輪島の海女「はよ潜りたい」 家失っても「漁続ける」

震災前に漁船の船首部分があった位置を説明する門木さん=13日、輪島港

  ●150人の仲間ばらばらに

 「海はおとろしくない。はよ潜りたい」。輪島市で海女(あま)漁を営み、海女漁保存振興会長も務める門木(かどき)奈津希さん(43)は地震で家を失ったが、漁を続ける決意に揺るぎはない。目の前に海があるのに地盤隆起で船を出すこともできず、海の中も大きく変わっている恐れがある。それでも門木さんは「海は人生の全て」と被災後、ばらばらになった仲間約150人とともに海に出る日を待っている。(中出一嗣)

 金沢市内で避難生活を送る門木さんがいったん輪島に戻ると聞き、13日、輪島港で待ち合わせをした。港に向かう途中、三輪車で生活用品を運んでいる女性(70)に再会した。輪島総局に勤務していた昨年夏に取材した海女だった。「港がようなるのを待つしかねぇ。そしたらすぐに海に入りてぇ」と話し、避難所に向かってペダルをこぎ出した。

 門木さんは、海女漁で乗る船「七津丸」の前でたたずんでいた。地震前、門木さんの目線の高さだった船を乗り降りする場所は、今は足元より低くなっている。

 元日に地震が起きた際、門木さんは港から100メートルほど離れた自宅にいた。激しい揺れに襲われた後、津波を恐れて家族で近くの観音山に走って逃げた。

 その後、漁船の様子を見に行った漁師の夫始さん(50)が「海に水がねぇなった」と血相を変えて戻ってきた。約200隻が係留する輪島港は地盤が2メートル以上隆起し、現在は水深が1メートルに満たない場所もある。

  ●曽祖母から4代目

 舳倉島で生まれ育った門木さん。曽祖母、祖母、母と少なくとも4代続く海女の家系だ。「小さい頃からそばに海があって、私らの世代までは、海女になるのが当たり前やった」。中学卒業後、迷わずにこの道に入った。

 輪島の海女にとって稼ぎ時はアワビやサザエの素潜り漁が解禁される7~9月だが、1年を通して生活の中心に海がある。ちょうど今の時期は舳倉島や七ツ島で岩ノリを採るシーズン。春にはワカメ採りが始まる。海に入らない間は夫と漁師をする人もいる。

 それだけに、門木さんは「海に出られんかったら、収入はゼロや」と嘆く。港で再会した女性のように70、80代の現役も多い。前保存会長の池澄幸代さん(61)は「年寄りも若いもんもやめる人が出てくるかもしれんが、みんな潜りたくて、うずうずしとる」と話す。ここにも海女漁の復活を願う人がいる。

  ●元気な声を港に

 輪島港の浚渫(しゅんせつ)工事も始まった。幸いにも海女漁に使う船は無事だったという。海女をはじめ、朝市や行商のおばちゃんたちは、海の恵みを得て輪島で暮らしてきた。「もうけたか?」「おーもうけた」。元気な女性たちの声が必ず港に戻ってくると信じている。

© 株式会社北國新聞社