インドネシア・ミレニアルの肖像 Harmoko Aguswan (35) サウンド・エンジニア

3歳の時に、叔父が僕に聴かせてくれた曲をよく覚えているよ。スティービー・ワンダーの “I Just Call to Say I Love You “とジョージ・マイケルの “Careless Whisper”だった。それからというもの、僕はいつも、音楽好きの姉のカセット・プレイヤーから流れる音楽を聴いていたっけ。外国のものもあればインドネシアのものもあった。

地元のパレンバンで薬局を営んでいる父は僕にこう言った。「君が本当に好きなことをやれ。なぜなら、仕事が義務的なものではなく、君がそれを本当に楽しんで取り組んでいる時にこそ、人生の成功がもたらされるからだ」。本当は家業を継いでほしかったはずの父のこの言葉は、いつも僕にとって、進むべき道を照らし出してくれる羅針盤なんだよ。

シアトルのレコーディング・スタジオでインターンをしていた時、スタジオのオーナーが「本気でこの仕事を続けたいならLAに行くべきだ」って勧めてくれたんだ。それで、大学を卒業してから、クルマを22時間運転してLAに向かった。マイケル・ジャクソンのアルバム録音で有名な「West Lake」だとか、一流のスタジオで練習できる機会もあったし、マイクロフォンのメーカーでインターンをしたり、夜はジャズ・クラブのエンジニアとして働いたよ。そこではたくさんのビッグ・ネームが演奏していたんだ。あのジャズ・クラブでの経験は「音楽的に聴く」ための、とても大きな訓練になった。

ジャズ・クラブのオーナーからは「あと3年、ここで仕事をしてくれないか?」とオファーを受けたけど、インドネシアへの帰国を決心した。もちろん音楽産業のメッカであるLAに未練はあったけど、このインドネシアで、自分がLAで培った技術を活かしてみたい、という思いが強くなっていたんだ。

僕はどうしても、尊敬できるアーティストとしか仕事ができない。そんな彼らにとって満足できる音楽が、僕との共同作業によって実現できた時、僕はまるで彼らの音楽と、それが目指すビジョンをつなぐ、一本の橋になれたように感じることができる。それこそが、この仕事における最大の喜びだね。

オタマトーン かわいい音符の形の日本の電子楽器。正確な音程を出すには練習が必要で、熟練すると多彩な音を出せる。モコはこれが気に入り、スタジオのロゴにも使用。

食のソウル探し モコにとって、音楽に匹敵するもう1つの大きな喜びは、その土地のソウルフード探し。「人がなぜそれを求め、なぜその味が生まれたのか? 地元で愛されている食べ物には、愛されている理由を納得させてくれるストーリーや歴史がある」。
→モコのお薦めソウルフードを紹介していく連載 ↓

ハルモコ・アグスワン
1980年、パレンバン生まれ。通称モコ。米シアトル大で経営を学んだ後、ロサンゼルスに移り、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で学ぶ傍ら、夜間は名門ジャズ・クラブ「ジャズ・ベーカリー」で名プレイヤーのライブ演奏をミキシングするなどして経験を積む。2003年、インドネシアに帰国し、レコーディング・スタジオ「Brotherland」を立ち上げる。インドネシア・アーティストのCD制作や国内外のコンサートでの会場音響に携わる。2016年のジャワ・ジャズ・フェスティバルではスティングのストリーミング放送の音響を手がけ、Boyz II Menのインドネシア・ツアーにおいてはチーフ・エンジニアを務めるなど、国外の有名アーティストからの信頼も厚い。

© +62