父の葬儀に参列するため、一刻も早く帰国したいのにできなかった理由とは?【子宮頸がん日記#11】

40歳元ファッションスタイリストの子宮頸がん闘病記。子宮頸がんになるまでの経緯や治療法、その時々に思ったことや女性としての生き方などを包み隠さず綴ります。

【連載 子宮頸がん日記#11】前編

一時帰国する際に、事件が発覚!?

肺がんで他界した父の葬儀に参列するため、日本へ一時帰国することに。いったいどんなふうに過ごしていたのか思い出せないほど、バタバタと帰国準備を進める日々でした。

日本人がバリに住むにはビザが必要なのですが、父が亡くなったときはちょうどビザの更新時期。運悪く私のパスポートがない!

日本行きのチケットを取る前に、まずはパスポートが戻るのかどうか確認。移民局曰く、「たぶん5日で戻る」というものの(「たぶん」ほど怖いものはない)、ここはインドネシア。信用はできません。

葬儀屋さんに、私が帰国するまで父を安置しておいてもらうようにお願いしていましたが、それでもせいぜい1週間が限度です。
お葬式は1週間後に決定したものの、それまでにパスポートが戻るのかどうか不安な日々。

本来であれば、パスポートの心配などではなく、父に寄り添い「お疲れさま」って声をかけてあげたい。母や姉と一緒に父を想って悲しみたい。

子ども達にお葬式の礼儀作法を教える私と姉そもそも夫を亡くした母は大丈夫なのだろうか?メンタル最弱の姉は母をサポートできているのか?など、不安は尽きません。

私自身も「日本帰国まであと5日」という時間内で、終わらせなければならないタスクが諸々ありました。

大量のオーダー品を各取り扱い店舗に振り分けし、カーゴ便で送る。息子達のお世話をし、しばらく日本を離れる旨を店舗スタッフに伝えて指示を出す。
やらなければいけないことは山ほどありました。気が付けば丸一日何も食べていないなんてことも。

面倒くさいことに、そのタイミングで生理になってしまいました。いつもより出血量が多かったのですが、もう父の死から比べたらどうでもいいという気持ちに。大切な人が亡くなることに比べたら、自分の生理なんて、もはやどうでもいいんです。しかし、この後大変なことに…

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