【建築デザイナー・井出しのぶさんのキッチン】ひとり暮らしにちょうどよい設備とは?

将来を考え、50代で暮らしをダウンサイジングした建築デザイナーの井手しのぶさん。自分が設計した理想の住まいで、犬や猫と快適に自由に暮らしています。ひとり暮らしのコンパクトな家の中心にある、大切なものに囲まれたキッチンにお邪魔しました。

お話を伺ったのは
建築デザイナー
井出しのぶさん

いで・しのぶ●30代で住宅の設計、建築を手がける「パパスホーム」を設立。52歳で代表を退き、「Atelier23.」を主宰。現在はフリーの建築デザイナーとして、一般住宅のリノベーションや店舗設計、庭のデザインなどを手がけている。
フレンチブルドッグの小太郎、保護猫のブチャ、トラと暮らす。

手放すことで手に入れた憂いのない暮らし

鎌倉駅からバスと徒歩で20分余り。観光客で混雑する駅前の喧騒とは別世界の静かな山の上に、井手しのぶさんの家はある。この地に住まいを構えた理由を尋ねると、そのいきさつを話してくれた。

「52歳で仕事をリタイアしたとき、今後働かずに、今あるお金で90歳まで生きていくためにはどうしたらいいかを考えたんです。試算したら、暮らしをコンパクトにすれば何とか大丈夫だと(笑)。そこで当時住んでいた家を売り、この小さな家を建てたというわけです」

井手さんは「ちょっとネガティブな引っ越しよね」と笑うが、憂いをなくすための行動はとてもポジティブだ。そんな井手さんのことだから、きっとこの地を選んだのにも訳があるのでは、と尋ねると……。

「どうやら私、音や光の刺激に人よりも敏感なところがあって、次に住むならできるだけ静かな場所と決めていたんです。ここは本当に静かで、買い物に不便はないし、海も近い。夜は真っ暗だけど、とってもよく眠れています」

理想の土地に建てたのは、自身が設計した平屋の家。広さは17坪ほどで、旧宅に比べると約半分の広さだという。

「家が小さいから、キッチンもすごくコンパクトです。そもそもひとりで住む家に、大きなキッチンは必要ないと思っていて。収納スペースも以前の家の3分の1に。調理道具や食器は収まるだけの量で十分と、相当数を処分しました。前の家で使っていた食洗機も手放したけど、まったく不便はないんです」

手元に残したのは大切なものだけ。キッチンだけでなく、この家にあるすべてのものが井手さんのお気に入りだ。物量が減ったことで、掃除や管理もラクになったそう。

「身の回りには、自分が見て気分がよくなるものしか置きません。どうしても嫌なものにばかり、気がいってしまうから。それがストレスになるのだとわかってからは、目につくものに関しては厳選しているつもりです。その代わり、引き出しの中はぐちゃぐちゃなんですけどね。私、ズボラだから(笑)」

これからはもう仕事はせず、のんびり暮らしていこう。建築デザイナーの仕事をリタイアした時点ではそう決めていたが、次々届くリフォームの依頼に予定は少々崩れぎみだ。

「仕事をしない前提で引っ越してきたのに、ちょっと忙しくなりすぎちゃった(笑)。でも人さまに必要とされて、自分の体が動くうちは働きたいなと思っています」

和の空間に変えようと計画中

素敵な井手さん宅のリビング。「最近、色を抑えた空間に惹かれていて。リビングを和の空間に変えていこうと計画中です」

最も長くいる場所だから家はキッチンありき

井手さんが住宅を設計する際、まずキッチンの場所を決めることが多いのだそう。この家もしかり。なぜなら井手さんにとって、キッチンは何より大切な場所だから。

「家族の中で料理を担っている人の多くはそうだと思うんですが、私が家の中でいちばん長くいる場所はキッチン。子どもが自立して、ひとりで暮らすようになってからも、それは変わりません。家はキッチンありきだと思っています」

だからこそ、少しの不便さもストレスも我慢したくないのだと井手さんは言う。現在、設置されているシンクとコンロも、使い勝手のよさを追求して入れ替えたものだ。

「もともと、I型の大きなシステムキッチンが入っていたんです。でも買い物から帰ってきて食材を冷蔵庫にしまうとき、いちいちキッチンカウンターをぐるりと回らなければいけないのが面倒で。それでシンクとコンロをそれぞれ独立させたら、動線がスムーズになってストレスも解消。レンジフードとIHコンロ、グリルは以前のものをリユースしました。このグリル、溶岩石が入っているからお肉がすごくおいしく焼けるの。スーパーで買ってきた焼き鳥も、炭火で焼いたみたいにふっくら焼き上がるんですよ」

工夫が随所に。自分仕様のキッチン設備

井手さんが造る家には必ずあるという、キッチンの勝手口。「動線もよくなり、ゴミ出しや洗濯物干しが格段にラクに」

上左/もともとあったシステムキッチンから取り外したグリルとIHコンロをリユース。下部の収納は、大工さんの造作。

上右/着物用のたんすを模した、食器用の収納棚。「上部にすき間があるから、引き出しを開けなくても中がのぞけて便利なんです」

上左/シンクの側面には、どうしても使いたかったという大谷石を自ら貼った。

上右/コンロ下の引き出しに調味料を収納して、使いやすく。

現在は、都内の施工現場へ出かける他は家で仕事の毎日。どんなに忙しくても、就業は17時までと決めている。

「17時を過ぎたら電話も出ないし、メールも一切見ないと宣言しています。仕事のあとは、一杯飲みながらおつまみを作って食べて、まだ何か食べたいなと思ったらちょこちょこ作って……。最近、あんまり気取ったものを食べたい気分じゃないから大層なものは作らないけど、魚、野菜をバランスよく。ぬか漬けなど発酵食品もとるよう心がけています。庭で育てているしそやねぎは、薬味に使えて便利なんですよ」

息子さんも敷地内に家を建てて住んでいるものの、食事は別々。互いに干渉しないと決めている。

「数年前、飼っていた犬が病気になってしまったとき、心配した息子が越してきてくれたんです。そのときは私も頑張ってご飯を作っていたんだけど、うちの息子、体が大きいからよく食べるのよ(笑)。それでだんだん食事作りが苦になってしまって、これはよくないなと。以来、カレーのようなたくさん作ったほうがおいしいもののときや、自分が作りたい気分のときは『一緒に食べる?』と聞くけれど、基本は別々。これくらいの距離感がちょうどいいんじゃないかな」

山の上に居を構えて、暮らしに新たに加わったことがある。

「ご近所に梅の木を植えている方が多いんですが、道のあちこちにたくさん実が落ちていて。犬の散歩の最中にその実をいただいたのがきっかけで、梅干しや梅の酵素ジュースを作り始めました。わが家の庭にたくさんなるレモンは、マーマレードにしたり、ハイボールに入れたりして楽しんでいます」

日当たり抜群の庭では野菜や果実を栽培

レモンの木のそばには菜園が。ねぎ、しそ、パクチー、パセリなどを栽培。

今の家での暮らしに満足していると、井手さんは言う。実は井手さんにとって、この家は7軒目の住まい。ライフステージの変化とともに住み替えを重ねてきたが、この先の人生はできる限り、ここに住み続けるつもりでいる。

「ただ、人も好みも変わるから、住まいのマイナーチェンジは必要だし、続けていきたいと思っています。今計画しているのは、シンクのワークトップを掃除のしやすいステンレスに替えること。これからもその時々の自分に合わせて手を入れて、気持ちよく過ごしていきたいですね」

勝手口には網戸をつけていつでも風通しよく

勝手口の網戸も井手さんがDIYで設置。「外で遊んでいた猫のブチャが、網戸の外で『開けて!』と騒いでいることも」

※この記事は「ゆうゆう」2024年3月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。

撮影/松木 潤(主婦の友社) 取材・文/恩田貴子


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