こんな私でも、遠くから会いに来てくれる人がいる。山小屋時代の友人と話して気づいたこと

1月の末、山小屋時代の友達が夫婦で遊びに来た。

2人は私と同世代のカンジ(男性・仮名)とテモヤン(女性・仮名)。カンジは2015年から働いているスタッフで、テモヤンは2017年だけ働いていた。私は2人よりも先輩で、2017年を最後に山小屋を辞めた。私が山小屋を辞めてからも、2人とは交流が続いている。

2人はコロナが騒がれはじめた頃に結婚し、現在は安曇野に住んでいる。

カンジは引き続き山小屋で、テモヤンは介護福祉施設で働いている。カンジは面白くてみんなのまとめ役で、だけど性格が明るすぎるわけではなく、映画や本などカルチャーの話ができる人だ。テモヤンは天然で天真爛漫で、よくしゃべるしよく笑う。

テモヤンとは昨年の夏、一緒に乗鞍岳に行った。だから会うのは半年ぶりだ。一方で、カンジと会うのはいつ以来だろう。たしか2、3年前にカンジが一人で東京へ来たとき、私と元夫と3人で火鍋屋へ行った。あの頃はまさか、次に会うとき自分が離婚しているとは思わなかった。

昨年末、カンジとテモヤンのほうから「1月30日に会いませんか?」と連絡が来た。昨年のその日は、私が元夫と離婚した日だ。離婚記念日を一人で迎えるのは心細かったので、私はその誘いに飛びついた。

カンジとテモヤンは、何かの用事のついでではなく、わざわざ私に会いに来てくれる。安曇野から特急あずさに乗って東京に来て、私と遊んで、うちに泊まって、翌日に帰っていく。遠いところをわざわざ。

私はそれがうれしすぎて、客用の枕を2つ新調した。

当日、2人は9時46分に新宿駅に到着するという。私もその時刻に新宿に着くよう家を出た。

新宿で落ち合ったあとは人形町へ行くことになっている。JRで秋葉原に移動するので「JRの改札を出ずに待っていてほしい」と伝えた。

私はいい歳して照れ屋なので、待ち合わせのときにお互いを認識する瞬間がなんだか気恥ずかしい。「照れくさいな~」と思いながらJRの改札を抜けると、中央線のホームに続く階段の手前に、テモヤンとカンジの姿を見つけた。向こうもすぐに私を見つけ、お互いに小さく手を振る。いつもはこの瞬間がたまらなく気恥ずかしいが、この日はそうでもなくてほっとした。

私はマスクをしていたのだが、テモヤンは私を見てすぐに「サキさん夏より痩せた!? なんか綺麗になった!」と言ってくれる(テモヤンは年上だが後輩なので私に敬語を使う)。ぜんぜん痩せていないのだが、うれしくて「えへへ」と照れた。

私たちは電車を乗り継ぎ、人形町へ向かった。道中、会話は途切れることがない。特に近況報告をするでもなく、めいめいが中身のないことをしゃべった。

行き先を人形町に決めたのは私だ。理由は、ゲッターズ飯田さんがおすすめしていた小網神社に行きたかったから。なんでも、ご利益がすごいらしい。

人形町の駅を出てグーグルマップを見ると、カンジが「こっちだ」と言って歩き出す。私が内心で「こっちだ」と思っていた方向と90°違ったので動揺した。歩きながら、「方向音痴を克服する本を出したのに、ぜんぜん克服できてないよ~」と言った。

小網神社はとても小さな神社だが、予想よりもずっと長い行列ができていて驚く。神社の前の通りだけでは並びきらず、列がぐるりと道沿いに曲がり、その先に「最後尾」と書かれた看板を持っている警備員さんがいた。

列に並んでいるとき、私が「中年になってカルビを食べられなくなった」と言うと、カンジが「肴はあぶったイカでいい~」の節で「カルビは一枚あればいい~」と歌ったので、「むしろ一枚は食べたい八代亜紀じゃん」とつっこんだ。20分ほど並んで参拝をし、お金を洗ってから神社をあとにした。

そのあとは甘酒横丁をぶらぶら歩く。2人は人形焼きを買って食べていたが、私はあんこが苦手なので辞退した。

カンジのリクエストで昼はもんじゃと決めていたので、電車で月島に移動し、もんじゃストリートにあるお店に入った。店員さんが無駄のない手つきでもんじゃを焼いてくれる。3人とももんじゃに不慣れなので、「たぶんこうだよな」と、小さなヘラでもんじゃを食べる。お好み焼きより物足りないけれど、お酒を飲むにはちょうどいい。3人で2枚のもんじゃを食べ、瓶ビールを2本空けた。

このとき、少しだけ元夫の話になった。

離婚を意識した日のことを思い出す。あの日、私は元夫の実家から自宅へ帰る電車の中で、カンジにLINEをした。カンジなら元夫とも交流があるし、私にも元夫にも肩入れすることなく、公平なスタンスで話を聞いてくれると思ったのだ(実際そうだった)。

あの日の悲痛なLINEのやり取りを、カンジは覚えているだろうか。だけどその話をすると湿っぽくなりそうだったので、聞かなかった。離婚の話は控えめにして、あとはテモヤンが最近BE:FIRSTを好きだとか、堂本剛くんが結婚したとか、他愛もない会話を楽しんだ。

次は東京タワーへ行こうと話していたが、カンジが「東京タワーだとそれ以外に散策する場所がないから」と言い、浅草に行き先を変更した。浅草寺を参拝してから、目についた『カリブ』という古そうな喫茶店に入る。入る直前、一年前に友達と着物で訪れた店だと気づいた。もう一生来ないだろうと思っていた店に、二度目の来訪があるのはうれしい。毎年1月は『カリブ』に来ることにしようか。

『カリブ』で、私はコーヒーを、カンジはビールを、テモヤンはあんみつを注文した。ゆっくりと山小屋の話や、私の仕事の話をして過ごす。2人が私の仕事に興味を持ち、いろいろ質問してくれるのがうれしい。特にテモヤンは私が書いた記事を読みたがり、「LINEで送ってください!」と言うので送ったら、帰りの電車の中で真剣に読んでいた。目の前で書いた記事を読まれるのは照れくさい。

そうしているうちに日が暮れて、町田駅に到着。この日は私がよく行くホルモン焼き屋(市役所に離婚届を提出した直後も元夫とこの店に行った)に2人を連れていく予定だったが、みんなお腹がいっぱいだったので、うちで飲むことにした。

カンジとテモヤンがうちに来るのは5年ぶりくらいか。家族以外の人間が家にいるのが新鮮で、気持ちが浮き立つ。3人でこたつを囲み、スーパーで買ってきた総菜を広げ、缶ビールで乾杯をした。

家族の話や、2人の夫婦喧嘩の話をした。前にこの家に来たときは初々しいカップルだった2人が、今は夫婦として生活を共にしていることに、感慨深いものがある。

山小屋の人間関係の話になると、カンジが「自分は一年目がめちゃくちゃ楽しかったから、『山小屋って毎年楽しいんだ』と思ってたけど、長くやってみると、楽しい年とそうじゃない年が半々くらいやな」と言った。

山小屋は基本的に、スタッフが毎年入れ替わる。一年ごとの契約なので、何年も続ける人もいれば、一年で去る人も多いのだ。クラス替えみたいなもので、山小屋の雰囲気はその年のメンバー構成によって大きく左右される。正直、みんな仲良しですごく楽しい年もあれば、ぎくしゃくしていて気まずい年もあった。

けれど、カンジがそれを指摘したのは意外だった。カンジのようにコミュニケーション能力が高い人はどんなメンバーであっても楽しめるのだろう、と勝手に思っていたからだ。だけど、内心では同じことを思っていたんだな。

ほかにも、カンジはこんなことを言った。

「自分が先輩になってわかったけど、一年目スタッフが一年目だけで盛り上がってる年もあるし。今思えば、自分の一年目もそうだった」

そう言われて、カンジの一年目のことを思い出す。

その年は明るい子が多くて、みんな楽しそうだった。私も表面的には楽しくやっていたけれど、先輩だしそんなにノリがいいほうでもないし、内心では「打ち解けられてないな」と感じていた。

これは私のコンプレックスでもあるのだけれど、私は人と「狭く深く」付き合うのが苦手だ。誰とでもにこやかに話すことはできるが、そこから距離を縮めることができず、どうしても壁を作ってしまう。中学生のときに仲間外れにされて以来、そうなってしまった。

長い山小屋生活の中で、私はどのスタッフとも「広く浅く」付き合った。それは気楽で平穏だったが、一方で、特定の人同士が深い友情を築く様子を見ては、少し羨ましく思ったものだ。

カンジの一年目は特にそうで、見る見るうちにみんなの絆が深まっていき、私はおおいにコンプレックスを刺激された。みんなと一緒に笑っていても、自分だけ遠い気がして寂しい。そんなふうに感じてしまう自分のことを、卑屈だと思った。

しかし、カンジの目から見ても「一年目だけで盛り上がっていた」のなら、私が疎外感を覚えたのも無理はないのかもしれない。そう思うと、少しほっとした。

翌日は町田駅周辺をぶらぶらして、仲見世商店街にあるタイ料理屋さんでランチをした。そして、新宿へ向かう2人を駅で見送った。

ずっと、人と深く付き合えないことがコンプレックスだった。しかしそんな私でも、遠くから会いに来てくれる友達がいる。ありがたいことだ。「広く浅く」だとしても、私はできる限りスタッフと誠実に向き合ってきたつもりだし、その心がけはちゃんと実を結んだと思う。

これからも、カンジとテモヤンとの縁を大切にしたい。他のスタッフとも、もっと会いたいな。山小屋を辞めてだいぶ経つけれど、今からでももっと、親しくなれるかもしれない。

自宅に帰るためバスに乗る。車窓から、冷たく澄んだ1月の空が見えた。

文=吉玉サキ(@saki_yoshidama

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吉玉サキ
ライター・エッセイスト
札幌市出身。北アルプスの山小屋で10年間働いた後、2018年からライターに。著書に『山小屋ガールの癒やされない日々』(平凡社)、『方向音痴って、なおるんですか?』(交通新聞社)がある。山では迷ったことがないが、下界では方向音痴。

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