能登半島地震の爪痕 続く断水、特産品うなぎも出荷できず 津波・建物倒壊の現場で… 記者が見た被災地の現状とは?

最大震度7を観測した能登半島地震から1か月あまり。
BSS取材班は2月1日、最も被害の大きかった石川県に入りました。
取材班が見た被災地の現状とは?

安松裕一記者
「輪島市に入りました。いたるところに地震の爪痕が残っています」

2月1日、取材班は石川県輪島市に入りました。

安松裕一記者
「こちらの家は出窓のガラスが完全に割れてしまっています。そして玄関には要注意の黄色い紙が貼られています。そしてこちらはお店でしょうか、1階が完全に押しつぶされてしまっています」

市内のいたるところに、倒壊した家屋や商店が…。
道路もアスファルトやタイルがめくれあがっていました。

急ピッチで補修工事が進められていましたが、元通りになるにはかなりの時間が必要と思われます。

1月1日に発生し最大震度7を観測した能登半島地震。
いまだ安否不明者もいて、懸命の捜索活動が続いていました。

防災を考えるきっかけになればと、地元の社会福祉法人が公開した地震発生時のドライブレコーダーの映像。

介護施設に通う高齢者を送迎する途中、珠洲市内で地震に遭遇した際のものです。
強い揺れで建物が倒壊する様子、そして、車の後方のカメラには、津波が押し寄せる様子も克明に映っていました。

今回取材班は、その映像にうつっていた現場を訪れました。

安松裕一記者
「映像では津波はこの辺りまできていました。身長180センチの私の胸の高さくらいです」

海が近く、川も流れているこの地区。
地震による建物の倒壊に加え、津波があらゆるものを押し流しました。

道路や電気は復旧が進められていましたが、がれきなどの撤去は手つかず状態でした。

この車には高齢者含め6人が乗っていましたが、全員近くの高台に避難し無事でした。映像には、住民が高齢者をおぶって逃げる姿も映っています。

施設の担当者は、日ごろの津波避難訓練と地域の絆が大きかったと振り返ります。

長寿会 法人事務局 高堂泰孝次長
「職員が1人しかいなくて足が不自由な利用者さんもいたが、そこを地域住民の方も協力して一緒に避難できたというところから職員も利用者さんも安心して避難できた」

そして、取材をする中で、住民が最も望んでいたのは「断水の解消」です。

給水に訪れた住民
「8人家族で、トイレの水が大変です」
「一刻も早く水道の回復を願ってます」

復旧は長くかかるところで4月以降のところもあります。

そして、断水は特産品にも暗い影を落としていました。

壊れた窓に、空っぽの水槽。
取材班は、志賀町にある「能登うなぎ」の養殖場を訪ねました。

能登うなぎは、石川県初の養殖うなぎ。
肉厚でやわらかく臭みもないと評判で、ふるさと納税の返礼品としても
人気です。

しかし…。

安松裕一記者
「これまでは3つの水槽を使って養殖していたということですが、地震を受け、現在は1つだけになってしまいました」

地震前、約3000匹いたウナギは、地震の後具合が悪くなったり死んでしまったりして、半分ほどになってしまいました。
そして、断水は今後の養殖にも影響を与えるといいます。

能登うなぎ 荒井道雄 代表
「やっぱりきれいな水で養殖しないとウナギにもにおいがついたり、病気になったり、いろんな弊害が出てくる。そういった面で水は欠かせない。」

通常通り出荷できるのは1年先になるということです。

能登うなぎ 荒井道雄 代表
「応援してくれる人から連絡をいただきます。下を向いているわけにはいかないし、能登を盛り上げていかないといけないし。やっと1か月経ったばかりですけど、前向きに復活していかなくちゃいけないという気持ちです」

復興に向け気持ちを新たにした人たちは、ここにも。

輪島市の観光名所「輪島朝市」。
地震による火災で200棟以上が焼け、かつてのにぎわいは失われていました。
輪島市朝市組合には190人以上の組合員がいますが、まだ安否が確認できない人もいるといいます。

2月1日、組合員ら10数名が地震後初めて集まり、地震発生の午後4時10分、黙とうをささげました。

輪島市朝市組合 冨水長毅組合長
「この現場に来ると、まったく変わってない状況に、今後どうなっていくのか心配だけが募ります」

しかし、「必ず輪島朝市を復興させる」―出店者たちの眼差しはそう語り掛けていました。

輪島朝市 出店者
「輪島朝市というのは私たちの原点だしすべてなので、時間はかかるかもしれないけど、必ず復興したいと思いました。輪島の女は強いので、まな板と包丁あればどこでもやっていける技術を持っているので、本当に頑張ろうと思いました」

いまなお多くの人が避難所生活を余儀なくされ、水も自由に使えない…。
一方で、心に深い傷を負いながらも前を向き、進み始めた人たち。

復興に向け私たちにできること、それは、これからもずっと被災地に目を向け続けることではないでしょうか。

安松裕一記者
「取材で輪島塗の販売会を米子市で行う予定だったという男性に会いました。男性は復興したらまた全国を回りたいと話していました、地震から1か月、1日も早い復旧、復興を願わずにはいられません。」

© 株式会社山陰放送