脇坂泰斗が海外挑戦より川崎残留を選んだ理由。勝負の2024年への強い覚悟【スペシャルインタビュー前編】

14番を背負い、今季は新キャプテンに就任。まさに川崎の顔となった脇坂泰斗が新シーズンに懸ける想いとは。去就が注目されたオフを含め、2024年への決意を語ってもらったインタビューの前編をお届けする。

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まさに激動。

2024年の川崎フロンターレのオフはそう捉えられるだろう。

クラブ在籍15年の左SB登里享平、不動の右SB山根視来、要所でチームを救ったCB山村和也ら、これまでチームを支え続けた選手たちが新たなチャレンジへ移籍を決断。一方で、G大阪から技巧派MF山本悠樹、売り出し中の左SB三浦颯太、オランダで経験を積んできたSBファンウェルメスケルケン際ら楽しみな新戦力を加え、チームは再スタートを切ったのだ。

そのなかで、何よりも関係者を安堵させたのは、伝統の14番を背負うMF脇坂泰斗の残留に違いない。

今や3年連続でのJ1ベストイレブンに選ばれるなど、押しも押されもせぬクラブの顔となった男である。しかも昨季はチームが8位に甘んじたなかでのベストイレブン選出。彼の躍動ぶりがいかに多くの人の目にとまったのかが分かる。昨季の佳境、脇坂も手応えを口にしていた。

「今は相手や味方を思うように動かせていると言いますか、例えばターンして逆を取ったシーンも『そうだよね、こうできるよね』と前もって“分かる”ようになっている。相手は『やられた』と思っているかもしれませんが、自分では誘っているくらいの感覚で。ポジションについた時点で、未来が分かっているという時もあるほどです。相手が取りに来た時に『よしよし、やっぱりこっちに取りにきたから、じゃあこっちにいく』みたいな」

この言葉に象徴されるように、選手としてワンステージも、ツーステージもレベルを上げた印象である。だからこそ、今の移籍市場ではタイミングがやや遅いのかもしれないが、この28歳に海外移籍の噂が持ち上がっても不思議ではなかった。昨年末、一部報道ではクロアチアの名門・ディナモ・ザグレブがオファーを出したとも伝えられたのだ。

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脇坂も自身の進むべき道を大いに悩んだ。

「正直な話をすると、オフは頭が全然休まらなかったですね。例えば家族旅行の間にもふとした瞬間に『どうしようかな』と考えてしまって。妻といろいろ話もしました。その意味ではずっと気持ちに波があったような感覚で、こんなオフは初めてでした」

常に成長し続けたいとの想いが強い男である。海外での挑戦を選択すれば選手としての幅を広げられるに違いない。一方で、川崎でまだやるべきこともある。“止める・蹴る”をベースにした技術力は川崎だからこそ高められるはずで、アカデミー育ちとして大好きなクラブの未来も気になる。

特に川崎は世代交代の真っ只中。2023年はリーグ戦では大いに苦しんだ。一方で年末には天皇杯を制覇。脇坂にとっては14番として手にした初のタイトルだった。

「一昨年(2022年)はひとつもタイトルを取れず、2年連続での無冠は、フロンターレの歴史が続くうえで、あってはならないことだと思っていました。だから、1年苦しんだご褒美ではないですが、ホッとしたというのが正直な気持ちですね。より背負っていたものがあった1年だったので、個人的にはこれまでとはまた違ったタイトルになりました。最後にみんなで掴み取れて本当に良かったです」

試合後には涙を止めることができなかった。

「楽になったというか、やっといろいろ悩んだ1年が終わったんだと言いますか。張り詰めていたものが、溢れたという感じでした」

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もしかしたら万感の天皇杯制覇でひとつの仕事をやり終えたとの想いもあったのかもしれない。川崎でともに力を付けた守田英正、田中碧、三笘薫、旗手怜央らはすでに欧州へ渡り、日本代表の常連になっている背景もあった。個人の目標とクラブへの影響力、その間でオフを過ごす脇坂は揺れていた。

「そこのバランスが本当に難しくて。だから分けながら考えてもいましたね。自分自身のことを考えてみたり、一回視野を変えてクラブの今後を考えたりと。それこそ自分の今と未来、クラブの今と未来、いろんなことを考えました」

その期間、誰かに相談すれば考えに偏りが生じてしまいそうだと、自問自答をし続けた。ひと足先に海を渡っている川崎への同期入団の守田(スポルティング)や、プライベートでも仲の良かったアカデミーの後輩の田中(デュッセルドルフ)らに話を聞くこともなかったという。守田からは様子を窺う連絡もあったが、その想いに感謝しながら「決まったら伝えるよ」と返した。

「やっぱりヒデ(守田)やアオ(田中)に訊くのもちょっと違うのかなと。言ってしまえば、どちらの道を選んだとしても正解なんですよね。フロンターレは本当に大好きで、愛する気持ちはどこにいても決して変わらない。でもすべては自分次第。どんな環境でも自分を高めることはできますから。だから両方、肯定しようと。ネガティブなことは考えずに、ポジティブなことを並べていきました」

ふたつの道をイメージしながら、悩みに悩み――それでも脇坂が決断したのが、2024年も川崎で戦う道だった。

海外移籍は再びチャンスがあるかもしれない。それよりも川崎で悲願のACL制覇を成し遂げたいとの想いが脇坂の背中を押した。シーズンをまたがって戦う今回のACLはすでに無敗でラウンド16に進出しており(2月13日に行なわれたラウンド16の第1戦も勝利)、次回大会からはレギュレーションが変更になるだけに、ここで唯一手にしていないタイトルを獲得したいとの願いがあったに違いない。

また脇坂には指標となるひとりの先輩がいた。

大卒後、川崎一筋で己を高め、30歳でカタール・ワールドカップ出場を果たした谷口彰悟である。谷口はワールドカップ後に、新たなチャレンジとしてカタールへ渡ったが、夢舞台でJリーガーでも世界の選手たちと互角に渡り合えることを証明した。

「本当に凄いと思うんですよ。年齢を言い訳にせず、努力を続け、今も日本代表で頑張っている。自分を高め続けることができれば、環境は関係ないと改めて教えてもらいました。勇気をもらいました」

脇坂が具体的に目指す2026年のワールドカップは、奇しくもカタール大会時の谷口と同じ30歳で迎える。道がイメージできることも今回の決断に影響したのかもしれない。

そして、アメリカでの新たな挑戦を選択した山根視来らとも誓い合った。

「お互い考え抜いたうえので決断。内容は違っても、考えていたことは似ているので、どういう選択にしようが、自分が決めた道を進むのが正解だと各々が分かっていました。だから『選んだ道でしっかり頑張ろうぜ』と、言葉をかわしましたね」

2024年への覚悟は固まったのだった。

後編に続く。

■プロフィール
わきざか・やすと/1995年6月11日生まれ、神奈川県出身。173㌢・69㌔。FC本郷―エスペランサSCJrユース―川崎U-18―阪南大―川崎。J1通算146試合・25得点。日本代表通算4試合・0得点。3年連続でベストイレブン入りを果たす。

取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)

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