【解説】 ミュンヘン安全保障会議、「全員が損する」不安際立つ

リーズ・ドゥセット主任国際特派員(ドイツ・ミュンヘン)

それは「ミュンヘン・ルール」と呼ばれる。相互に関わり交流する。説教をたれたり無視したりしない――。

しかし、今年の第60回ミュンヘン安全保障会議(MSC)には、最も話題を集めている2人が姿すら見せなかった。

1人はアメリカのドナルド・トランプ前大統領だ。ホワイトハウスの主として戻り、MSCの中核である大西洋を挟んだ関係を台無しにする可能性がある。

もう1人はロシアのウラジーミル・プーチン大統領だ。自分に批判的な人物の中で最も有名だったアレクセイ・ナワリヌイ氏の死去をめぐっては、世界の指導者らから厳しい非難を次々と浴びている。欧州内外に長く影を落とし続けているウクライナへの全面侵攻でも非難されているのは言うまでもない。

ナワリヌイ氏死去という驚がくのニュースは、16日の会議開幕の数時間前に飛び込んできた。いくつもの断層と既得権で分断された世界が、危険な予測不能性で満ちていることが、改めて浮き彫りになったた。

欧州連合(EU)のジョゼップ・ボレル外務・安全保障政策上級代表は、「私たちは、対立がどんどん激しくなり、協力がますます薄れていく世界に生きている」、「世界は一段と危険な場所になっている」と、会議の閉幕を前にした18日にBBCに話した。

地政学的な緊張の深まりと、経済的な不確実性の高まりを背景に、今年の会議で基調となったのが、当事者双方に不利益をもたらす「『ルーズ・ルーズ』なのか」(Lose-Lose?)という考え方だった。

会議の年次報告書は、各国政府の間に「ルーズ・ルーズ」の力学が生まれ、「協力を危うくし、既存の国際秩序を弱体化させていく負のスパイラル」が生じる恐れがあると警告した。

国際人道支援組織「国際救済委員会(IRC)」のデイヴィッド・ミリバンド最高経営責任者(CEO)兼会長は、「これは混乱した世界の会議だと思う」と述べた。

「責任を問われないということがはびこっている世界だ。秩序を保つガードレールの機能がはたらかず、混乱に満ちている。ウクライナ、ガザ、イスラエルだけではない。もっと広範囲の、例えば、その人道的危機が議題にすら上らないスーダンなどもだ」

ナワリヌイ氏の妻が登壇

問題行為の責任を追及されないというのは、政治的に困難な問題の一つだ。だが、ナワリヌイ氏の妻ユリア・ナワルナヤ氏が、荘厳なバイエリッシャー・ホーフ・ホテルの会議場のメインステージに予告なしに登場すると、突如として痛ましい個人的な問題となった。ナワルナヤ氏はプーチン氏を非難し、集まった各国の首脳や国防・外交のトップらに、同氏を裁判にかけるよう求めた。

彼女の驚くべき落ち着きと明快さに、会場を埋めた人々はあっけにとられた。彼女が痛切な思いを述べた前後には、スタンディングオベーションが続いた。

今年はロシアもイランもミュンヘンに招かれなかった。両国が「意味のある対話に興味がある」とは思われないと、主催側が判断したためだった。

過去のミュンヘン安全保障会議では、ロシアのセルゲイ・ラヴロフ外相による激しい演説が会議場に怒りと衝撃を与えた。イランの存在は、解決が急がれる対立とリスクを浮き彫りにしていた。

ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は今回、ハイレベル会合をはしごし、西側による多額の軍事・財政支援の継続が不可欠だとして行動を呼びかけた。

会議場の壇上からの演説では、「2024年はみなさんの、世界のすべての人々からの対応が必要だ」と訴えた。

ゼレンスキー大統領が念頭に置いているのは、アメリカの600億ドル(約9兆円)にのぼる重要な包括支援だ。戦時のウクライナを支援し続けるのか、米共和党が内部で分断を深めるなか、支援案は議会下院を通過できないでいる。

そしてウクライナでは、兵士たちが前線で弾薬切れに見舞われている。

米代表団(カマラ・ハリス副大統領を含む)は、ジョー・バイデン大統領もハリス氏もウクライナを見捨てることはせず、国際問題でのアメリカのリーダーシップも捨てはしないと強調した。

しかし、米大統領選挙が9カ月後に迫るなか、トランプ氏はすでに首都ワシントンで極端な政治議論を形成しており、アメリカが北大西洋条約機構(NATO)などの国際機構から脱退するではないかとの懸念を再燃させている。

前出のIRCのミリバンドCEOは、欧米がミュンヘンで表明した約束について、「各国は何をすべきかわかっているが、実行に移せない。そのギャップを埋める必要がある」と話した。

もっと厳しい批判の声も出ている。

「言葉はいっぱい。具体的な約束はゼロ」。イタリアのシンクタンク「国際問題研究所」のナタリー・トッチ所長は、X(旧ツイッター)にそう書き込んだ。「悲しいMSC2024だ」。

そうしたギャップは、壊滅的なイスラエル・ガザ戦争をめぐってさらに顕著だった。同戦争は、昨年10月7日にイスラム組織ハマスがイスラエル南部を襲撃して始まった。

イスラエルの軍事作戦は、おびただしい数の民間人の犠牲者を出している。そして、地中海沿いのパレスチナ自治区ガザ地区の大部分を荒廃させている。

パレスチナ自治政府のモハマド・シュタイエ首相は、「国際社会とここミュンヘンに集まった世界の指導者たちが、真剣な停戦とガザへの相当量の国際支援を望んでいることが分かった」とインタビューで述べた。

しかし、元和平交渉官のツィピ・リヴニ氏などでなるイスラエルの代表団は、作戦を進め続ける必要性を強調した。

リヴニ氏は、シュタイエ氏やヨルダンのアイマン・サファディ外相らが参加した会合で、「私は(イスラエルのベンヤミン・)ネタニヤフ(首相)の政敵だが、ガザでの戦争は支持する」と強く訴えた。

「ハマスをテロ組織として、また政権として排除する戦略的必要性を、私は支持する」

今年のミュンヘン安全保障会議の参加者は過去最多だった。世界各国から首脳約50人、閣僚100人以上、シンクタンクや非政府組織(NGO)、大手企業の代表ら、計900人以上が参加した。

トップ・スパイ、フェミニストの外相、気候変動の活動家、イラン人活動家、兵器専門家、テクノロジー専門家などが、公開の壇上や私的な会談、密室会合などで集まった。

それらすべてが、「グローバル安全保障」に対する世界の理解がいかに形を変え続けているかを浮き彫りにしている。

この会議は冷戦時代の1963年に、平和と繁栄を求めて誕生した。以来、数十年にわたってリアルタイムの外交の場にもなってきた。

しかし、「ルーズ・ルーズの力学」への懸念が際立ったこの年、世界が次の一撃がどこに飛んでくるか不安にかられるなか、ミュンヘンは多くの会話と現状評価の場となった。

(英語記事

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