お正月と密接にかかわる「書」…日本の伝統行事「書き初め」と「年賀状」の歴史を紐解く【全国700名を指導する書家が解説】

(※写真はイメージです/PIXTA)

1年のはじめ、お正月には「書き初め」や「年賀状」など、なにかと「書」にまつわる行事が目立ちますが、日本人はなぜ、節目の時期に書をしたためるようになったのでしょうか。本稿では、前田鎌利氏の著書『世界のビジネスエリートを唸らせる教養としての書道』(自由国民社)より一部を抜粋し、ともに平安時代にまでさかのぼる「書き初め」と「年賀状」のルーツについて解説します。

書といえば書き初め

書といえば毎年お正月に書き初めを行ったことがある人も多いのではないでしょうか? 私も子どもの頃、冬休みの宿題には必ず書き初めがありました。

現在、私の主催している書道教室でも1月に開催するお教室では必ず書き初めを行っていただきます。

一年の抱負にちなんだ漢字や言葉を自由に書いていただき、なぜその漢字や言葉を選んだのかについてお話しいただくようにしています。

では、この日本の伝統行事である書き初めはいつ頃から始まったのでしょうか?

書き初めは、今から1000年ほど前の平安時代の宮中における「吉書の奏」という行事がルーツです。

吉書の奏は、改元・代替わり・年始など、物事が改まった節目に、「政治がつつがなく進行しています」という慶賀を天皇に文書で奏上するというものでした。

この吉書の奏は鎌倉・室町幕府にも引き継がれ、「吉書初め」という新年の儀礼行事として定着します。

江戸時代になると、この吉書初めがいよいよ庶民の間にも「おめでたい新年に書き初めを書く」という行事となって広がりました。現代の私たちのお正月に書き初めを書くのは江戸時代からということです。

江戸時代には、自宅で書き初めをする場合、年が明けて最初に汲んだ井戸水(若水)を神前に供えた後、その若水で墨を磨り、恵方に向かって詩歌を書いていました。

恵方とは「歳徳神」(年神様や正月様ともいう)という神様がいる方角で、その年の縁起の良い方角を表します。節分のときに恵方巻きを食べたことがある人もいると思います。その年の恵方を向いて黙って食べようという、あの恵方です。

ちなみにこの恵方は4方向しかありません。

西暦の一の位が……

4・9の場合は「東北東やや東」

0・5の場合は「西南西やや西」

1・3・6・8の場合は「南南東やや南」

2・7の場合は「北北西やや北」

と分かれます。歳徳神はこの法則にのっとって毎年お見えになる位置を変えているのです。

恵方にまつわるものでは恵方参りというものがあります。

江戸時代までは元日に自分の住んでいるエリアにある氏神神社や居住地から見てその年の恵方にある寺社へ参拝するのが主流でした。

書き初めを「1月2日」に行うワケ

時代が明治になり、鉄道網が発達すると恵方参りは遠方の有名寺社に広がっていきました。その後、恵方を気にせずに参拝する「初詣」という用語が広告などで使われるようになり、現在では恵方参りは行われなくなっています。

それでも書き初めや太巻きを食べる際に恵方を重視するのは縁起を担ぐ日本人の伝統的な行いで信心深い民族性を表しています。

さて、書き初めは、元日に気持ちを新たに書きたいと思いますが、1月2日に行うところが多いようです。

その起源は平安時代の「吉書の奏」ですが、当時は縁起の良い日を選んで行われていました。その後、室町時代になって「吉書初め」は、1月2日に大々的に行われるようになりました。その名残で1月2日に書き初めを行うようになっていきます。

もう一つの理由が新年に初めて汲む「若水」です。若水は神前に供えた後、食事など様々に使うものでした。忙しい元日の行事を終えて、改めて2日に書き初めに使うのは、理に叶った使い方だったのです。

書道や茶道などのお稽古ごとは「1月2日から習い始めると上達する」といわれていて、この日を初稽古の日とする習い事は多いようです。

書いた書き初めは、年神様が滞在する期間といわれる「松の内」(1月7日、または15日)までは飾っておきます。松の内が過ぎたら、「左義長」と呼ばれるお祭りで、正月飾りなどと共に燃やします。左義長は地域によって、どんど焼き、さいと焼き、とんど、鬼火焚きなどと呼ばれている行事のこと。

このとき、炎が高く上がれば上がるほど字が上達するといわれています。

私も子どもの頃は、近所の氏神神社で毎年、どんど焼きを行っていて、書き初めだけでなく、たくさん練習した書き損じの紙を焚き上げていただきました。炎が高く上がるように、上手に書けるようになりますようにと両親と一緒に手を合わせてお願いしていたのを覚えています。

そんな左義長も今では行われないところが増えてきました。

現在では書き初めを自宅ですることも減ってきているので、字が上手に書けるようにお願いする機会も減っているかもしれませんが、これに限らず伝統的な行事が少しでも伝えられればと思います。

お正月といえば年賀状

もう一つ、お正月にまつわるものといえば、年賀状があります。年末から準備をして来年の干支は何かなと確認をして年賀状を書きます。筆文字で書かれた年賀状をいただくこともありますが、それ以上に宛名を手書きで書くのも一苦労だったのが、今では印刷が大半。

この年賀状はいつ頃から行われていたのでしょうか?

年賀状の起源も書き初めと同じく平安時代。現存する日本最古の年賀状とされているものは、藤原明衡という人物の手紙文例集である「雲州往来」の中の年始の挨拶文例で、現在行われているような年賀状のやり取りが、この頃から貴族の中で始まっていたのではないかと考えられています。

江戸時代に入ると、寺子屋によって庶民も文字の読み書きができるようになり、また郵便の先駆けとなる「飛脚」が充実したことで、手紙で挨拶をやり取りすることが増えていきます。

その後は明治3年(1870年)に郵便事業が始まり、その翌年には全国一律料金の郵便制度が確立されていきます。

それと同時に郵便役所(郵便局)や郵便差出箱(ポスト)が全国にどんどんできていき、明治18年(1885年)頃には郵便というものが日本の国民に定着していきました。

ここから年中行事として年賀状を出すことが定着していきます。

ところが、当時の郵便体制では人員が足りずに遅配することになってしまったので、通常郵便とは別枠で処理する年賀郵便の制度が出来上がりました。

年賀状は平成9年(1997年)の37億通をピークに年々減少傾向です。

歴史を紐解けば平安時代に端を発する年賀状。年に一度だけ、特別な人にだけでもいいので、手書きで年賀状を送るのも日本の伝統行事に触れる良い機会だと思います。

ちなみに、年賀状でよく見る間違った文例とお作法をご紹介します。

・「新年 明けましておめでとうございます」

「新年」には年が明けたことを含めますので、「明けまして明けましておめでとう」と書いているのと同じ意味。重複文になるので注意しましょう。

・「謹賀新年 明けましておめでとうございます」

「賀」には「おめでとう」の意味が含まれますので、謹んで年が明けたことをおめでとう、明けましておめでとうとこちらも重複しているので注意しましょう。

・忌み言葉を使わない

「切」「苦」「死」「戻」「離」といった、縁起の悪さを連想させる言葉のことを指します。去年の「去」も注意しましょう。去年ではなく、「昨年」「旧年」などで表記しましょう。

・句読点をつけない

句読点をつけることを控えた方が良いことを知らない方も多くお見えになります。特に目上の方に出す場合は気をつけた方が良いとされています。

理由は句読点をつけることで「読みやすくした」と上から目線のニュアンスが含まれていたり、「喜ばしいことに区切りをつけない」という意味があるそうです。

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