国際交流の進化(2月20日)

 会津藩家老の娘、大山捨松は1871(明治4)年、日本初の女子留学生として渡米した。当時11歳。近代国家の女子教育を担う人材育成のため、政府が送り出した。滞在先で同年代の女性と親交を深め、後に教師として日本に招く(石井妙子著、近代おんな列伝)▼進取の気風は会津人に受け継がれているようだ。1986(昭和61)年、喜多方、米国ウィルソンビル両市の商工会議所は姉妹提携を結んだ。互いに行き来し、親書を交わした。友好ムードが高まり、2年後に市同士の調印につながる。経済団体の絆が行政を動かした稀有[けう]な例だ▼ウィルソンビル市の訪問団は今月初め、5年ぶりに喜多方を訪れた。両市の市長らが式典で記念宣言書に署名し、交流の進化を誓った。一行は市内で酒蔵見学や、そば打ちを体験し、日本の文化にも触れた▼両市は高校生らを交互に短期留学させる。コロナ禍でもオンラインを使って結び合い、友情のともしびを絶やさなかった。海を越え、市民が温めてきた種が実を結んでいる。捨松は海外での交流の成果を生かし、女子教育を支援した。羽ばたけ!会津の若き留学生。先人の志を受け継ぎ、女性が輝く先駆けの世界に広々と。<2024.2・20>

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