月、南氏のロサンゼルス出張のタイミングに合わせて、船水も現地を訪れた。トッププレーヤーと対戦する機会もあり、確かな手応えをつかんだ。船水の覚悟は、ここで決まった。

「やりたいことがあっても実際に行動する人は少ない」。南氏が船水を支援する理由

「責任を感じたんですよ、自分が言い出しっぺだったので」と南氏は笑う。だが、(あくまで筆者の推測にすぎないが、)本音はうれしかったのではないだろうか。実際、ロサンゼルスで顔を合わせた時の南氏の最初の一言は、「本当に来たんだ!」だったそうだ。「本当に来る人って数少ないよ」とも。

以前、筆者が南氏にインタビューした際、本当にやりたいことがあれば、「すぐに始める行動力」「どのように行動するか考える戦略力」が大事だという話をしてくれたことがある。「やりたいことがあっても、実際にやってみようという人は、100人いて1人いるかどうか」(南氏)。

南氏にも、やりたいことのために“行動”した過去がある。2002年、自国で開催されたFIFAワールドカップでサッカー日本代表の初勝利に心を揺さぶられ、幼少の頃からの夢だったスポーツビジネスの世界に飛び込みたいと考えるようになった。MLBの全球団に「働かせてほしい」と手紙を書き、エージェントに電話をかけまくり、ツテのないまま現地まで飛んだりもした。「皆さん美化してくださるんですが、準備も戦略もないままただ突っ走っただけで、今から振り返れば反省ばかりです」と本人は口にする。確かにこの時は仕事に就くことはかなわなかった。だがその経験は後になって生きることになる。楽天がプロ野球に新規参入すると耳にした南氏は、今度は“戦略的”に行動し、三木谷浩史氏に直談判。東北楽天ゴールデンイーグルスの創業メンバーに抜てきされるに至ったのだった。

船水はまず、すぐに行動に移した。自分の長所をピックルボールにどう生かせるかを考える戦略もある。何より、自分のやりたいことをやり抜く覚悟がある。それを感じたからこそ、南氏は会社をあげて全力でサポートすることを決めたのだろう。

ソフトテニスとの“二刀流”、壮大な挑戦の先に待つ未来へ――

新しい可能性を、次々と。

これは、Visionalが掲げるグループミッションだ。南氏が代表を務めるVisionalグループは、渡米して日本人初のMLP選手を目指す船水の挑戦を全力でバックアップする。

「日本人で初めてのメジャーリーグピックルボールプレーヤーとなって、世界チャンピオンになることを無我夢中で目指していきます。そして、日本人が世界で活躍しているというニュースを日本の皆さん、子どもたちに届けて、希望や勇気を与えられたり、夢を持ってもらえたら非常にうれしいです」(船水)

船水の挑戦は、さまざまな困難を伴うだろう。中には、無謀な挑戦だとか、ソフトテニスに集中した方がいいと考える人もいるかもしれない。

それでも、挑戦することでしか、人の可能性は広がらない。

この挑戦の先に、何が待っているのか。それは誰にも分からない。ただ確かなことが、一つだけある。

船水雄太は、自分の夢に向かい、ただ前だけを見て歩き続ける――。

【連載中編】なぜリスク覚悟で「2競技世界一」を目指すのか? ソフトテニス王者・船水雄太、ピックルボールとの“二刀流”挑戦の道程

【連載後編】マイナー競技が苦境から脱却する方法とは? ソフトテニス王者・船水雄太、先陣を切って遂げる変革

<了>

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[PROFILE]
船水雄太(ふねみず・ゆうた) 1993年10月7日生まれ、青森県出身。東北高校時代、インターハイ団体個人優勝2冠。早稲田大学時代、インカレで団体戦・ダブルス・シングルス全タイトルを獲得。NTT西日本時代、全日本社会人選手権大会優勝、国体優勝、日本リーグ10連覇。日本代表として世界選手権優勝など国際大会でも活躍。2020年4月にプロ転向。同時にAAS Management 合同会社を設立し、「ソフトテニスで人生を豊かにする」を行動理念としてソフトテニスの普及・発展に寄与する。2024年からソフトテニスとピックルボールの“二刀流”選手として、米国メジャーリーグピックルボール(MLP)入りを目指して渡米。

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