『デリカテッセン』絶望未来をリズミカルに奏でる⁉︎ 奇才ジュネの傑作ブラックコメディ

『デリカテッセン』あらすじ

世界が荒廃し、日々の食糧が不足して人々が飢えに苦しむ未来社会。パリの町外れにあるアパートメントの大家は、一階で精肉店を営んでいる。彼はこれまでも、新たな入居者をうまく罠におびき寄せ、かっさばいて、みんなで美味しくシェアしてきた。そんなある日、ルイゾンという名の大道芸人の男が、まんまと住み込み仕事に応募してきて…。

ジュネを世に知らしめた初長編監督作


奇才ジャン=ピエール・ジュネの作品と真向かう時、私はさながらサーカスの見世物小屋に足を踏み入れるかのような鮮烈な驚きに身構える。他人が線引きした常識などいっさいお構いなし。ジュネの創造力はいつもその斜め上を滑空し、彼の王国たる作品内を、とびきりの変なもの、愛すべきものでいっぱいに満たしていく。

『デリカテッセン』(91)はこういったジュネの特性を初めて世に知らしめた記念すべき一作だ。本国フランスのみならず、世界中で驚きと賞賛によって迎えられ、アメリカでミラマックスが配給についた折には、悪名高きハーヴェイ・ワインスタインにいくつもの修正点を提示されながらも、「だったらいい考えがある。僕らの名前をクレジットから消すんだ」と毅然と答えて作品を守り抜いたとか(*1)。単なる常識破りの奇才なだけでなく、気骨みなぎるアーティストなのだ。

ちなみに、本作『デリカテッセン』と長編2作目『ロスト・チルドレン』(95)はジュネ単独ではなく、70年代の終わりに出会って意気投合したコラボレーター、マルク・キャロとの共同監督作。二人の間には、ジュネが全体的なストーリーや脚本、演出を手掛け、キャロはセットや小物、キャラ造形、ヘアスタイル、衣装をはじめ美術関連の様々な要素を統括するという仕事の棲み分けがあったものの、肝心なところはいつも互いに十分話し合い、納得しあった上で決めていたとか。

『デリカテッセン』(c)Photofest / Getty Images

肉屋の上で暮らした生活がヒントに


もともと二人が最初の長編企画として温めていたのは『ロスト・チルドレン』の方だった。しかし95年に製作された本編を観ればお分かりの通り、この作品は世界観が壮大で、ストーリーは複雑。美術セットもかなり手が混んでいる。つまり、具現化するにはかなりの予算を集めることが不可欠だった。

当時すでに短編製作で名を上げていたとはいえ、初長編でいきなり巨額の予算を投資してもらえるほど世の中は甘くない。そのため、まずは低予算ながらも彼らの持ち味がギュッと凝縮された作品を先に生み出したほうが得策という結論に至った。そこで生み出されたのが『デリカテッセン』である。

舞台は核戦争か何かによって世界が荒廃し、日々の食糧が不足して人々が飢えに苦しむ未来社会。とはいえ、作品内で大都市や地球規模の状況は一瞬たりとも描かれず、メインとなるのは町外れにあるアパートメントだ。大家は一階で精肉店を営む男。彼はこれまでも、新たな入居者をうまく罠におびき寄せ、かっさばいて、みんなで美味しくシェアしてきた。そんなある日、ルイゾンという名の大道芸人の男が、まんまと住み込み仕事に応募してきて…。というブラックな筋書きが、決してホラーではなく狂騒的なコメディとして縦横無尽に展開されていく。

その素っ頓狂なアイデアは一体どこから来たのか。DVDの音声解説で明かされるのは、かつてジュネが恋人と暮らしていたアパートでの思い出だ。やはりそこの一階も肉屋で、彼らは日々、早朝から鳴り響く肉切り包丁の音で目が覚めていたとか。そんな折、恋人が口にした「あの包丁で、ここの住人たちがどんどん食肉に変えられていたりして…」という冗談が、後日、思いがけない形で企画の種に育っていったのである。

音とリズムに乗せて描かれていく世界


かくもストーリーだけ読むとかなりグロテスクで物議を醸しそうな内容ではあるものの、ジュネとキャロはこれをあくまで映像的に描ききる。

とりわけ伝説的なのが、住民たちの日常描写が一つ一つ折り重なって、まるで楽団のように音とリズムを奏でる場面。男女が抱き合い、一定のリズムでベッドを軋ませる。それに合わせてチェロの演奏や、メトロノーム、マットを叩く音、自転車の空気入れ、ペンキ塗り、工場での玩具製造のリズムが加速度的にスピードを高め、最後はオーガニズムの絶頂(咆哮)と共に終焉を迎える。音声解説のジュネによると「このシーンは以降、様々な映像や広告で模倣された」らしく、まさに90年代当時、様々な方面に影響を及ぼした象徴的シーンと言えよう。

『デリカテッセン』予告

ただし、この映画は観客に驚きや影響を与えるだけでなく、本作そのものもまた、ジュネやキャロが愛してやまない様々なエッセンスを詰め込んだ一作であることを忘れてはいけない。

例えば、全編を通じて感じられる、身体を駆使したユーモアとドタバタは、バスター・キートンのコメディから取り入れられたもの。そのほかにもジュネは、テックス・アヴェリー(「ルーニー・テューンズ」をはじめ、40、50年代のハリウッドで一時代を築いたアニメーター)のカートゥーンや、ロベール・ドアノー(フランスを代表する写真家で、報道からファッションまで幅広い作品を遺した)などをインスピレーションの源として挙げている。

いま私の手元には図書館から借りた、ドアノーの「パリ」という写真集があるのだが、ページを紐解くと、庶民の暮らしを生き生きと活写したユーモラスな作品の数々に目と心を存分に奪われる。その中には、肉屋をモチーフにしたものもいくつかあり、もうまさに『デリカテッセン』の生き写しに思えるほどだ。

参照)ロベール・ドアノー公式サイト

伝説となった浴室シーンの源流は?


さて、本作を俯瞰する上で見逃せないのが「水」の存在だ。黄色く霞がかった空気が世の中の全てを覆い尽くす中、舞台のアパートは序盤から少しずつ水気を増していく。これが一つのバロメーターとなり、クライマックスではどんどん水嵩が増し、あらゆるカオスを浄化するかのように、アパートの内部構造を勢いよく崩落させるのである。

とりわけ重要なのが、浴室に逃げ込んだ主人公とヒロインが、蛇口を全開にして水を最大限に放出させる場面。DVDの音声解説ではジュネが「このアイデアはキャロのオリジナルだと思っていたが…その後、ローレル&ハーディのコメディ作品でこれと同じようなシーンを見つけた。もしかするとキャロはかつてこれを見たことがあって、すっかり忘れていたのかもしれないな」と語っている。

『デリカテッセン』(c)Photofest / Getty Images

試しに該当作品を探してみると、ローレル&ハーディの『Brats』(30)という作品が見つかった。そこには、子供らが夜な夜な浴室で蛇口を全開にし、やがて溜まった水が扉から勢いよく流れ込んでくるという秀逸なクライマックスが刻まれている。確かにここには何らかの繋がりがあるのかもしれない。

ローレル&ハーディ『Brats』

しかしながら、このクラシック・コメディを見ると、幾人かの人は『デリカテッセン』よりもむしろ、実写版『パディントン』(14)を強く思い起こすのではないだろうか。主人公のクマが慣れない浴室を水いっぱいに満たして、それらがバスタブごと勢いよく流れ出す感じがとてもよく似ているのだ。

実は、『パディントン』を監督したポール・キングはジュネ作品の大ファン(*2)。それこそ最新作『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』(23)は『デリカテッセン』からインスピレーションを得た部分も多いのだとか。なるほど、そう言われると、美術セットや癖のあるキャラクターなどいくつもの共通点が脳裏に浮かんでくる。それに、チョコレートの原料でもあるカカオ豆で闇取引が行われる部分も、『デリカテッセン』でレンズ豆やコーンが現金代わりに用いるのとよく似ている。

これは私の推測でしかないが、もしかするとジュネ好きなキング監督のことなので、『デリカテッセン』(およびジュネの音声解説)を通じてこの浴室のアイデアに触れ、そこからさらに逆引きする形でローレル&ハーディの『Brats』へと辿り着いた…なんて可能性もあるのではないか。もしご興味ある方はぜひ該当シーンを見比べて、自分なりに考察していただきたい。

ジュネとキャロの大好きなものを詰め込み、なおかつ独自の創造性で、怪しげな黒光りを放つ『デリカテッセン』。人々にフレッシュな刺激と驚きを注入し続けてはや30年以上が経過した。これからも変わらず、観る者に多大な影響を与え続けるのは間違いない。

*1)http://www.jpjeunet.com/GB/when-harvey-weinstein/

*2)https://www.empireonline.com/movies/news/wonka-is-inspired-by-jean-pierre-jeunet-says-paul-king-im-homaging-delicatessen-exclusive-image/?fbclid=IwAR0vd0t9OdgS04axYJ1ISoHz7rCW4zLlQPgpbelU-YW5h-Yv2M4qIbjFtRA

その他参考資料:

『デリカテッセン』DVD(ジュネによる音声解説)

https://www.hammertonail.com/interviews/a-chat-with-jean-pierre-jeunet/

https://www.indiewire.com/features/general/interview-the-fabulous-destiny-of-jean-pierre-jeunet-80679/

文:牛津厚信 USHIZU ATSUNOBU

1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンII』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。

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(c)Photofest / Getty Images

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