福島市唯一の酒蔵「金水晶酒造店」新たな蔵での酒造り、間もなく

安倍宏行(Japan In-depth編集長・ジャーナリスト)

【まとめ】

・福島市唯一の蔵元「有限会社金水晶酒造店」、新しい蔵で酒造りをスタート。

・最新鋭の設備で、吟醸酒などの高級酒を中心に販売していく。

・今後は福島の酒を海外にも発信していきたい。

日本酒党ではないので偉そうなことは言えないが、365日酒を嗜む身として、無論日本酒の好みはある。辛口でフルーティーなものが好みなのだが、すっきりしすぎて原料米の旨みやコクが感じられないものにはあまり惹かれない。

そんな筆者が「これは!」と思えた酒がある。

それが、福島市唯一の蔵元、「有限会社金水晶酒造」の酒だ。

今回、縁あって福島市にある「金水晶酒造店」を取材する機会を得た。

酒蔵は過去何件か取材しているが、福島市の酒蔵は初めてだ。

ずっと訪問したかったのにはわけがある。

社長がフジテレビ時代の同僚だからだ。斎藤美幸氏がその人。現社長である。同じ時期に記者だった。といっても1990年代初頭、今から30年以上前の話。メーカーからフジに転職し、報道局に配属されたばかりの私の目に、斎藤氏はバリバリの社会部記者に映ったのだった。

その後彼女は家庭の事情でフジテレビ系列の福島テレビに転職してしまったので、結局一緒に仕事をする機会は無かったが、なぜか強烈な印象を残した。

そして今回念願が叶った。

訪問したのは去年の年末。タイミングが良いことに新しい酒蔵がほぼ完成したタイミングだった。古い蔵を閉じて、新しく蔵を建てたのはなぜなのか?そのわけを聞いた。

斎藤家の歴史

まずは金水晶酒造店の歴史を振り返ろう。

斎藤美幸社長は、金水晶酒造店の4代目にあたる。しかしそれは斎藤家が造り酒屋になってからの話で、斎藤家の歴史はそれよりはるか以前に遡る。彼女はなんと17代目にあたる。

金水晶酒造店の本社がある福島市松川町は福島駅から約12キロ南に位置し、車で30分ほどだ。この地は戦国時代(16世紀中頃)、かの有名な伊達政宗(伊達家17代)の先祖が築城した八丁目城があった。天正18年(1590年)、豊臣秀吉による奥州仕置により廃城となったが、城下町は八丁目宿と呼ばれ、奥州街道、米沢街道、相馬街道が交差する屈指の宿場町となり繁栄した。

14世紀初頭この地に移り住んだ斎藤一族。先祖は旅籠「蝋燭屋(ろうそくや)」を経営し、大層羽振りが良かったが、明治維新で鉄道が通ると町の景気は急速に傾く。そこで、14代目金次郎が日本酒造りを始めた。明治28年(1895年)のことだ。屋号は当初「蝋燭屋酒造店」だったが、「金水晶酒造店」に変わったのにはわけがある。

蔵元の近くには、大昔から金山があり、そこから湧き出る名水は水晶沢へと注がれていた。明治初年、東北行幸に来られた明治天皇が、この湧き水をたいそうお褒めになり、「金明水」と命名されたとの逸話が残っている。そうしたことから、「水晶沢の金明水」で造った酒、そして「金と水晶が採れる沢の水で造りはじめた」酒ということで、金山の「金」、水晶沢の「水晶」をとり、「金水晶」と命銘され今日に至っている。

■ 斎藤美幸社長が家を継いだわけ

斎藤氏が家業を継いだのは実は9年前の2015年。家業とは一線を画してジャーナリストとしてキャリアを積み重ねてきた斎藤氏が、なぜ家を継ぐことになったのか。ここに関しては斎藤氏が色々なメディアでインタビューに答えているので簡単に記すが、やはり一人っ子だったことが大きいのではないかと筆者は想像する。

多くの家族経営の会社を取材してきたが、親から言われなくても子供が家に戻ることが多いことに驚く。

親心から、「家を継がなくていいよ。お前の好きな道を歩みなさい」。そう子供に話す経営者は多い。しかし家業を持つ家では、子供は親の苦楽をずっと見て育つがゆえに、やがて自分も家業を継ぐんだ、という気持ちを知らず知らずのうちに育んでいくものなんだと思う。

斎藤氏自身が述懐しているが、東日本大震災後、斎藤氏は、「福島市、伊達市、伊達郡で一件だけの造り酒屋になってしまった」ことに気づいたことが大きかったという。

地元の酒を無くしていいのか」。

その想いひとつで、家を継ぐことを決めた。

それまで商売とは無縁の人生。ましていわんや、酒造りなんて・・・。それは簡単な決断では無かったはずだ。

しかし、斎藤氏が2018年に社長になってからも、金水晶酒造店は着実に実績を上げ続けている。

全国新酒鑑評会で金賞15回、インターナショナルワインチャレンジゴールドメダル、純米酒大賞2年連続金賞など吟醸酒、純米酒ともに評価が高い。

写真)数々の表彰状の前に立つ斎藤美幸社長 ⒸJapan In-depth編集部

福島市唯一の造り酒屋を残すべき」。

その一心でがむしゃらにやってきた。その斎藤氏を襲ったのはまたも自然災害だった。

明治からの蔵が全壊判定に

2022年3月16日23時36分。マグニチュード7.4の福島県沖地震が発生した。それにより明治時代に建てられた仕込み蔵は全壊判定を受けた。金水晶酒造店は廃業の危機に直面したのだ。

筆者も蔵を見せてもらったが、さすがに築130年近く、次に大きな地震が来たらぺちゃんこになってもおかしくない様子だった。

写真)地震後の金水晶酒造店の仕込み倉の内部 ⒸJapan In-depth編集部

写真)金水晶酒造店の仕込み倉の外観。さすがに年代を感じさせる。ⒸJapan In-depth編集部

写真)地震後の金水晶酒造店の仕込み倉の内部 タンクはもう使われていなかった。ⒸJapan In-depth編集部

写真)地震後の金水晶酒造店の仕込み蔵の内部 柱を筋交いで補強している。2023年12月25日 福島市松川町 ⒸJapan In-depth編集部

一時は、「もう、蔵を畳もうか」。そう弱気になったこともある。

しかし、斎藤氏は踏みとどまった。

「新しい蔵を作ろう」。

そう決意したのだ。

新しい蔵の操業に向けて

新しい蔵は、福島市南西荒井地区にある公園施設「四季の里」のすぐ近くの一画に建てた。もともと農地のため、酒蔵への用途変更は難しいと思われたが、市も農業委員会も、市唯一の酒蔵ということで許可は予想よりスムーズに降りた。

写真)新しい蔵の前に立つ斎藤美幸社長 ⒸJapan In-depth編集部

設備は一新。最新鋭機器が並ぶ。筆者が見た時はまだ運び込んだばかりといった状態で、稼働に向けこれから準備する段階だった。順調にいけばこの春には酒造りを開始できるだろう。

**

**

写真)新しい蔵の設備 ⒸJapan In-depth編集部

写真)新しい蔵の設備を案内する斎藤美幸社長 ⒸJapan In-depth編集部

新しい蔵では日本酒以外に地元のモモやリンゴを使用したリキュールも製造する。また、新設する直売所には大型モニターを置いて日本酒や地域の情報を流すほか、試飲なども出来るようにする。

周辺にはクラフトビールのブルワリー「福島路ビール」やワイナリー「吾妻山麓醸造所」もある。

「酒蔵が集中しているところはいっぱいあるけれど、地ビールと日本酒とワイナリーが近所にあるところはなかなかないので、蔵元ツーリズムみたいな風になればいいですね」。

酒蔵の隣に市が駐車場を整備する計画もあり、地域おこしにつながれば、と斎藤氏は期待を寄せる。

写真)新設する直売所のスペース 右奥に冷蔵ケース。左の棚には日本酒、正面には酒樽を置く計画だ。ⒸJapan In-depth編集部

金水晶酒造店のこれから

新しい蔵での酒造りに古くからの従業員もわくわくしているという。金水晶酒造店の新たな1ページが今始まろうとしている。

聞けば、新しい蔵の設計、設備の導入などはすべて長男がやっているという。斎藤社長が家業を継いでから、彼も家に入ったのだ。二人三脚でこれからの経営戦略を練っている。

「これまで酒造の期間は10月から3月までしかなかったのですが、新しい蔵では温度管理がしっかりしているので、その期間を前後何ヶ月か延ばすことが出来るのです」。

「しぼりたて」を従来より長い期間作る事ができる。吟醸酒などの高級酒を中心に販売していく計画だ。

今後は海外にも販路を広げる

「うちはありがたいことに在庫が足りなくてなかなか輸出が受けられないのです。話はものすごくあるんですけど、とにかく近所ですら待ってください、みたいな感じで」。

写真)新しい蔵の入り口に立つ斉藤美幸社長 ⒸJapan In-depth編集部

とはいえ、夢はしっかり持っている。

「福島の良さをお酒を通して皆さんに伝えてきたので、今後は海外の皆さんにも福島は良い米がとれるよとか、よい水があるよとか伝えていきたいですね」。

そう話す、かつての同僚の姿がまぶしかった。

新しい蔵が本格稼働しているだろう夏頃にまた訪ねてみたい。そう、思った。

トップ写真)金水晶大吟醸を手に取る斎藤美幸社長 2023年12月25日 福島県福島市松川町 ⒸJapan In-depth編集部

© 株式会社安倍宏行