大河『光る君へ』好色エピソードが伝わる花山天皇の純愛物語 早逝した忯子への一途な思い 識者語る

NHK大河ドラマ「光る君へ」第7話は「おかしきことこそ」。花山天皇(本郷奏多)が寵愛していた藤原忯子(しし、井上咲楽)が妊娠に伴い、母子共に亡くなる様が描かれていました。ドラマにおいて、忯子の子を呪詛し、殺そうとしたのは、藤原兼家(道長の父)でした。兼家は陰陽師・安倍晴明に依頼し、忯子の子を呪詛したのですが、忯子まで亡くなってしまったことに驚き、晴明に「やり過ぎだ」と苦言を呈していました。忯子が帝の子を産めば、為光は外戚(母方の親戚)となり、兼家の立場を脅かすことになります。兼家はその事を危惧したのでした。

今回亡くなった忯子という女性は、藤原為光の娘。忯子は、永観2年(984)、花山天皇の女御(皇后・中宮に次ぐ位)として入内します。そして前述のように天皇の寵愛を受け、懐妊するのですが、寛和元年(985)7月、病没してしまうのです。16歳の若さでした。為光は、娘の生前、帝の寵愛が続くように、種々、祈祷をしていたようです(平安時代後期の歴史物語『栄花物語』)。忯子は妊娠すると、実家(里邸)に戻ろうとしますが、帝(花山)が引き留めることもあって、里帰りが延び延びになってしまいます(3月に里帰りする予定が5月となった)。

里邸に戻った忯子ですが、食事を摂ることが少しもできなかったとのこと。悪阻が要因かとも考えられましたが、1ヶ月経っても、食事を摂れず。痩せる一方だったようです。父・為光は狼狽し、祈祷を依頼したりしますが、効果なく、橘(蜜柑)1つ食べても、吐いてしまう状態。宮中においても祈祷が行われていました。花山天皇は忯子のことが恋しく、少しでも会いたいと参内を促します。忯子は帝のお気持ちを想い、1日・2日だけならばということで参内するのでした。花山天皇は大層喜び、夜も昼も忯子の側を離れなかったようです。しかし、忯子の容色は、病によって、すっかり変わっていたとのこと。

花山天皇は忯子が里邸に帰る頃となっても、もう少し、もう少しと引き伸ばし、ついに7月8日となってしまいます。為光の「養生は宮中では十分にできません」との言葉に動かされて、天皇は泣く泣く忯子を手離すのでした。宮中より退出後も、忯子の体調は回復せず、ついに亡くなってしまいます。

最愛の女性の死に衝撃を受けた花山天皇はお引き籠りになり、声を上げて、お嘆きになったそうです。花山天皇というと好色なエピソードが今に伝わっていますが、『栄花物語』からは忯子への一途な愛というものがよく分かります。

(歴史学者・濱田 浩一郎)

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