【西武】奥村光一選手インタビュー 大学時代に引退勧告を受けるも「環境を変えて野球ができるところを探そうというところから始めた」

1月31日放送のライオンズエクスプレスでは、育成ドラフト6位ルーキー奥村光一選手にインタビューした模様を放送した。大学時代に引退勧告を受けたことや自身の売りについて訊いた。

――ドラフト会議が始まってから、自分の名前が呼ばれるまで3時間ほど経っていたはずですが、どのような心境でしたか?
奥村「最初の2時間は支配下の指名で、自分はそこではないとわかっていたので、最後の1時間がすごく長く感じましたね」

――その部分の心の準備はできていた?
奥村「できていました」

――いざ名前が呼ばれたときのお気持ちは?
奥村「頭が真っ白になって、でも嬉しい気持ちがすごく大きかったです」

――ここまで野球を続けてきて、辞めそうになったときもありますよね?
奥村「ありますね」

――例えばそれは東海大学のときかなと経歴を見ていて思うのですが?
奥村「そうですね。そこでもやめようと思ったことがあります」

――それ以外でもある?
奥村「独立2年目のときですね。一昨年のドラフト漏れしたときに辞めようかなというふうには思いました」

――東海大学では出場機会に恵まれず、3年生のときに受けた進路面談で、「野球は諦めてもう就職を考えた方がいい」と言われたという話は本当?
奥村「そういったニュアンスで、『もういいでしょう』みたいな感じで言われましたね」

――そのときの心境は?
奥村「3年生の冬で、立場もCチームで、Aチームにいる下級生の練習の手伝いをしている中で、メイングラウンドも使えないので、なかなか厳しい環境だった。どちみち無理かなとは思っていた」

――それは事実上の引退勧告ということになると思うが、それでも野球を諦めなかったのはなぜ?
奥村「やれる自信はありました。なので、環境を変えて野球ができるところを探そうというところから始めました」

――それが独立リーグの名門群馬ダイヤモンドペガサスへの入団ということになると思うが、この経緯は?
奥村「高校時代のサッカー部の友人がたまたま『群馬に知り合いがいるよ』ということで、連絡してくれて、それで入団しました」

――大学3年生の終わりぐらいということで、東海大学は辞めていないですよね?
奥村「そうですね。在学しながら、野球をやっていました」

――最初はダイヤモンドペガサスでも練習生だったと聞いていますが、待遇はどうなっていた?
奥村「練習生は給料ゼロのところから始まりました」

――入って1年目で契約を勝ち取って、首位打者も獲りました。よほど活躍したのですね?
奥村「そうですね。調子がよかったです」

――その上で2年目もきっちり活躍して、盗塁は前の年の12個から31個へと劇的に増加しました。これは何を変えた?
奥村「まず盗塁の企画数を多くして、どんどんの数が積み重なっていって、コツも掴んでいきましたね」

――ここでプロから指名かかるだろうと自信がつきますよね?
奥村「指名があったら奇跡ぐらいの気持ちでした」

――結局指名はありませんでした。そこでやめようと思った?
奥村「そうですね。また1年後かと思ったら、結構厳しいかなと思いました」

――そして、2023年のシーズン終了後にライオンズから育成ドラフトで指名されましたが、この1年間で何かを変えた?
奥村「体重を93キロから83キロくらいまで10キロくらい落として挑んだら、盗塁王を獲れました。大学時代は、ほとんどウェイトトレーニングしかしておらず、どんどん体が大きくなったので、それを絞る作業をしましたね」

――かなりきついトレーニングだったと思いますが、その分キレが増してスピードもよりアップしたということ?
奥村「そうですね、アップしました」

――その方がプロへの近道だった?
奥村「僕は近道だった。僕がホームランを打っても、NPBの選手の中にはもっとホームラン打つ選手がいると思う。それなら一芸を磨くじゃないですけど、足かなというふうに考えて、足だけを磨きました」

――これからライオンズに入団してプロ野球人生が始まりますが、そこは売りにしたい部分ですか?
奥村「まずは足を売りにしていきたいですね」

※インタビュアー:文化放送・斉藤一美アナウンサー

© 株式会社文化放送