「ウチも同じ!」大竹まことが真矢ミキと意外な共通点を発見!昭和世代はみんなカンペに慣れてた?

現在「いつも心にケセラセラ」という本が絶賛発売中!元宝塚トップスターで俳優の真矢ミキさんが2月19日の大竹まことゴールデンラジオに登場。初めて宝塚を見た時は、意外にもハマらなかったという思い出を伺った。

阿佐ヶ谷姉妹・江里子「真矢さんは、宝塚の時に本当に革命児でしたから。いろいろなことを初めてされたっていうことが多かったんですよ。」

真矢「私、転勤族で男女共学の公立にばっかり行ってたんですよ。だから、女性が女性に憧れる感がまったくゼロどころか、マイナス地点で。広島で生まれたんですけど、福岡に行って、それから北上しまして、神奈川県に2か所、それで千葉に行ったんですね。そこから大阪に、初めて関西エリアに入ったので、関西弁から何からカルチャーショックで。関西の方はね、膝をちゃんと向けて居酒屋とかでもしゃべってんですよ。だからテーブルに向かってじゃないんですよ。横の方に向かって膝を突き合わせるような感じで。その熱さにね、「イタリアか!」って思ったんです」

大竹「関西の人って見たもの何でも口にするよね。なんや、この店は随分広いわりに客が入ってないやんけ、みたいなことをねえ」

真矢「だから未だに関西行くと「どないした今日は?」って言われるんですけど、いやお会いしたかな?と思って」

スタジオ(笑)

真矢「それで阪急電鉄っていうのは一番端っこの駅が宝塚駅だったんですね。で、まだテレビが普及してない時代だったから、母が宝塚劇場に行って、女学校の友達たちと「娘が生まれたら宝塚入れましょうね」みたいなことを言ってたたらしいんですよ。それで、ちょうど『ベルサイユのばら』が流行ってるころ、第一次ブームの時、私に宝塚を始めて見せたんですよ。私が、あわよくば宝塚に入ればいいなみたいな感じで。私が13歳ぐらいなんですけど…ハマらなくて」

大竹「え?、ハマらなかったの?」

真矢「今は違うんですけど、前はね、劇場が動物園の中にあったんですよ。中って言ったら変だけど、なんか動物の一種みたいになっちゃったけど、そうじゃなくて」

大竹「その言い方まずいですよ」

真矢「そうですよね。ごめんなさいね。動物園と遊園地と劇場みたいな感じで、どなた様も老若にゃんにょ、言えてない。(笑)日常を楽しめますよみたいな、そういうとこだったんです」

大竹「誰も突っ込んでませんよ。え、ご自分で行きたかったんじゃないの?」

真矢「いや全然。だって男子にやっぱ恋してましたからね。叶わぬ恋を。著書でも書かせてもらったんですけど」

大竹「ちょっとよく分かんなかったんだけど、生徒会長でしたっけ。想う方がいて、それで自分で日記書いて、ベランダがあって、そこに投げ込んだって?そんなにうまく届かないでしょう。」

真矢「全然届かなかったんんです。だけど、思い出してください。昭和は砦が親だったんですよね。電話でもなんでも。長電話するとなんか箸で頭たたかれたり、なんかそんな時代でしたから」

大竹「ウチも親父に怒られた。長電話で…いつまで飯食わないんだ!」

真矢「途中で大声出してね。それまではカンペみたいに「はやくきりなさい」ってのが出て来てね」

大竹「おんなじ。(笑)子どものときからカンペには慣れてた」

真矢「昭和はみんな慣れてましたよね、カンペに」

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