清原惟監督『すべての夜を思いだす』ご当地・多摩ニュータウンで先行上映イベントを開催

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PFFスカラシップ作品『すべての夜を思いだす』の特別先行上映イベントが、2月17日(土) に開催された。

会場となったのは、本作の撮影地であり監督の清原惟が生まれ育った地でもある多摩ニュータウンのベルブホール。映画上映後には清原監督に加え、40年近くにわたり多摩ニュータウンの地域密着情報を発信する「もしもし」(多摩のフリーペーパー)代表取締役の五来恒子、1971年から50年間にわたり′′ニュータウン′′の姿をみずみずしく描いた連作短編集『ニュータウンクロニクル』を刊行した小説家・劇作家の中澤日菜子、25年にわたり多摩市に在住している映画批評家の南波克行、多摩ニュータウンの落合団地商店街にて建築設計事務所を運営している建築家の横溝惇の4名がゲストとして登壇し、トークセッションが行われた。

司会 最初に、なぜ撮影地に多摩ニュータウンを選んだのでしょうか?

清原監督 私自身が幼い頃に多摩ニュータウンに住んでいたので、この街の風景が大切なものとして心に残っていて、いつか映画に撮りたいと思っていました。企画の変更などを経て約5年の歳月をかけて制作しました。多摩の皆様に力をたくさん借りて撮らせていただいた映画なので、このように多摩で一足先に上映ができて、今日は本当に嬉しく思っています。

清原惟監督

司会 今日は大きいスクリーンで映画をご覧いただきましたが、いかがでしたか?

南波克行 すごく楽しかった。どこが楽しかったかというと、多摩のある晴れた5月の一日の早朝から夜更け、つまり、一日の誕生と死を描いていると感じました。また、この一日が、ハローワークに行く女性の誕生日であることと、大学生の女性の旧友の命日であるということ。つまり同じ一日の中で、生と死、誕生日と命日という真逆のことを描いている点です。

お誕生日パーティーのビデオをアナログからデジタルに変換しているカメラ屋さんのお兄さんが登場しますよね。ホームビデオの誕生日パーティーなんですよね。逆に、お葬式や人間の死にまつわることは映像に残らない、残そうとしない。つまり誕生日パーティーはデジタルに変換してでも残そうとするけれども、死というのは不可視化に見えなくなってしまう。ここでは沢山のことが頭をよぎりました。そのお誕生日パーティーのシーンは、古くは1985年から1996年くらいの過去30年から40年前の誕生日を描いていて、そこでお祝いされていた子供たちは、今では30歳、40歳のいい大人になっていて、撮影したお父さんお母さんは、お爺さんお婆さんになっているかもしれない。その間には30年分、40年分の夜が沢山あったということです。まさに沢山の夜を思いだす、そういう映画になっていると感じました。

最後の方で、ふたりの大学生が花火をやっているシーンがあります。亡くなった旧友の命日を、敢えて言うと、祝っている。そこにふらっとやって来るのが、たったひとりで誕生日を祝っている、今日が誕生日のハローワークに行っていた女性。誕生日と命日、生と死という抽象的で真逆の概念を、同じワンショットの中で見えるように可視化している恐るべきショットにゾクゾクしました。本当に凄いショットです。映画全体をとおして、ものすごくイマジネーションを掻き立てられる構造に感動しました。

南波克行

横溝惇 南波さんが今おっしゃったような物語的な構造と、清原監督が幼少期に過ごした多摩ニュータウンの思い出など、そういった色々な時間も含めたレイヤーのようなものが物語の中にすごく入っていて、それがニュータウンの構造とマッチして物語が展開している映画だと思いました。清原監督の映画はレイヤーを感じさせる作品が多いと思うのですが、この映画も動くシーンが多く、主人公たちがどんどん移動していきます。Aという場所からBという場所に行くレイヤーの構造というのがニュータウンならではの映画だなというのが感想です。

横溝惇

司会 南波さんと横溝さんのご感想について清原監督はどう思いましたか?

清原監督 すごい面白いというか、私もいろいろ気づきがあるお話でした。死は映像に記録されないというお話がとても印象深かった。そういえば、ニュータウンの計画された区画の中にはセレモニーホールのような施設が無いことに気づきました。ニュータウンの中で生活できるように計画されているはずなんですが、実は死はあまり可視化されていなかったんだなと。ニュータウンの街並みのクリーンさや、そういうイメージと、でもその中に人は生きているわけだから絶対に死はある、ということを考えたことを思いだしました。

司会 映画を作るためのリサーチはどのように行ったのですか?

清原監督 物語には直接反映されていませんが、1970年~80年代に多摩ニュータウンに引っ越してきた女性の方々に話を聞きました。ニュータウンが出来たばかりで、一番盛り上がっていた時代の話を聞く中で、私が知っているニュータウンは時間が経って落ち着いてきた姿ですが、全然違う世界が広がっていたことを知りました。この映画では現代のニュータウンしか描かれていないのですが、横溝さんがおっしゃったようなレイヤーのようなものがその背後には常にあるというか、私たちの生活自体がそういう風にできているというか、過去に生きてきた人たちの時間があって自分たちの時間があるということを、リサーチをする中で改めて実感し、そういうことが直接的だったり間接的に、この映画に活かされていると思います。

司会 この映画は音が印象的です。

南波克行 フィールドレコーディングという面では理想的な映画ではないかと思っています。私自身がこの近辺に暮らしていますのでよくわかるのですが、鳥のさえずり、木々のざわめき、車の音がかなり聴こえてくる。それを全て体感できるようにしている。これは、相当に力を込めて録音されたと思います。

清原監督 音響の黄(コウ)さんが、撮影の合間に、本当に色々な音、ニュータウンで鳴っていたありとあらゆる音を採取してくれました。

司会 タイトルについては?

南波克行 すべての夜を思いだす、ですよね。極端な話、4000年前の夜も思いだすのです。大学生のふたりが、縄文文化を展示している埋蔵文化財センターを訪問していて、ちょうど現在の多摩市と縄文期の地図が合わさる展示があります。まさに、4000年前の夜と今の夜が重ねられている。大学生のふたりは縄文時代の鈴の音を聞き、音が時空を超えて繋がっている、すごく意味のある場面だと思います。

横溝惇 そのシーンにだけ、′′ニュータウン′′という言葉が出て来ますよね。あのシーンだけだったのは、何か意図があったのですか?

清原監督 あのシーンを書いていた時に′′多摩ニュータウン′′という言葉を出すかどうかはすごく迷いました。ニュータウンで撮ることは最初から決めてはいたのですが、どの程度を言葉で提示したり表現するかは重要だと思っていて、そもそも′′多摩ニュータウン′′の全域を撮っているわけでもないし、′′多摩ニュータウン′′は地図で書けるけどその囲ってしまったエリアのものだけではないような気もして。ただ、あのシーンは過去の′′ニュータウン′′について話すということで、言葉で定義してもいいのかなと思いました。

司会 『ニュータウンクロニクル』で同じように多摩ニュータウンを描いた中澤さんは、いかがでしたか?

中澤日菜子 登場人物がやって来て、なにがしかのシーンがあって、その場からいなくなった後の風景がとても印象的だと思いました。普通は登場人物のカットや顔が映ることが多いと思いますが、この映画の場合は、街が主役だと思いました。この映画と私が書いた『ニュータウンクロニクル』の違いは、映画は一日という限られた時間で完結していますが、『ニュータウンクロニクル』は1971年4月1日の入居が始まった時から50年にわたって、多摩市あるいは多摩ニュータウンを描いた作品です。映画と重なり合うところと、まったく違ったところを見ているなという部分が多々あって、とても面白く拝見しました。

中澤日菜子

清原監督 私は映画を撮る前に多摩に関する書籍を色々と集めて、その中で『ニュータウンクロニクル』を拝読させていただきました。それぞれの年代の多摩の住人の日々がすごくリアルに描かれていて、私が経験していない昔の時代のこともあって、もちろんお話を伺う中で想像はしていたのですが、想像しきれない部分もあったので、この小説を読んでいるとその時代にタイムスリップしたような気持ちになり、その時代を体験できる貴重なものでした。

司会 多摩ニュータウンの方々を取材されている五来さんは、映画を観てどうでしたか?

五来恒子 多摩のフリーペーパー「もしもし」は、両親から継承して今では39年目になります。大好きな街である多摩ニュータウンを舞台に映画を撮ってくださってとても嬉しく思います。それをこのように先行上映という形で観ることができ、私自身も今日を楽しみにしていました。

何度か試写する機会をいただいたのですが、観るたびに、登場人物に感情移入してしまい、ちょうど年代が重なっている部分もあると思いますが、時には切なくなり、時にはぷっと吹き出してしまったり。このように大きなスクリーンで音をしっかり聴くことができる環境で観ると、また新たな想いが沸き上がってきて、少しウルっと来たりしながら観させていただきました。

商店街が舞台としてたくさん登場していることが嬉しくて。というのも、私が入社をして一番最初に上司である両親から言われた仕事が、商店街の取材だったんです。この街を支えてくださっている地域の商店主さんがあってこそのニュータウンということを、店主の皆様とお話するなかで強く感じたことがあり、この映画を拝見すると商店街の皆様のお顔がたくさん浮かんできました。

五来恒子

司会 印象に残っているシーンやお気に入りのシーンは?

清原監督 お気に入りというのは難しいのですが、私がすごく好きなシーンは、主人公の知珠(ちず)がふたりの大学生の花火を見る前に、お茶を飲もうとして、お茶が数滴しか無いシーン。主役の兵藤公美さんのお芝居が本当に素晴らしいということもあって、ただお茶が無いだけなのに、あの一日の色々なものをあのシーンが背負っているような感じがして。肉体的な疲れであったり、喉の渇きも感じるし、一日が終わっていくということをあのシーンですごく実感します。

中澤日菜子 大学生の女の子ふたりが花火をするシーンがすごく印象に残っています。花火は、色々なイメージが重なりあうものだなと思います。光っては消え、光っては消え、繋いでいかないと次の花火に火が付けられないとか、そういったところで、あのふたりの関係性や、知珠というひとりの女性が来た目的、歩いてきた時間、自転車に乗った時間が花火と重なり、頭の中に蘇って来る、とても好きなシーンです。

五来恒子 知珠が、聖ヶ丘の友人のお宅に向かう時に携帯を見ながら、道ではなく山を上がっていき、開けた公園に出て、夏さんのダンスを見ながら踊るシーンがありますよね。ニュータウンにはこの山を登ったらどこに続くんだろうという光景が沢山あるので、地図にはない道を行きたくなる気持ちや、山の木々の中を進んで行った時にぱーッと視界が開けてまたそこで新たな出会いがあるという、あのシーンがとても楽しかったですし、踊っている姿も面白かったです。

清原監督 そうですよね。ニュータウンは計画された街であるにも関わらず、そういう抜け道みたいな場所や、何の場所でもないような空き地が無数にあり、そういうところがすごく面白いなと思います。

五来恒子 人工的に作られた街ですが、整備がされ過ぎていないというか、実際に映画の中でもわっさわっさと緑がそよいでいるような、とても楽しい空間でもありますね。

司会 ここで会場の皆様からもご質問ある方はどうぞ。

若い男性の観客A 土地の記憶や土地性が主軸に据えられて語られた物語と思いました。比較的曖昧な、だからこそ強力なというか強烈な、でも大切な観念を物語るにあたって、今回の役者の方の比較的感情を表に出さない端正な演技指導や端正な演出について、清原監督のお考えをお聞かせください。

清原監督 普通に暮らす人々の日常を映画にしたいという思いがありました。何か劇的なことが起こるわけではないので、日常的なテンションで、ただただ淡々と日々を生きていく人々を念頭に置いていましたし、そういうお話を俳優さんたちとしたり、俳優さんたちが出してきてくれたものを大切にしつつ、一緒に作品を作っていきました。

若い男性の観客B 人間描写や風景描写がとても素敵に描かれていたと思います。それだけではなく、人情的な部分も印象的に描かれていたと思います。多摩の街の良さを最大限に出すために工夫されたところがあれば教えてください。

清原監督 街のことを知らなければ街は描けないと思っていたので、とにかく自分の足で歩くことを沢山しました。歩くたびに発見があり、歩くこと自体が楽しかったです。色々な方にお話を聞くことも、影響が大きかったと思います。

<作品情報>
第26回 PFFスカラシップ作品 『すべての夜を思いだす』

3月2日(土) 全国順次公開

公式サイト:
https://subete-no-yoru.com/

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