空き家だった「300坪の実家」が地域貢献を果たす名物施設に…“ボロボロの旧家”を蘇らせた〈意外な方法〉とは?【空き家収益化のプロが解説】

とりあえず実家を相続したものの、活用できずに持て余してしまう人は少なくありません。本稿では、三木章裕氏の著書『実家の「空き家」超有効活用術』(フォレスト出版)より一部を抜粋し、300坪の実家を介護施設へと生まれ変わらせ、収益化のみならず地域貢献まで実現した夫婦の事例を紹介します。

田舎のボロボロの実家で高齢者通所介護施設を開業

突然のリストラ――。

中田(仮名)さんは、関東の中堅の印刷会社の管理職でした。しかし、業績が低迷していたこの会社は、突然大規模リストラを断行したのです。

中田さんは思いました。

「50歳になった途端になぜ? 今さら再就職先を探しても、まともな転職先は見つかると思えない……」

中田さんは3カ月間、悩みに悩みました、奥さんも自宅近くで仕事をしており、子供さんも東京で働いていました。

「どうする? どうする? どうする?」

そんな折に、中田さんの出身地の奈良で法事がありました。悶々とした気持ちを抱えながら地元に戻った中田さんは、法事もそこそこに、久しぶりに会う同級生、谷口(仮名)さんと愚痴と相談も兼ねて会うことになりました。

久しぶりに会った同級生は、地元で小さな工務店をしていました。谷口さんは、地元もどんどん年寄りばかりになって、町も全然活気がないとぼやき、中田さんは中田さんで、突然のリストラに当惑して、これからの将来の悩みをぶちまけていました。

お互いに「こんな世の中がおかしいんだ!」の大合唱になりましたが、そう言っている自分たちがなんとなくみじめで、話は違う方向に向かっていました。

「中田、あの実家の家、貸さないか?」

突然予想もしない言葉が谷口さんから飛び出しました。

中田さんの家は元々、先祖は地元の庄屋さんで、大きな旧家の実家を相続していました。土地は300坪ほどあり、建物も90坪ほどの平屋の母屋とは別にはなれがあり、立派な建物でした。ただ、そんな立派な実家も、今は草がぼうぼう、木も伸び荒れ放題になっています。

年に数回、家の風通しのために訪れていましたが、到底賃貸できるような状態ではなく、ボロボロという感じだったので、「貸す? 貸すってどういう意味?」という感じで目を丸くしました。

実は、この周辺も高齢者が多くなり通所介護施設がほしいということで、その用地を探していたところだと谷口さんは言いました。

家はダメだろうけど、土地としては300坪(昔で言えば一反)あるから、家を潰して土地を有効活用して地元に貢献できたらそれもいいかなと思い、「谷口、建物は使いものにならないけど、敷地はたっぷりあるので、活用できるなら考えてもいいよ」

と返事をしました。

ところが、谷口さんは、イチから建物を立てるのではなく、あの旧家の家も利用した施設にしたいと言います。

ますますびっくりという感じで、「まあ本当に借りてくれる人がいるなら検討してもいいよ」と言うと、「あそこなら、立地もいいし、検討してくれる業者もたくさんいるので、次の機会にはもう少し具体的に話そう」と言って別れました。

妻からの意外なる提案

中田さんも仕事を辞めた後のあてもないときでしたので、「まあ賃貸で貸せれば、少しは収入の補填になるかもしれない」と、自宅に帰って、そんな話を奥さんにしました。

すると、意外な話が奥さんの口から飛び出しました。

「その施設、あなたがやればいいじゃない! 別に私も田舎に帰ってもいいわよ。私も実家に近くなるし」

「えーーっ!?」

中田さんは、思いも寄らない奥さんの言葉に頭が大混乱しました。確かに、奥さんも同じ奈良県民でした、たまたま東京の仕事で知り合って結婚しましたが、お互い奈良県出身というのも、意気投合した要因の1つでした。

「う〜ん……」

と中田さんが考えていると、

「私、通所介護施設ならやってみたいわ」

と畳み掛けるように言葉をつなぎました。実は、中田さんの奥さんは、子供さんが手を離れた時点から、近くの老人施設でヘルパーの仕事をしていたのです。仕事から帰ってくると、「自分の親くらいの人の面倒を見ていると、父や母が元気なのか、いつも気になるの」とよく言っていました。

地元の奈良に帰って仕事をすることに関しては、奥さんのほうが積極的なくらいでした。

しかし、中田さんはまったくの門外漢で、自分が通所介護施設の経営者になるなんてことは、到底考えられませんでした。再度、中田さんは地元に向かい、谷口さんに相談することにしました。

「俺がこの実家で通所介護施設するというのは可能だろうか?」

谷口さんは、「まったく素人のお前が突然やると言っても難しいから、ある程度、専門家のアドバイスを受けながらなら、運営は可能だろう。この辺は高齢者が急激に増えているので、施設の需要は十分ある」と話してくれました。

経営未経験、業界未経験からのスタート

中田さんには、相当な覚悟が必要でした。当時、退職時にもらう割り増しされた退職金のほとんどを、建物の改装費用に注ぎ込まなければならないことになりました。

許認可関係は、筆者のほうで地元で有力な一級建築士の先生を紹介し、また介護事業に関しては、筆者の友人の介護業者に経営アドバイスをしてもらえるように説得し、中田さんが地元でスムーズに通所介護施設を運営成功できるための人集め、ケアプランセンター、病院などの紹介も含めて、各分野の専門の方とのコーディネイトを行ないました。

中田さんご夫婦もオープンからの1カ月は、怒涛のように過ぎて、筆者が訪ねたときは、「この間まで関東にいた気がして、企画、改装、許認可、オープンまで自分がやっているのが不思議で、ふと我に返ると、あれ? いつからこんなことやっていたんだ」と何か狐につままれたようだと笑っていました。

この施設は、オープン当時から、「旧家を利用した、どこか懐かしく心安らぐ施設だ」と高齢者から評判になり、あっという間に地域の名物施設になって、ローカルテレビの取材なども来るようになりました。

話題が話題を呼び、一時期は予約待ちになるほどで、順調に経営できるようになりました。

「こんな古い旧家がこんな形で蘇り、地域に貢献できる施設になったことは、ご先祖様も本当に喜んでくれていると思います」

と、中田さんは清々しい表情で答えてくれました。

古くてボロボロで、気にもかけず放置していた実家が結局、中田さんの窮地を救ってくれたのです。このエピソードからわかるのは、偶然とはいえ、地元のニーズを知り、それに合った「使う」という打ち手に舵を切った、夫婦の英断とがんばりがあったからです。

中田さんご自身の第二の人生に加えて、地域貢献にもつながった好事例です。

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